保護者の方からお寄せいただいた体験記をご紹介します。(※塾生の体験記はこちらから

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2024年度

R・Mくんのお母様の中学受験体験記

2024年度 早稲田実業学校中等部・桐朋中・立教新座中・佐久長聖中A特待 他合格

「昨日の己に今日は克つ」
アテナ進学ゼミに入塾した際にいただいたオリジナルのキーホルダーに書いてあった言葉です。私たち親子は、この言葉を胸に、中学受験という「航海」を始めました。子どもと真剣に向き合い、しっかり育てようという宮本先生の思いを感じながら、息子は成長しました。2年間の歩みを振り返ります。

我が家は共働きの核家族で、子どもの学習にぴたりと伴走することは物理的にかないません。となると、息子が自走できる仕組みを作るほかありません。入塾後、まず、スケジュール帳を購入しました。その日のタスク(取り組む教科、テキストや実力アップ問題集のページ数など)を私(母)が細かく書き込み、息子と共有しました。息子は、下校後、スケジュール帳を見てその日の課題に取り組み、終わればチェックをつけるというルールを決めました。思い通りに進まない時は、「週末がんばろうね!」などと励まし、予定を修正し、次のテストまでに終えられるように努めました。数か月後にはリズムが整い、息子が自分でスケジュール帳を使って計画を立てるようになりました。雑なところもありましたが、そこは目をつぶって、できるようになったことを褒め称えました。次第に、息子は頭の中で計画を立てられるようになり、スケジュール帳は5年生で卒業しました。スケジュール帳は、今眺めてみると、息子の成長記録になっています。

自宅学習が軌道に乗った6年生前期は、受験に向けた自宅学習時間も自ずと増えました。アテナ進学ゼミでは、大手塾のように膨大な宿題に追われ勉強漬けになることはありません。宿題はすぐに終えてしまい、「暇だ。」というようになったので、自分で何を勉強すべきか考えるように伝えると、試行錯誤し始めました。失敗したら、失敗から学んでほしいと期待しつつ、本人に任せました。唯一、親として努力したのは、入試説明会や入試分析会などでの情報収集でした。

決戦の夏は、朝から晩までアテナ進学ゼミで過ごしました。基礎固め、応用問題への取り組み、さまざまな学校の過去問へのチャレンジ、宮本先生への質問攻めなどを通して、力を蓄えることができました。当時、私は先行きに不安を感じていましたが、宮本先生の「まだまだ伸びますよ」という言葉通り、夏以降、成績が上昇していきました。

秋からは、本格的に過去問に取り組みました。宮本先生は、どんなにお忙しくても、時間をおかず答案添削し、フィードバックしてくださいました。真摯な対応は、本番前日まで続きました。この添削指導こそ、アテナ進学ゼミの真骨頂だと思います。併願校の過去問の得点は、11月時点では遠く及びませんでしたが、直前期には、合格最低点を50点も上回るようになりました。解いた過去問は、のべ52年分。直前期は、声をかけるのもはばかられるほど鬼気迫る様子で取り組んでいました。

そして1月下旬のある日、息子の学習机に、算数の問題集とノートがありました。秋に購入したもので、200ページほどの分厚い問題集です。「力がつきそうな問題集だね。半分くらいできるといいね!」「うん。半分はやる」と言葉を交わした問題集。ノートを開くと、1問も残さず丁寧に取り組んでありました。しかも、ノートは、宮本先生の板書さながら、すっきり丁寧に色分けをして書かれていました。手助けしなくてもいつの間にか自分でできるようになっていたこと、たくさんの問題に一人で黙々と取り組んだことに、驚きました。また、「ママ、毎日お弁当を作ってくれてありがとう。漢字の丸つけも手伝ってくれてありがとう。」と思いがけない言葉をかけてくれました。緊張感あふれる直前期に周りを見渡すことができるようになり、精神的にも成長したのだと思い、胸が熱くなりました。

2月1日7時過ぎ、朝日を浴びながら、第一志望校の正門前で宮本先生にお電話しました。息子を激励していただくためにお電話するという約束だったのですが、受験を通して息子が成長したことが何事にも代えがたい喜びに感じられ、「これまでありがとうございました」という感謝の言葉があふれ出てきました。まだ、試験を受けてもいないし、結果も出ていないのに、とても晴れ晴れとした気持ちになることができ、息子を笑顔で試験場に送り出しました。

わが家の中学受験という航海は、息子の第一志望校合格という目的地に到着して終わりました。ともすれば、中学受験を始めると「偏差値」という物差が登場し、子どもを全体の中の位置づけで評価することになってしまいがちです。親の焦りや不安から、子ども自身が自分で伸びてゆく力を奪うようなことをしてしまっては、本末転倒です。宮本先生はどんな時も泰然自若として、経験に裏打ちされた的確なアドバイスをしてくださいました。私たち家族は、宮本先生を「羅針盤」として、一丸となって、幸せな中学受験をすることができました。今後は、息子が自力で、「昨日の己に今日は克つ」ことができるように、静かに見守っていきたいと思います。わが子を信じて待つことの尊さを教えてくださった宮本先生とアテナ進学ゼミの関係者の皆様に心から感謝いたします。ありがとうございました。


G・Mくんの中学受験体験記

2024年度 桐朋中・成蹊中・都立大泉高校附属中・東京電機大中・聖望学園中B特待 他合格

[中学受験のきっかけ]
我が家は私も夫も中学受験の経験はありません。しかし3歳違いの姉が私立中学校に進学した事でその良さを知りました。姉は得手不得手の差があるタイプであった為よく相談し、自宅学習&得意科目のみで受験しました。中学校生活を楽しむ姿を見て、子どもに合う環境や自ら進路を選ぶことの大切さを考えるようになりました。そこで4年生になっていた息子に、今後の進路の可能性や選択肢を伝えました。その後冬休みに本人から中学受験に取り組んでみたいと返答がありました。

[塾探し]
もともと通信教育を利用していましたが、様子を見ていて先生と対面できる塾が向いているのではと感じました。「競争を好まず人見知りで慎重派、切り替え上手でもあるが諦めが早い」そのような息子の性格を考えて出会った塾がアテナでした。幾つかの候補のうち、本人の感覚や意見を聴き決めました。

[ 1番辛い時期]
大変だった時期は入塾後の3、4ヶ月です。1週間のアテナの学習ペースがつかめるまでは一時親子ともに笑顔が消えました。しかしそのペースが一度身についてしまえば何とか続けていけそうかな、と感じられたことを覚えています。息子も少しずつ自分の趣味の時間を持てる様になり、一息ついたのは夏前頃でした。初めは親がその日の課題を大きく箇条書きにし毎日机の上に置いていましたが、徐々に自分でも書くようになっていきました。

[日常生活]
受験をすると決める前も後も睡眠時間は確保したいと考えていました。小学校の課外活動などの関係で、朝は5時台に起きていた為9時から9時半、どんなに遅くても10時には寝付けるように工夫していました。また親の使う言葉や内容、タイミングには気をつけるようにしました。親から見ていると、本当に受験生なのだろうかと思うような日もありました。その時は「何か不足があれば先生に指摘されるだろう、その方が本人に届くだろう」と心の中で自分に言い聞かせました。

[宮本先生]
アテナ入塾前に心配していた事は、先生がお一人だという事でした。これは相性もある為必ず授業を体験すると良いと思います。息子の場合は一人の先生に見て頂けるメリットを最大限に受けられたと感じます。宮本先生は、どの子にも自分でやろうとする気持ちや進んでいく力があると信じて下さっています。子ども達の力を引き出す工夫がアテナには散りばめられています。とても印象に残っているのは一番初めの説明会の「私宮本に乗っかって下さい」という言葉です。この時、先生に合わせ任せるのだなと受けとりました。先生の自信と覚悟を感じる言葉です。

[中学受験を終えて]
息子の受験は都立中学校含め、不合格無しという驚きの結果でした。これは本人の努力はもちろんですが、アテナと先生との出会いが大きかったと思います。性格や模試の結果を冷静に判断して下さる先生と何度も相談した事も良かったのだと思います。入試の合格も嬉しい事ですが、同時に2年間の成長していく息子の姿を思い返しています。「息子さんはこの先も自分の力でどんどん成長していきます」と先生に言っていただき、私もそう感じることができ、受験に取り組んで本当に良かったです。

宮本先生、チューターの先生、一緒に学び過ごした6年生の皆さん、ありがとうございました!


M・Iさんの中学受験体験記

2024年度 三田国際中・晃華学園中・開智所沢中準特待 他合格

この週末、入学する学校の制服を採寸し、今までのテキストや実施した過去問の数々を片付け、やっと中学受験が終わったという気持ちの落ち着きがやってきました。入試までの3年間は紆余曲折、試行錯誤の毎日で、入試が始まってからの数日は気持ちがジェットコースターのように乱高下するのをなんとか抑え、終わってからも報告や手続きでバタバタした日々を過ごしていました。今こうして体験記を書くことで、長かった3年間の総括が出来ると感慨深く感じています。

我が家は夫は地元の中学、都立高校で私は私立中高と育ってきた環境が違ったため、双方のメリット・デメリットをよく話し合っていました。結果としてそれぞれいいところ・悪いところがあるけれど、子供が希望する道を応援するという、やんわりとした方針を持って小学校三年生まで過ごしていました。小三の二月に娘から塾に通いたいと言われた時も、本人が希望するなら、と少々億劫に感じながらもいくつか塾を体験して、一番授業が分かりやすいと感じたアテナに入塾しました。

四年生から五年生までは二科目だったため、それぞれの科目に集中して勉強することができ、また本人もコツコツとやるタイプでアテナの授業も楽しく通っていたため、成績は順調に伸びていきました。そうなるとこれは自分でも全く予想していなかったのですが、もっと成績を伸ばしたい、と思う様になり、スケジュール管理や課題のサポートなどだんだんと私が一緒に勉強をする場面も多くなってきました。

順調だった受験勉強に陰りが見え始めたのは五年生がスタートした頃からでした。四科目がスタートしたのですが、理社、特に理科にてこずり、時間を多く割くことになったことから全体のバランスが崩れていきました。得意だった算数も今までより演習の時間が取れないことで、伸びが鈍化していきました。理社も時間をかけている割には成績は伸びず、月例や模試の結果に(私が)戦々恐々とする日々が続きました。

志望校は本人が特別気に入ったところが見つからず、模試の結果から目指せそうな学校をいくつか見学しているうちに三田国際に惹かれていたようでした。見学当時は成績が良く、三田国際も目指せる偏差値帯だったので、三田国際を第一志望校として考える様になりました。しかし、前述の通り成績が伸び悩み、一時は70まで届いた偏差値も47まで落ちてしまいました。それでも娘はマイペースな性格で、動じた様子もなく(もしかしたら心の中ではひどく落ち込んでいたかもしれませんが)、なにくそと努力し始めるでもない様子で、そんな彼女の様子に苛立ちを覚えるようになりました。「やる気ないなら受験勉強は続けられないよ」「このままだと三田国際には届かないんだよ、分かってるの?」など自分でもよくない言葉だと分かっているのですが、気持ちを抑えられず、そんな言葉を投げつけてしまうこともありました。娘もそんな私の様子を疎ましく思っていたと思います。以前は良好だった親子関係が崩れてしまうのではないか、という危機感を持つ様になりました。

六年生に入っても成績は変わりませんでした。宮本先生にずっとこのままで受験を迎えてしまうのではいう不安を何度もぶつけていましたが、先生からは「お嬢さんはコツコツ頑張れる子です。そういう子は最後の最後にぐっと伸びますから、信じて待ちましょう」と言われました。その度「信じたいけど、もし伸びなかったら…」という半信半疑な気持ちでしたが(先生、すみません。。。)、夏休みを過ぎると今まで停滞していた成績が急に伸び始めました。9月に受けた模試で久しぶりに偏差値60代の結果が出た時は、親子で涙ぐみました。実は宮本先生からのアドバイスは「信じて待つこと」以外にもう一つありました。先生はその時私が娘の勉強のサポートをし過ぎていると指摘して下さり、少し距離を置
いて見守る様にして下さい、とアドバイスを下さいました。初めはサポート減らしたら成績が一層落ちてしまうのではと不安でしたが、親子関係も悪化していることを考えると、そうすることが良い様に思えました。結果、コピーやプリント整理と課題の進捗確認までをサポート範囲とし、課題の進め方や勉強は本人に任せることにしました。また、課題についても宮本先生に問題をピックアップしてもらって量より質を重視する方針へと変えました。そうすると課題数が減ることで少し余裕ができ、また娘も自分で決めたことを自分のペースで出来るのが良かったのか、落ち着いて集中する時間が増えてきました。私もその様子を見て、頑張りを応援できるになり、親子関係も以前のように戻ってきました。

勉強のサポートを減らしてからは、一歩引いて彼女が幸せな受験生活を終えるためにはどうすればいいかを夫と話し合うようになりました。たとえ第一志望校から合格がもらえなくても、目標に向かって必死に努力したという経験は合格にも匹敵する素晴らしい経験だと考え、三田国際への受験は最後まで貫きました。一方で、良いコンディションで受験を迎えられる様、併願校選びを熟考しました。一月の埼玉受験では実際に通える範囲の学校を受け、二月が全敗でも大丈夫な状態にしておこうと考え、新設校の開智所沢が候補となりました。本人も開智所沢を気に入り、実質第二希望のような形となりました。新設校だったので倍率が心配でしたが、無事合格を頂けました。このことで、二月の受験校は第一志望の三田国際と第二志望の晃華学園の二校のみと絞ることができ、対策も集中して行えました。(もし開智所沢が不合格だった場合、二月は四〜五校を受ける覚悟をしていました。)

三田国際の過去問演習は合格最低点周辺を上下するという結果で、模試でも合格可能性50%に届いたことはなかったので、かなり厳しい結果となると覚悟をしていました。結果として一回目の受験は不合格。本人も私たちも覚悟はしていたけれど、落ち込みました。泣き腫らす娘をなんとかなだめて布団に入らせ、午後に受けた晃華学園の結果を見ると合格。これには心底ホッとしました。開智所沢の合格を頂いていましたが、やはり不合格二連続は翌日以降の受験に響くだろうという思いがあったからです。翌日は午後に再度三田国際にチャレンジ。二日目は例年倍率がぐっと上がり、心なしか前日よりも賢そうなお子さんが多い様な…完全に私が負け戦の気持ちでした。それでも頑張って試験に向かう娘を必死の笑顔で送りました。結果が出るのは翌日の午後で、3回目の三田国際受験に向かう途中でした。その日は夫が送迎をする担当で、私は結果発表を自宅で確認しました。半ば諦めの気持ちで画面をクリックすると「合格」の文字が。驚きと喜びとおめでとうの気持ちで、なにより早く娘に伝えたくて、夫に連絡をしました。帰宅した娘と強く強く抱きしめ合いました。

受験の日々は山あり谷ありで、何度やめようと思ったことか。それでも第一志望校合格という結果に辿り着けたのは、私たち親子を導いてくださった宮本先生と「最後まで諦めない奴が結果を掴み取るんだよ」と三日目の受験で疲れ果てている娘を最後まで鼓舞する強い気持ちをもった夫のサポート、アテナの同級生の仲間・チューターの先生方の支え、そしてひたむきに頑張ることの出来る娘だったからだと思います。この経験が娘にとって素晴らしい糧となり、今後の人生を支えてくれると思います。私にとっては娘と強い信頼関係を築くことのできた貴重な体験でした。

これから中学受験を迎える皆様にとっても、親子共々いい経験したな!と思える様な受験となることを心よりお祈りしています。そのためには、どんなことでも宮本先生に相談することを強くお勧め致します。


S・Tさんのお母様の中学受験体験記

2024年度 女子美術大附属中・トキワ松学園中・長崎日大中 他合格

私たちがアテナ進学ゼミと出会ったのは、娘が新4年(小3)の時でした。初めての授業は算数教室であったと記憶しています。娘は小さいころからモノ作り、絵を描くことが大好きで、自分が好きなことに没頭できる中学校は都内には1校しかなく、当初から娘の希望校は女子美中一択でした。親しい友人のお子さん方が多数アテナに行かれていたこと、そして先生より、「女子美中は落としたことがないので、お任せください」との心強い言葉に押され、娘と一緒に入塾を決めました。

我が家では、中学を受験するにあたり、勉強に関しては全て宮本先生にお任せする。健康管理やスケジュールの進捗確認など勉強以外のサポートはしっかりと行う。女子美に照準を当て、必要のない事項に関してはプレッシャーを与えない。と決めており、最後までこのスタンスで受験を乗り切ることができました。私たちがこのような形で受験を乗り越えられたのは、宮本先生の熱心な指導があったからに他なりません。

自発学習(自走)ができるようになるためには、やはり、時間がかかります。先生は貴重な時間を割き、娘がわかるまで、何度も何度もやり取りをしてくれました。小さな積み重ねが徐々に彼女の力となり、6年生になる頃には、自走できるようになっていたように思います。自分の力で解けるようになる。わかるようになると今まで苦手でと思っていた科目が得意科目となり、やればできる!という自信が沸いてきたようです。勉強のコツを自分でつかみ、自ら取り組む姿勢を育むという中学受験のその先までもを見越した先生のご指導は娘の一生の宝物になりました。

受験はよくマラソンに例えられます。まさにその通りです。小3から準備を始め、小6の終わり頃に迎える受験日まで、心身共に健康な状態を維持する必要があります。知識を詰め込み、偏差値だけを追いかける受験塾よりも、アテナ進学ゼミのように学習旅行やしゃかりかクラブなど知識を補完する貴重な経験ができる塾のほうが子供たちにとってはプラスになることが多いと感じます。

娘曰く、広島旅行は当日の試験内容にも直結する体験だったようです。最期の追い込み時期から受験当日までは、まさに気力・体力・知力が勝負となります。そのため、年が明けてからは、しっかりと睡眠をとらせる。体調の異変があった場合には早めに対応するなど、栄養管理、健康管理に努め、受験日を迎えました。

宮本先生を始め、チューターの先生、アテナの仲間、いろいろな方の支えがあって、希望校にご縁をいただけましたこと、心より感謝申し上げます。


2023年度

M・Sさんのお母様の中学受験体験記

2023年度 国学院久我山中・宝仙中理数インター 他合格

娘は小3年の2月から3年間アテナでお世話になりました。
まず塾選びですが、我が家は6つ上の長男が中学受験をしていたので大手塾・個人経営塾等それぞれの長所短所を私なりに把握していましたが、娘は大手塾と小規模塾、そして個人経営塾であるアテナの各体験授業を受けました。結果、娘は大手塾の雰囲気は殺伐としていて怖いから嫌だと言った為小規模塾とアテナと迷いましたが、最後は娘も私も宮本先生への好印象、課外授業やレクリエーションがあって楽しく学べそう!また5カ所見学した中で1番綺麗で整理整頓され勉強に集中できそうな環境が整っている、という理由でアテナに決めました。

入塾して1年目の小学4年生の頃はとても楽しく勉強ができ、成績も一番良いときは偏差値70をとることもありとても順調なスタートを切ることができていました。
アテナでは4年生は理科・社会はやらず5年生から始まるのですが、(理由は宮本先生に聞いて下さい。私は理由を聞いてとても納得しました)理科社会が始まったここから、5年生からが我が家は親子で試練の連続でした。

私は長男の時の反省を踏まえて娘には小学校低学年の時から歴史や理科の漫画本を娘に読ませていて本人楽しく読んでいたのですが、それでもとにかく暗記が苦手で苦手で全然覚えられない・・・。当然成績はみるみる下がっていき、そうなると本人のやる気もなくなっていき、私はとにかく何とかしようと反復して理科社会をやらせていたのですがそれでも一向に成果は現れない・・・。なんでだろう?と思っていた時に娘がカンニングをしていたことが発覚!実は入塾時に宮本先生から「子供はカンニングするものだと思っていてください」と言われていたにもかかわらず、娘が行き詰まり太ももに答えを書いてカンニングしていた事実を知った私は絶望的な気持ちになり宮本先生に泣きつきました。
でも宮本先生は笑って「なるほどー!太ももとはよく考えましたねー!お母さん、ここは私に任せて下さいませんか?」と言って下さり娘を叱ったり責めたりすることはせず、ただずっと娘の辛い気持ちに寄り添ってくださいました。すると娘は、苦手で辛いけれどでもやらなきゃいけない、という自覚が芽生えはじめ苦手ながらも懸命に取り組むようになっていきました。

また我が家は娘が受験をやる!と決めたときに、結果はどうであれ「とにかく一生懸命やること!」を目標に受験をしてきたのですが、娘は兄2人の三人兄妹の末っ子ということもあり、とにかくのほほんとしていてマイペース。そのため中学受験では有利とされる「自立」が本当に乏しい子でした。その為塾の宿題管理も勉強スケジュールも全て私が管理をしていたのですがやはりそれがいけなかった。思うように成績が上がらないのも拍車をかけて、自分で中学受験をする!と決めたにもかかわらずとにかくやらされ感満載で一生懸命やらない・・・。これには本当に悩まされました。
「もうやる気がないならばやめよう。そんな気持ちでは中学受験は乗り切れない。時間の無駄。」何十回この言葉を娘に言ったかわかりません。その位娘にとって「自立」は難しいものでした。
でもそんな中でも毎回宮本先生から励ましの言葉を頂き、なんとか6年の受験直前期を迎えることができました。

6年の1月になりいよいよ本番1か月前。1月は娘の希望で学校を休み、毎日朝から夜までアテナの自習室を利用させていただきました。そしてこの入試直前期の1か月間で私は本当にアテナにして良かったと改めて思いました。
限られた時間の中でまだまだやらなきゃいけない事が盛り沢山。志望校の過去問、例えば第一志望と第二志望以降の過去問をやるバランス、溜まっていた外部模試の解き直し、苦手科目の強化等まずどれを優先的に勉強すればよいのかわからない中で、いつでも先生に相談でき且つ具体的な指示を出していただけたのは本当に助かりました。これはアテナが少人数で、宮本先生が近い距離から子供の個性や成長度合いを常に細かく把握しているからこそ個々に具体的な指導ができたのだと思います。(あ、先生の国語記述添削は本当に細かいです。娘はこの添削のおかげで国語は苦労知らずでした)

また、志望校選定でも本当に宮本先生のアドバイスに助けられました。実は娘は入塾してからずっとA中学を志望していたのですが、A中学の過去問だけ何度やっても成績がなかなか上がらなく困っていました。その時に先生から「過去問の相性は結構重要で、娘さんとA中学との相性があまり良くないかもしれないので合格しても入学後に大変になるかもしれません」と言われ娘と話し合った結果、なんと1月に第一志望校、第二志望校を変更しました。
子供に合った適正な学校を選ぶ大切さ、偏差値で学校を決めない、学校の雰囲気や子供との相性を大切にすることを教えていただけて本当にありがたかったです。(結局娘は1月に初めて学校見学をして気に入った第二志望の中学に進学が決まりました)

今無事に受験を終えて私が思うことは、娘が一生懸命やることの大切さ、一生懸命やった人だけが味わえる達成感を感じることが出来て本当に良かった!です。
私は偏差値の良い学校だけが良い学校とは思わないので、娘が自ら選んだ学校に一生懸命挑戦したことが大切、どんな結果であっても努力して挑戦したことは立派なんだよ!と娘に胸を張って言うつもりでしたが、本人が私頑張ったー!私立派!と言っていたのでやめておきましたw。
親子で良い経験が出来て本当に良かったです。

宮本先生は3年間、娘を励まして、時には叱って、そして親の気持ちを代弁して伝えて下さり、課外授業やレクでは勉強以外の大切な社会のルール等を子供に教えて、親には子供との程よい距離の置き方をアドバイスして下さり本当に感謝しております。
これからも未来ある子供達のために、いつまでも活き活き先生で頑張って下さいね。
3年間、本当にお世話になりありがとうございました。


H・Nさんのお母様の中学受験体験記

2023年度 恵泉女学園中・晃華学園中・光塩女子学院中 他合格

2月4日、7校目の合格をもって娘の中学受験は終了しました。決して、平坦で穏やかな3年間ではありませんでしたが、中学受験をしないと得られなかった多くの学びがありました。身体が小さく体力も精神力も十分でない娘が最後まで走り切れたのは、ひとえに子どもたちの気持ちに寄り添い、心を惹きつける内容の濃い授業をしてくださった宮本先生、チューターの先生方、アテナの素晴らしい仲間のお陰です。心より感謝申し上げます。

<アテナとの出会い>
娘はもともと近くの大手塾へ通っていました。毎日、膨大な量の宿題と頻繁にあるテストをこなしながらも、徐々に力はつき、親は納得していたつもりでした。しかし、娘からは充実感どころかどことなく元気をなくしていくような様子がうかがえ、5年生の半ばあたりから、中学受験の要ともいえる算数が嫌い、と言うようになりました。授業ノートをみるとテキストとほぼ同じ内容が書き込まれ、問題と戦った形跡はありません。娘に「この問題の解き方をママに教えて。」というと、「よくわからない。」と。質問に行けない、解けない、わからない、それでも次の単元へと進んでいってしまう不安と焦燥感。娘の表情はとても暗く、これまで私も一緒に勉強してきていたつもりでしたが、子どもながらに悩み、苦しんでいたのだと反省しました。中学受験経験済みの息子も、算数出来なかったらきついよ。5年がいちばん大変だったから、と心配してアドバイスしてくるほどでした。
このままではきっと後悔すると思い、ネットや書籍で調べました。そこで出会ったのがアテナでした。早速、算数の体験授業を受けさせていただき、私も教室の後ろで見学させていただきました。まず、驚いたのが子どもたちの授業に対する取り組み方です。宮本先生の軽快なトークに皆が食いつき、積極的に挙手をしています。これまでとはあまりに違う授業スタイルに圧倒されてしまいました。宮本先生は、テキストにのったやり方にとらわれない、子どもたちにわかりやすい指導方法でテンポよくすすめ、子どもたちも聞き漏らしたくないといった感じで熱心に話を聞いています。また、チューターの先生の子どもたちとのやり取りがとても素敵で、小学生に対してなんて誠実なんだ!と驚きました。
「宮本先生の算数は面白い。今の塾とは全然違う」
「アテナいいかも」
帰りの車内で娘がそう言ったとき、私は転塾の意志を固めました。5年生の11月でした。

<日々の学習>
コロナの感染者数が連日速報で流れ、見えない不安と向き合う毎日でしたが、娘はアテナの友達と勉強も遊びも(受験生ですが)楽しんでいました。
算数は、宮本先生の解法がわかりやすいといって得意な科目になりました。宿題は大手塾にいた頃の半分ほどに減りましたが、テキストに頼らず必ず自分の力で解き切り、私は裏紙やノートをたくさん用意するだけでした。それまでいかに小手先のやりかたで算数をやっていたか、と痛感しました。また、解けない問題(我が家では15分以上1つの問題に時間をかけるのは時間の無駄と判断して)は、宮本先生に直接質問しにいったり、LINEでも質問対応していただけたので、忙しい時期は大変助かりました。
国語は、宮本先生の授業を受けるのみで、自宅では漢字と語彙の知識強化を行い、小テストで間違えたところや辞書で引いた語彙をノートにまとめ、復習するくらいでした。過去問演習が始まると、アテナでは宮本先生が記述問題を丁寧にみてくださり、丸をいただけるまで何度も書き直しをすることができました。娘の志望校は記述問題が多かったので、宮本先生に対応していただけて心強く、有り難かったです。
理科は、物理と化学をアテナで習得したといってもいいくらいで、宮本先生が作ってくださったプリントや理解度チェックテストを復習しました。受験が迫ってきた冬、先生からもっと理科社会を頑張って!と言われ、必死に暗記していました。暗記ものはゴロ合わせで覚える理科100で覚えました。
社会は、理科と同じく苦手としていましたが、過去問の解き直し→派生してテキスト資料を読み返す→興味が増す→丁寧に学習する、このサイクルが良かったのか終盤徐々に成績が上がり、好きな教科になっていました。それ以外では、Eテレの番組「歴史探偵」や同じくEテレの高校講座歴史編がわかりやすくまとめてあったので、録画して、時間のある時に観ていました。アテナで薦めていただいた、“一冊でわかるイラストでわかる図解日本史“もとてもよかったです。おすすめです。

<親ができること>
中学受験は、親のかかわりが大切といいますが、我が家では娘の体調管理、それと自宅での学習時間はそばにいて一緒に問題を解いてみること、それくらいしかやれていませんでした。大したことはなにもできませんでしたが、塾から帰宅したら温かい食事をだして、翌日は塾のお弁当を作り、なるべく笑顔で送りだしました。過去問と模試の結果については、一喜一憂しないことも心掛けていました。

<受験本番>
結果的に志望校はすべて合格をいただきましたが、大変苦しい受験でした。

2/1第2志望校、2/2第1志望校ともに合格をいただけず(正確には2/1は補欠でした)、このまま両校の第2回の試験を受けるべきか悩みました。娘の表情は暗く、すぐに宮本先生にお電話し相談しました。宮本先生は、これまでの娘の学習の経緯と精神状態、家族の意向をまとめ、両校ともに再度チャレンジすることを勧めてくださいました。その夜、娘は自分の意志で再度受験することを決め、2/3をむかえました。本当はとても苦しかったと思いますが、娘の表情からは第1志望も、第2志望も今日は絶対に勝ち取りたいという意思を感じ、落ち着いて試験会場へ向かうことができました。この娘の姿を見ることができただけでも、中学受験をやって良かったと主人と私は感じました。試験を無事に終え、帰宅後は2/4の試験に向け面接準備をしながら発表を待ちました。結果、第一志望校に合格、娘はほっとして涙を流しながら、すぐに宮本先生に報告していました。その後、第2志望校からも合格をいただき、波乱に満ちた我が家の中学受験は終了しました。

<最後に>
単なる受験勉強をして学びを得ること以上に、大切な経験をすることができたと思っています。最後まで諦めずに自分の意志を貫いた娘は、傍らで見ていてとても立派でした。アテナに通い、娘は能動的に自分の意志で動き、困難な場面を迎えたとき、それを乗り越える工夫や忍耐強さが身についたように思えます。
娘から、「私はあのまま大手塾に通っていたら、どこにも合格できなかったかもしれない。ママ、アテナを見つけてきてくれてありがとう。」と言われ、息子からの「そんなにいいなら俺も通いたかった」には大笑いしました。
娘が最後まで中学受験をやり遂げられたのは、常に温かくサポートしてくださった宮本先生、四季折々のイベントや日々の学習を丁寧にみてくださったチューターの先生方、そしていつも娘と仲良くしてくださったアテナのお友達、皆さんのおかげです。心より御礼申し上げます。


S・Tくんのお●様の中学受験体験記

2023年度 成城中・ 多摩大聖ヶ丘中 他合格

「サピックス 転塾 吉祥寺」
とりあえずサピックスに入塾できれば大丈夫かと、3年の2月に通塾をスタートするも、コロナ禍で休校、毎週毎週大量の教材が郵送されるのみ。通塾再開後も親子共々なかなか学習のペースがつかめず、下位クラス定着。上がらない偏差値と、溜まっていく教材を目の前に、息子を叱る毎日に私自身が疲労困憊。息子4年生の⒒月に冒頭のキーワードで検索、アテナ進学ゼミ主宰宮本先生のご著書「はじめての中学受験」に辿り着きました。早速購入し夫婦で拝読。常識9「途中転塾は絶対するな」は大ウソでサピックス転塾からの決断、体験授業を受け、失いかけていた学習への意欲を見せる息子の姿を見てうれしく感じたことを今でも思い出します。
が、しかし転塾後もスムーズに学習が進んだわけではありませんでした。目を離すと解答を見て書き写す、音読はしない、月例テストの直しも適当な姿に何度受験をやめようかと思ったことか。その度に息子に確認すると、「アテナは楽しいから辞めたくない」
どうにか親の目から見て受験生らしくなってきたのは6年の夏休みを迎えてからでした。冬期講習から1月の追い込みは、目を見張るものがありました。これも毎日教室を開放してくださったおかげです。

さて、受験生の親として失敗ばかりです。
まずは塾選び、我が子の性格を無視し、合格実績だけで選んでしまいました。4年スタートからアテナ通塾させられていればと後悔が残っています。
次に学校見学、もっと偏差値が上がってから見に行こうとコロナ禍を理由にして、実際に行ったのは6年になってからでした。遅すぎました。
最後に受験本番、宮本先生のアドバイスがなければ、とんでもない事態になりかねない四日間でした。2月1日午後に受験した学校に受かるつもりで、2日午後の受験を相談なく急遽やめたところ、まさかの不合格。これにより3日まで一校も合格がない状態で私が冷静さを失う中、息子がどっしりと構えてくれたのが幸いでした。
中学受験を終え、これらの失敗は私の覚悟が足りなさと、子離れできていないことによるものだと「はじめての中学受験」を読み直し、反省しているところです。

アテナ進学ゼミの学習は教室の中だけに留まらず、伊豆大島、奈良、スキー合宿、天体観測と体験させて頂きました。コロナ禍で学校行事が中止になる中、宮本先生のご英断には感謝しています。
アテナ進学ゼミでの経験を通し、息子は自立の道を進んでいます。我が子がこの様にたくましく成長したのは宮本先生のおかげです。大学進学後はチューターとして戻ってきたいと申しております。今後もどうぞよろしくお願い致します。


Y・Iくんのお●様の中学受験体験記

2023年度 芝中・国学院久我山中ST・早稲田佐賀 他合格

アテナ入塾の決め手は、4歳上の姉が通い、1/31の最終日に「もっと塾に行きたかったな」と言う言葉を思い出したからでした。こんな言葉が出る塾なんてあるでしょうか?第一希望の学校に入学できた今、宮本先生に感謝しかありません。サッカー大好きな息子は5年生からアテナに入塾しました。娘同様、授業は勿論、合宿、しゃかりかなどの課外授業も全て嫌がる事なく参加しました。親がなかなか連れて行けない所へ連れて行って下さる合宿やしゃかりかの体験は他の塾では決してありませんし、学びが深く、記憶にも残ります。本当にアテナの良さだと痛感しています。

息子は有り難い事に算数が得意でした。私には理解出来ませんが、駅のホームで到着時刻で計算したり、計算機との対決をしたりするほど数字、計算が得意でした。と言う事は、自ずと理科の計算問題が得意でした。上の娘は算数、特に理科が苦手で苦労したので、これは本当にラッキーでした。ちなみに計算がどうして得意になったかは分かりません。入塾前は公文をやっていたくらいです。確かに公文の算数はどんどん進めていましたが、それくらいです。しかし、国語の漢字、記述、社会の暗記、記述は苦手でした。何度、「算数が得意なんてすごいじゃん!後は覚えるだけじゃん!」と言った事でしょう。みんな覚えるのは出来るんです!やる気があれば…このやる気が出るのが問題で、6年生の夏くらいになってからでしょうか…

息子は説明が昔から下手で、で?みたいな感じでした。本も全く読みません。語彙も少ないので会話からも”そりゃ、記述苦手だよね…‘’と感じていました。中学受験、特に難関校は記述が多い事は姉の経験で知っていたので、これは克服しないと命取りだなと感じていました。そこから国語の実力アップ、宮本先生に教えて頂いた社会の記述の冊子をやり、都度、先生が丸つけをして下さりました。
まあ返ってくる冊子は先生のコメントで真っ赤でした。誤字脱字、話言葉、意味不明な説明、その上、字も汚い、それはそれは酷いもので”先生、すみません”と思いながら見ていました。解き直しは答えを写してもいいよ、それで書き方を覚えていくから、とお話頂き、ひたすら続けていきました。あの汚い字を根気よく添削頂いた先生のお陰で、結果、過去問の途中からは記述問題も点数をかなり取れる様になりました。

6年生の夏休みは受験の天王山です。
夏休みにやる事を全て書き出し、いつまでに終わらせるか計画を立て、終わったらチェックを入れていきました。コンプリは2周と苦手なところを何回もやりました。9月からは過去問が始まりますので、実力アップや先生から個別に推奨された問題集は9月までに出来れば1周した方がいいと思います。

アテナは宿題も他の塾より少なく、クラス分けもありません。大手塾には志望校別コースもあります。娘の時は同じ学校を目指すお友達が何人かいて刺激を受け切磋琢磨しましたが、息子の代にはいませんでした。この勉強量と内容で難関校に太刀打ちできるのか…耳年増になっていた6年生の夏前にふと不安になりました。転塾は考えませんでしたが、志望特訓だけ他の塾にも行かせるべきか…先生には大変失礼な話です。黙って他塾に行っても日頃良く見て下さる宮本先生には解き方などから分かるだろうな、と思い、失礼な事は重々承知の上で相談させて頂きました。先生はこちらの意図を汲んで下さり、他塾の色々なコースも教えて下さいました。アテナでも個別に志望校別にじっくり見て下さるとお話下さいました。今までや4教科全て見て下さっている先生が息子の理解度、やった方がいい問題等、分かって下さっている、個別に見て下さるなら、それに勝るものはないな、と思い、アテナ一本、宮本先生に全てお任せする事にしました。その後9月以降、波はありましたが、12月最後の四谷大塚の模試では第一希望の芝中学の志望者の中で算数1位、4教科で2位の成績を取る事ができました。この結果は嬉しく、先生にお任せして良かったと思いました。この模試で若干浮かれましたが、息子自身も”1回すごい良かっただけじゃん“と直ぐに冷静になりました。模試は模試で第一志望の芝中学の問題ではありません。しかもこの時点でもまだびっくりする漢字の間違えなどをする息子を見て、気を引き締め直しました。受験に絶対はありません、最後まで油断は禁物です。

受験はご縁と言いますが、うちは本当にご縁を感じています。説明会の予約がなかなか取れず、芝中学もトライしましたが取れませんでした。説明会当日、宮本先生から「キャンセルが出ていることもあるので学校のHPを何度かご確認下さいね」とLINEを頂き、当日だしなぁと思いながら見てみるとキャンセルが出ていました。授業があったのですが、「ぜひ行って来て下さい、後からフォローしますので」と有り難いお言葉を頂き、急遽参加する事ができました。そこで校長先生の親からも子供からも笑いが起きる分かりやすい説明に親子共々心を掴まれました。他の学校の説明会では居眠りをしてしまう息子の口から「遠くても来る価値あるよね!芝がいい」と言われ、そこから息子は一度もぶれる事なく走り続けました。

1月校も2月1日の芝中学の受験が万全の体制で受けらるように上旬の早稲田佐賀だけにしました。1月校でコロナなどをもらっては本末転倒です。充分気をつけて下さい。2月1日、宮本先生の激励を受け、芝中学の門をくぐり、出迎えて下さっていた大好きな校長先生に足を止め深々と頭を下げて挨拶をしていた息子を見て、この学校に合格したい!と言う気持ちを改めて感じました。その日の夜、合格発表はドキドキでしたが、合格を頂き、大喜びで先生にご報告出来ました。息子は自分で合格証を出力し、壁に貼っていました。

アテナはクラス分けなどありませんが、確実に大手に負けない良さが沢山あります。宮本先生はいつでも生徒の味方で最善を尽くして下さいます。百戦錬磨の先生を信じ、言われた事を黙々と実行してみて下さい。小さな事も相談し、アドバイスを受けて下さい。必ず成績は上がり、みなさんの志望校に手が届くと思います。
最後にこれからのアテナの繁栄とみなさんの合格を祈っています。宮本先生、チューターの先生、仲良く一緒に戦った6年生のみなさん、本当にありがとうございました。


2022年度

R・Mさんのお母様の中学受験体験記

2022年度 国学院久我山中ST・淑徳与野中・武蔵野大附属中B特待・浦和実業中A特待 他合格

「中学受験をすると決めて」
アテナに入塾したのは娘が小4になるタイミングでした。中学受験をするにあたり、知識もほとんどありませんでしたので、私自身関連する本をかなり読みました。その中でも「間違いだらけの中学受験」という本に出会い、共感できる部分が多々ありました。
巻末を見ると、著者である宮本先生は吉祥寺に教室をお持ちになっているとわかり、近隣であることにとても驚きました。近隣ならば一度見学させていただこうかなと思ったタイミングで教室説明会があり、参加させていただきました。ちょうどその頃、大手塾等の見学や面談もして、どこも親切な対応をしていただきましたが、アテナの算数パズル教室での子供の反応や宮本先生の授業を拝見して教室の様子も気に入り、入塾することとなりました。
また、中学受験の先輩お母さまから「大手進学塾に入れば安心ってわけではなく、塾は志望校とその子の相性があるので、小さいからといってダメではないよ」と背中を押されたこともありました。中学受験を終え、我が家にとってこの選択は良かったと思っています。

「小4」
入塾した当初は、女子一人の状況でしたが、アテナに通っている同級生の男のお子さんたちは皆さんとても優しく、また、宮本先生はもちろんチューターの女性の先生が本当に親切で優しく気を遣ってくださり、女子一人でも安心して通塾することができました。(その後、女の子のお友達も入塾されました)
入塾した当初は、習い事もまだ本格的に継続していて、周りのお子さんのレベルに圧倒され泣いている時期もありましたが、習い事と学校塾とのバランスも徐々にうまく取れるようになりました。算数がとても得意なお子様たちに刺激されるなど、少人数ならではの良さを感じました。
基本的には、授業、宿題、小テスト、毎月の月例テストを軸に勉強をしていましたが、それに加えて、記述の対策を今のうちにしておきたいと思い、宮本先生にお願いして、朝日新聞の天声人語の感想文を書くことを始めました。
「朝日小学生新聞の天声人語で感想文を書いてもいいですか?」とお願いしたところ、宮本先生が「いや大人が読む通常の新聞の中から取っ掛かりやすいものを選んだ方が実力がつくでしょう」というアドバイスを下さり、4年生にはまだ難しい文章なのではと思いながらも、大人用の新聞の天声人語を使用して感想文作成をしていました。
また、小4のこの時期に学校説明会、体験授業、文化祭など、週末を利用してイベントに参加する感覚で、私立、国立、都立、公立、偏差値の上下、女子校、共学と分けへだてなく、スケジュールが空いているところを学校見学にあてておりました。
まさか、このようなコロナ禍で小5からはほとんど学校見学が出来ない状況になるとは想像もせず、今となってはこの時期のお気楽な学校見学がその後の志望校選択に活かされるとは思いもしませんでした。

「小5」
小5のスタートは、コロナ禍でのスタートになりました。
数回の対面授業の後、コロナ禍で学校も休校となりました。これから大切な5年生のスタートなのに…と不安になりましたが、アテナもいち早くオンライン授業の対応をしてくださり安心できました。
理科、社会の授業が始まったばかり、算数は4年生のころとは違い難しくなり、とても不安になりましたが、出来る限り宮本先生が対応してくださり、学力が降下するのではないかという不安は払拭されました。
オンラインの対応や授業時間の変更など、すべてお一人で対応され、先生も本当に大変だったと思います。
算数の苦手意識は小4から続いていたのですが、5年生の秋ごろから算数の理解が早くなり、わからなくてどうしようもないというような状態(4年生まではわからずフリーズ状態が多かった)がほとんどなくなり、自分で勉強を進められるようになってきました。
これは塾での授業、宿題をこなす、小テストの対策をするなどコツコツと続けてきた効果だと思います。

「小6」
いよいよ小6になり、本格的な受験生となりました。小4、小5時代よりも勉強は進められるようになりました。勉強時間の確保が必要でタイムキープが大変でした。息抜きのつもりの読書に時間を費やしすぎ、こちらとしてはハラハラしている部分が多かったように思います。今思うと、この時間も算数の演習にあててくれていたら…と思うところはあります。

「志望校選択」
入塾当初は、女子校中心に考えていましたが、学年が上がるにつれ、共学志向が強くなってきました。また、体調面で制限が多く志望校は通学時間が短く比較的ラッシュが避けられる多摩地区にと絞られてきました。小4の時に、沢山学校を巡ったおかげで、学校へのイメージは何となくつかめていましたが、もう1回ぐらい説明会に行きたいなと思っていました。
そんな時、宮本先生が卒業生の方を呼んでくださり、面会の機会を作ってくださいました。武蔵野大学中学の生徒さんたちと浦和明の星の生徒さんが、中学校生活や受験時のアドバイスについて多岐にわたり長時間お話をしてくださいました。3人とも本当に聡明で学校でも最前線で活躍されているのがよくわかり(学校説明会でも登壇されていました)アテナ生は卒業後も学びの姿勢を忘れていないなと頼もしく思った次第でした。
9月になり、改めて志望校を考えると、共学と近隣という本人の希望により、地球学に力をいれている都立中学を志望するようになりました。他の女子中学も考えていましたが、9月以降の受験校に特化した対策を考えるとどちらかに絞ったほうが良いということになり、私立向けの塾でしたが都立の勉強もここから始めました。私立対策と都立対策の両方をすることになったのですが、本人の負担はかなり大きかったようです。
適性検査Ⅰ(作文)の添削は宮本先生にお願いし、普通の作文とは少し違った特殊な作文にも対応できるようになり、確実に実力はついたと思っております。今後の大学受験や就職試験、また社会に出てから活かされる力が確実に身についたと思います。

「入試を終えて」
中学受験の3年間はあっという間に過ぎたような気もしますが、今思うと貴重な3年間でした。勉強の出来不出来に一喜一憂し、偏差値の上下も気になりましたが、中学に入学した今思うことは、学校ごとの教育カリキュラムや先生方、授業の質、部活や委員会などの学校生活について、我が子にあった学校を探すことが大切だったのだなと思います。進学先の中学は、まさにご縁があったというしか言いようがなく、優秀な先生方やカリキュラム、生徒さんたちの雰囲気などが合っていて、入学出来て良かったと思います。中学受験期の志望校選択は偏差値基準になりがちですが、学校ごとのカリキュラム(例えば英語は週何時間あるか、内容はどうなのかなど)や授業見学などでの授業内容などが合っているかなどをしっかり調べるとよいかと思います。
また、中学受験で勉強したことはその後役に立つことは間違いありません。アテナでは自分で考えさせることが徹底されており、暗記よりも解き方をじっくり考えることが多く、学びの楽しさを味わえました。中学に入ってからの勉強は質量ともにハードですが、アテナで鍛えた胆力で入学以降の生活に問題なく馴染んでいて、アテナで鍛えていただいたおかげだと思っております。
最後になりましたが、宮本先生は、とにかく熱い想いをお持ちで一人一人に真剣に向き合ってくださいます。いただいたアドバイスも当時はわからなったこともありますが、今となってはあの時のアドバイスはこういうことだったのか!とよくわかります。志望校選択も先生のアドバイス通りで、今通っている学校ではとても楽しく過ごせています。さすが沢山の生徒さんと接していて我が子の性格も良く見てくださっていたなあと思います。本当に感謝しかありません。厳しくも優しく熱意を持って指導していただき、充分な力を身に着けることができました。3年間本当にありがとうございました。


Y・Iくんのお父様の中学受験体験記

2022年度 世田谷学園中・東京都市大中Ⅰ類・早稲田佐賀中 他合格

「百尺竿頭に一歩を進む」。北宋時代の禅宗の伝記の言葉はすでに達した極点を超えてさらに先に進むことを説いていますが、我が次男の中学受験の最大の悩みはここでした。と言いますと大げさかもしれませんが、模試や過去問では第一志望の合格圏に達し、通わせた私立小学校の付属の中学の推薦を有利な条件で得てからの誤ったエフィカシーと停滞とが、第一志望校の残念な試験結果につながっていたと確信しております。

何事もマイペースで自分の好きなこと、興味の赴くままにその日を過ごす。というのは小学生の男児には自然なことではありますが、そうした傾向の強い次男は五年生の初めに学校の担任の先生から「このままでは推薦、とくに併願推薦は危うい」と宣告されていました。

ところが、三年生の終わりから宮本先生のアテナに通い始めていた次男の成績は、その頃からみるまに伸び始めました。それは学校でも如実に発揮され、算数の習熟度別クラスでも平均前後のクラスだったのが一年で最上位クラスに移り、難関校の難問も楽しみながら解けるようになりました。国語も理科も社会も同様です。受験には直接関係のない、もともと得意な音楽や図工の成績さえ、さらに伸びるようになりました。

宮本先生の指導によるこの学習の伸びは長男のときにも経験したことで、確実に問題を解く力をつけるという結果をもたらしてくれます。殊に次男の小学校は受験校でもあり、絶え間なく学力チェックをする学校でしたので、宮本先生の指導の力を得た次男は、次々と試されるなか、そのたびに手応えを感じていたのでしょう。点数という成果を出し、面白いように学力を伸ばしてゆきました。

長男のときの第一志望は、実力よりも高めに目標を設定する、いわば「ストレッチ・ゴール」を設け、そこに向けて親子ともども努力してきました。親の思いとしては、後の大学受験への備えが整った学校ならば、と範囲は広く見ていました。第一志望を目指していればそうした狙いの学校には十分届くと。しかし、今回の次男は、当初ストレッチ・ゴールだと思っていた第一志望が、ストレッチとは言えなくなってしまいました。過去問も模試もそれなりの手応えを得られる圏内に入ってしまったのです。それはちょうど冒頭で書いたように付属の推薦が決まった十一月頃です。これで入学試験期間中に付属校の入試を受けさえすれば付属校へ進学できるため、強気の試験日程を組みました。学校の担任の先生も進路指導で応援してくださり、次男の志望校戦略は揺るぎないものになりました。

長男が第一志望の圏内に届いたのは最後の模試があった年の瀬で、その後も上り調子でした。しかし次男の場合ピークが早く来すぎたのです。夏の終りには合格圏内に届いてしまっていました。学校内でも、推薦判定の実力テストでは余裕をもって併願推薦の合格ラインをクリアします。しかし、伸びは踊り場に達した気配がありました。次男の第一志望校はある意味、難関校としても類のない特色のある学校で、開成麻布の合格圏内にいる子たちが合格者上位を占めると見るべき学校でした。ですから目標とすべき水準はそこにあったはずでしたが、本人の希望をさらに上方修正するには遅すぎました。また次男は、さらなるストレッチ・ゴールを受け入れようのないほどに、第一志望校を気に入ってもいました。

であれば、第一志望合格に向けて万全を期す、というのが唯一採れる選択です。しかし、できてしまう問題を何度もやらせるのは、本人のモチベーションも上がりません。まだ空白のページが目立った漢字日記や計算日記などの基礎に戻ろうにも彼にとっては面倒な機械的作業にしか映らなかったと思います。母親もその様子をみて焦り、一時、毎夜次男との口論になる日々もありました。母親は「ミスを少しでも減らすには基礎をやりなさい」次男は「今は記述式の問題を解いてるのにそんなのやっても意味ない」と。こんな口論で大切な勉強時間を潰してしまったことも、親としては反省の種でもあります。

そのことを宮本先生に相談したところ、難関校の問題を豊富に盛り込んだ問題集を勧められ、それを課題として受験までの日々を過ごすことになりました。しかし、そこでは時間内にできる問題とそうでない問題に明らかに別れ、解ける問題は志望校の偏差値に相当する学校、そうでないものはより高い偏差値の学校のものでした。次男にとってもその時期より高水準の問題を時間内に解けるように取り組むには、なぜ今からゴール以上のものが求められるのかという思いがあったでしょう。結果、次男の年末年始を挟んだ数ヶ月の受験前受験勉強は、第一志望校への強い思いとはそぐわない、どこか宙ぶらりんなどっちつかずのものになってしまいました。

冒頭、「誤ったエフィカシーと停滞」と書きましたが、その中身はこのようなことだったのです。まだ小学生の次男には酷ではありますが、実際には蓋を開けてみないとわからないことなのに、次男にはある水準に到達した気分があり、また親はその著しい成長と到達をみて、学校の先生はじめ周囲もそれを認めざるを得ない成績という既成事実に、万一への思考と努力が止まってしまったのです。

確かに次男は百尺の竿の先まで到達したのでしょう。しかし、その上に一歩進む、さらに確実なものにするところに停滞が生まれた。そこを親が気づきながらも十分にサポートできなかったのは今後の課題として残ります。親もあと一歩」進めなかったのです。それは次男とも話をし、少しは分かってくれたと思いますが、今は開放感のほうが勝っているようです。

次男が受けた学校もまた長男同様、大学入試にそれなりの備えがあり、さらに次男が興味を持てる特色を持つ学校ばかりです。そのなかの七戦四勝三敗。その戦績は満足ではありませんが、悪いことでもなく、学校選びには間違いはなかったところは救いです。そしてこの反省を活かせるか?という物語がこれからも続きます。大人になりなんらか仕事を始めれば、自分自身の中に生まれるエフィカシーをどう取り扱うかということも含めて、頑張りと成功は必ずしも結びつかないこと、さりとて頑張らないと沈んでしまうというのは世の常です。

「頑張った、受かった」というシンプルな物語ではなく、「頑張った、できるようになった、でも受からなかった」。ではいままでの頑張りは、本当に「頑張った」ことになるのか?という現実に向き合ったという次男の体験は大人への第一歩といえましょう。この体験はこの先なにかに向き合って努力する中で、万全を期すという前向きの力を与える反面、諦念という後ろ向きの力ももたらす諸刃の剣となるでしょう。しかしその諸刃を乗り越えてこそ本当の生きる力が生まれるとも思います。これからの大学受験を含めた将来に向けて、ひと回り大きくなる息子の成長を期したいと思います。

そんな息子の師として、モチベーションの醸成から成績アップ、そして広く世の中への興味を強く植え付けてくださった宮本先生に心より感謝の気持ちを込めて、この文章を終えたいと思います。


2021年度

R・Mさんのお父様の中学受験体験記

2021年度 富士見中・晃華学園中・武蔵野大中・西武文理中選抜 他合格

●中学受験のきっかけ
首都圏における中学受験については私も妻も地方公立中高出身であるため知識はもともと皆無で、小学生がのびのびと過ごすべき時期に詰め込み授業をこなすというややネガティブなイメージが正直なところでした。また大学進学の観点からしても結局は本人の努力にかかわることであり、公立で十分とも考えていました。ただ私が学生時代に知己を得た中高一貫校出身の友人達は、勉強や趣味に至るまで守備範囲が意外なほど幅広く且つ深く、また嫌みのない自己肯定感をしっかり持った人が多い印象でした。彼らに聞いてみると、その源泉というのは高校受験なしに6年間落ち着いて同じ仲間と過ごせる環境にも大いにあったとのこと。結果、教育方針に共感できる中高一貫校で学ぶこと自体が中学受験の目的の一つとなり得るのだと考えるに至りました。しかし、塾選びとなると本当にどこが良いのかさっぱり分かりません。どうやら大手だと、成績順によるクラス入れ替えや宿題の多さからして、小学生にはどうしてもやり過ぎに見えます。かと言って個人塾は中身がよく見えません。そんな中、地元にあるアテナ進学ゼミの宮本先生の著書「はじめての中学受験」を手にしました。こどもの睡眠時間の確保を尊重する姿勢や、先生が一人で全教科を担当する一クラス制であることの利点に共感し、最終的には娘自身が体験授業でアテナの雰囲気を非常に気に入ったこともありお世話になることとしました。

●通塾開始から志望校決定まで
新4年生(3年生2月)から始まったアテナの授業は、娘は楽しんで通っていたものの、初回の月例テストはかなり低い点数から始まり、もしかしてこの手の勉強に適性が無いのではと心配しました。ただ冷静に考えると、宮本先生が指定した課題や確認テストの存在や期限を親子ともしっかりと把握できておらず計画通りにこなせていなかったことに根本原因がありました。ここで3年間を通して役に立ったのは、「家族カレンダー」として売られている、毎日の予定が4~5名分書き込める月めくりの壁掛けカレンダーでした。これに計算日記・漢字日記や短文作成、指示されたテキストの練習問題などの予定を事前に書き込み、終わったら毎日チェックしていくようにしました。これをリビングにて壁掛けで共有することで意図せぬ提出漏れはほぼ消滅、また親としても今月はどんなテーマをやるのかということが把握できるようになり、娘・親ともストレスは大きく減ったと思います。また夏休み・冬休みなどは先生との個別面談に基づきテキストの基本・練習問題を総復習しました。これにより4年の夏休み以降は特に算数の成績が急激に上がり、本人も自信がついたと思います。
この後は、6年生の夏までは月例テストで算数はほぼ安定、国語は良いときもあるが読解がやや苦手かつ不安定、社会は暗記が足らず低迷、理科は計算問題は得意で暗記ものは弱い、という状態が6年前半まで続くことになりました。各科目の点数が安定しないのは若干気がかりでしたが、解き直しの時点では理解度が高かったため、あまり焦らずに先生を信じてアテナ授業をこなすことに集中することにしました。
志望校は本人が女子校を志向しており、4年生から学校見学に参加し始めました。学校見学では、先生方の話を聞き直接会話する中で、かなり具体的に校風が見えてきます。人気のある学校なのに「ちょっと違うな」と感じるところもあれば、逆に世間的にはあまり目立たなくとも明らかに素晴らしい校風・教育内容と思われる学校もありました。結果的に我が家では5年生の段階で晃華学園と富士見中学を候補として意識しました。どちらも魅力のある学校で、最終的にも両方とも第一志望、という位置づけのまま本番に突入することになります。

●6年生夏以降
さて6年生の夏休みになり、コンプリも期限内にしっかりと完了できたものの、9月から始まる過去問では思ったように点数が伸びません。マイナス60から場合によってはマイナス80となることもあれば、逆にあっさり合格点を超えることもありました。12月にかけて合格最低点までの差は縮まる傾向にはあったもののバラつきは大きく、1月になっても過去合格点を超える回数は少なく、不安が募りました。ここからは宮本先生に個別に相談して社会の暗記科目にひたすら集中するという対策をしました。逆にすぐに効果の出ない国語はこれ以上やらないと割り切りました。これにより、本番直前には社会の過去問平均が10~30点くらいアップし得意科目といっても良いほどになり、結果として「国語が振るわなくても最低〇〇点程度確保すれば算数と社会で〇〇点取れて合格圏内」という合格シナリオが客観的に描けるようになりました。2021年入試は晃華・富士見ともに人気が上昇で受験者は前年の約2割増で厳しい戦いになると捉えていましたが、アテナがこの最終段階での実力アップを可能にしてくれたことが受験日程の立て方にも好影響を与えました。
受験本番は、2月1日午前は第一志望2校の中で比べて過去問の相性が良かった晃華学園を選びましたが、受験会場から出てきた後に感想を聞くと、「難しかった」と不安そうです。ただ教科ごとにゆっくり話を聞いてみると、事前に立てた合格想定シナリオの範囲内に十分入っていると思われ、親としては心の中ではかなり行けるのではと思っていました。夜の発表では家族で一緒にPCの画面を除きましたが無事合格。初日に第一志望の一校をとれたことにより、すべてが楽になりました。
2月2日は、チャレンジ校として考えていた吉祥女子を受けることにしました。2月1日の午前の第一志望に合格したら受けるという条件で出願していたものです。ご縁はいただけませんでしたが、受験してかなりの手ごたえがあったことで本人の受験本番を終えての充実感に繋がったと思います。2月2日の午後はもう一つの第一志望である富士見中学の算数1科ですが、新規導入の前年より難易度が急激に上がったようで合格はならず。初日の晃華の合格は得ているものの、ここまでくると両方の合格は欲しくなっており、本人はかなり悔しかったようです。
実質最終日となる2月3日は、富士見の最終試験回でした。倍率も前年より上がっており発表時も本人はすぐにはPC画面を見ることができないくらいドキドキしていましたが、結果はうれしい合格。これで第一志望である2校両方合格という最高の結果で受験を終えることができました。

●アテナを通しての中学受験の振り返り
3年間を終えてみてですが、まずアテナからは当初期待していた小規模塾としての一人一人をこまやかに見てくれるメリットを看板に偽りなく十分に享受できました。そしてアテナの特色である課外イベント(秩父の地層見学、鎌倉探訪、富岡製糸場見学、伊豆大島や奈良合宿、そして親子BBQやスキーツアーに至るまで)を娘はいつも楽しみにしていて、全てに参加させていただきました。またクラス女子全体が仲良く友人となり、娘にとっては勉強の苦労はありつつも、悲壮感は全く感じられない充実した3年間であったと思います。もちろん大規模塾とは違い、システマティックなフォローアップという点では物理的に先生が手の回らない部分がどうしても出ては来ます。そんな場合は親のほうから積極的に連絡して不安点や子供の状況をこまめに共有すると十分にカバー出来ますし、逆により深いフィードバックも貰えるので良いサイクルになると思います。結果的に中学受験としての結果もしっかりついてきましたが、それ以前にアテナで中学受験をする過程自体に満足感を感じさせてくれる、そんな塾であったと思います。宮本先生、3年間お世話になり本当にありがとうございました。


H・Uくんのお母様の中学受験体験記

2021年度 中央大学附属中・立教新座中 他合格

●本人の特徴
愚息は、根は真面目ですが不定期にやる気が落ちる時があり、やる気のない時は抜け殻のようになります。また、「努力」することが苦手ですが負けず嫌いで、根拠のない自信で乗り切ろうとする事があります。よって目標に向かって黙々と頑張れるタイプではないです。反抗期にも突入しました。そんな我が家の受験のお話が少しでも参考になればと思います。

●中学受験を志した理由
先に述べた本人の特徴から、4年生の夏頃から親として考えた事が3点ありました。
①多感なこの先の6年間を、受験にとらわれることなく好きな事を見つけ、そのために努力する事、裏付けされた自信をつけてほしいと思った事。その先に興味を持った学問を学べる環境があったらより良い→大学附属校がいいのではないか。
②高校・大学入試改革により、主体性・思考力・表現力等が問われる入試内容について、今のところではありますが息子には厳しいものになると思った事。
③学区の中学校は内申点が取得難である事。
息子は受験するつもりはなく、「地元の友達と同じ中学へ進まない選択をする理由が分からない」という感じでした。何より、友達たちが楽しく遊んでいる時間に勉強するのはイヤだ、という態度でもありました。プラスとマイナスの要素から親が志し、そこへ息子を誘導したのかもしれません。
「努力」が好きではない息子ですので、誤解のないようにではありますが、省エネに…。まんべんなく学ぶのではなくピンポイントの全力の力で、ご指導によって何とか受験を乗り越えられないか…という甘い考えもありました。

●アテナに出会うまで
我が家はアテナの近くに住んでおり、共働きです。5年生のカリキュラムがスタートする頃(4年生2月)からお世話になっております。
それまでの勉強は、学童にお世話になりつつも遊びだけになってもいけないと、そろばんを低学年から通い、4年生から個別進学塾にて算数のみを、長期休みでは国語を少しプラスして学んでおりました。この時点では「学び方を学ぶ」に比重を置いておりました。また、趣味で歴史マンガと理科の分野の本を読んでいました。遊ぶ時間あっての勉強です。
先に述べた中学受験の志は決まれど、個人指導中心で受験を迎えるのは競争力に欠ける為、「一緒に頑張る人が見える所で学びたい」という息子の希望もあり、転塾する事に致しました。
吉祥寺周辺にはあらゆるタイプの塾が揃っており、沢山見て回りましたがしっくりくる出会いがなかなかありませんでした。その矢先、ふと帰り道で見上げたビルの上に「アテナ進学ゼミ」の看板を見て、どんな塾だろう?と思いました。調べてみると「自発学習を目指す」とあり、勉強だけでなく人としての成長に重きを置いておられる事、しゃかりかクラブや歴史や地理の学びとセットの夏期合宿等々、五感で学ぶイベントもあり、なんだか楽しそうでもありました。その姿勢と、宮本先生が全教科を教えて下さるというユニークさに興味を持ち、お世話になろうと決めました。入塾テストがないのも驚きでした。
体験初日に息子を迎えに行くと、わが子以外に勉強で残されたお子さんが居て、泣きながら課題に取り組む生徒とそれを励ます先生という光景を目にし「だ、だ、大丈夫?!」と思ったのですが、意味があっての叱咤激励とその後の優しいフォローを見て安心しました。ひとりひとりをきちんと見て指導されているのだな、と。
いざ通ってみると、先生はいつ休んでいるのだろう?という程、全学年の指導、イベント開催等々に全力で向き合って下さっており、「アテナは先生の生活、人生そのものなのだな」と思っております。

●親の役割
「親は冷静に」(が難しいのですが)をキーワードに、チームとしてどう乗り切るか、でした。チームメンバーは息子、親、そして先生です。先生はもちろん勉強を、そして行き詰った時のご相談をしておりました。息子は家で最小限の勉強しかしません。教科フォローとして主人が算数、理科。私は国語が全く進まない時に首を突っ込む程度で、スケジュール、健康管理が中心でした。
が、教科フォローは息子の反抗期レベルがあがり、6年生になるにつれ、「親には聞かない」になりましたし、一緒に解くと互いがイライラするという悪循環になるので、親は進捗を管理する程度のスタンスで着地し、精神面をサポートする事に注力を注ぎました。
冷静さといえば、月例テスト、合判テスト等で成績が上がった時には一緒に喜びますが、下がった時は「へ~。また頑張ろう」と気にしないそぶりを装い、本人がその結果にとらわれないように努めました。
日常、会話の一環として時事問題と絡め、事象の説明を促したり、息子から「これはなんだろう?」と質問を受けた時は、まずは自ら辞書で調べてみる事、親の答えに漏れ、間違いがないか、ネットで一緒に調べて共有するようにしていました。

●志望校決め
附属校に絞り、4年時は親が説明会へ行き、5年時に息子を連れて偏差値にこだわらず様々な学校をまわりました。とにかく気になる学校は早くから説明会等、体験された方が良いと思います。この1年はコロナでイベント中止も多く、オンラインでの情報ももちろん有効ですが、フィルターが通っておりますから百聞は一見に如かずで、文化祭等々での在校生との関わりは大事だと思います。
5年生の時点で第一志望 中央大学附属中学、第二志望 立教大学新座中学を勝手に設定しました。偏差値としては逆転していますが息子が「この学校にお世話になりたい順!」という事でこのように致しました。ちなみにこの目標は最後まで変わらずでした。今思えば息子が「根拠のない自信で乗り切ろうとする」のは、親も同様なのかもしれません。
話は戻り、中附はこの1年間校内に入るイベントは全中止でしたので、5年生時の訪問が決め手となりました。

●6年生になるまで
入塾するまで算数はわりと好きな教科でしたが、5年生のカリキュラムが進むにつれてつまずき、嫌いな教科になりました。とにかく取り組みたくない、取り組んでも分からなくなるとやらない。親から教えてもらうのは絶対に嫌だ、先生には(基礎が習得できていない事の露呈となるので)怖くてなかなか聞けないという悪循環です。
先生から口酸っぱく言われている図を描く事を省く事があり、従わない事もありました。

●コロナ禍の1年
未曾有の出来事ですからどこの塾も体制を整えるのに時間を要していた中、宮本先生の学びを止めないための敏速な対応がありました。動画配信(ライブ、録画ともに)にあたり、どのプラットフォームが使いやすいのかすぐに試して決断頂き、授業が止まる事はありませんでした。
この機会は親からすると、どんな授業を行っているのか見ることができる良い機会になりました。興味を持つように工夫された楽しい授業です!
そして子供の学習進捗もよく分かりました。息子は細かい進捗や宿題の確認をしても「あー、やった」「うん、ない(ないわけない)」位しか答えず、家では最小限の勉強でTVゲームをしているので、親が不安になる事がありましたのでこれで一目瞭然でした。
旧プログラムでは平日21時迄授業のため、正直、集中力の継続に懸念がありました。コロナ禍では「時間をかけただけ良い」でもないのかな、と思える時間の過ごし方でした。また、ラッキーだったのは、この頃動画配信になった事で、休んだ時は追って勉強ができた事。受験直前にも算数の項目を再び視聴させて頂き、確認、復習に役立ちました。
そうはいっても息子の最大の難関である「やる気がでない」「気分がのらない」日もあり、突発的に休む事もありました。先生は常に一定のスタンスで接して下さり、「休んで謝る位なら明日自習としてアテナへ来てやりなさい」と。逆にアテナへ行ったもののやる気が出ず、「今日は帰りなさい」と言われる日もありました。それは突き放すわけではなく、本人のやる気に寄り添い、そして時には人としてどうあるべきかをご教示頂くという、愛ある厳しいご指導でした。
第一弾の緊急事態宣言が明けた6・7月は全くやる気スイッチが入らず、成績も下がりました。家では「受験をやめるか」を何度も話し合い、息子から直接的な答えはありませんでしたが「アテナは絶対辞めない」と言っておりました。
おこなった対策は、とにかくアテナの授業がない日にもアテナへ自習しに行かせる事。基本家では勉強しないので、とにかくアテナへ足を運び、勉強しなければならない環境に身を置く事。先生に声掛け頂いて「質問しない」息子をつついてもらう事。

夏期講習終盤から志望校の過去問に取り組み始めましたが、各校特徴がありました。中附の国語は文章が特別長く、時間不足で苛立ち、その心の乱れが他教科へ影響しました。
立教新座は算数が難しく、10~20点台しか取れず、その苛立ちが他教科へ影響を及ぼすという同様の悪循環でした。2校とも家で過去問を取り組む際には途中で投げ出すことがありました。先生からも「ひとまず立教新座は過去問をやるのをやめよう」と諭される程でした。

秋に入り、立教新座にて体験授業を受ける機会があり、本人が忘れていた志望校への気持ちを盛り上げる事が出来たようでした。「志望校のパンフレットを机に置いて気持ちを高める」を試みましたが、そういう事で高まるタイプではないようで効果はありませんでした。

1月は毎日自習室を開けて下さるので小学校へは殆ど通わず、朝9時~16時にアテナへ通い、志望校の過去問と解き直し、今まで取り組み薄だった所の基礎学習補填を行っておりました。ここでぐっと目標に近づいた気が致します。
志望校2校の最低得点を大きく上回って安定してきたかと思えばケアレスミスをして宮本先生から「これは取れるはず!」と指摘され、奮起する日々。
頑張っている皆とアテナで一緒に過ごす時間が好きなようでもありました。
過去問で高い得点を得ると機嫌良く帰ってきました。間違えが少ない=解き直しが短時間で済む、イライラしない、の良い連鎖になるからで、帰宅後はリラックスして相変わらずTVゲーム三昧でした。言いたい事は山のようにありましたが、時期的にも、そして「日中は頑張ったしなぁ。」という事で、勉強へ駆り立てるような事はやめ(あきらめ)ました。
「基本」日々アテナですが、やはりやる気があがらない日が週に1回程あり、そういう日は家で何もしませんでしたので、家庭内は相当気まずい雰囲気でした。

●気分転換
友達と遊びたいという気持ちもありますし、何より制限の多い一年でしたからストレス開放、気分の上がる手立ては取り入れたいと思っておりました。散歩を提案しましたが「親と一緒に歩くなんてイヤだ」と断られました。TVゲームはご家庭によって考え方が色々あるかと思いますが、我が家では気分転換として与えておりました。
また、習い事として合気道とサッカーを6年生の9月まで続けておりました。コロナで中止が多かったのですが、身体を動かす事は勉強との切替えに有効でした。10月以降は、家ではなかなか勉強しないのでアテナでの自習強化とする為、この時期を区切りと致しました。
他には、気分が上がらない時に志望校2校へ向かいました。校門の前で「ここへ入りたいんだよね」「はい」というやりとりをしました。周辺の環境を見ながら「このレストランでご飯食べたいね」等、本人が通うイメージを膨らませられないかと考えていました。

●受験当日
2月5日迄の受験校は決めつけず、フレキシブルに案を考えていました。とにかく受験初日となる1月25日の立教大学新座中学が肝でした。その結果次第で「一勝はしよう!」案、「このまま攻めよう」案等を計画しておりました。
背景として、1月に入ったすぐの頃、2月1日午後受験予定だった学校の入試直前体験会に参加し、確かな手応えを得たのは大きかったです。こういった機会は参加される事をお勧め致します。当日の流れやトイレの場所、本番に近い問題を体験できます。
本人が一勝できると自信をつけた(この頃には根拠のない自信では無かったですし)為、先生と相談し1月半ば迄の入試が早い受験をやめました。コロナ感染も警戒しましたし、矛盾しているようですが、やる気のない日はあれど、試験に対しては淡々としていてあまり緊張をしないという特徴もありましたので「早めの受験で自信をつけ、よい波に乗る」というセオリーが息子には精神的に関係ないような気がしていて、そこを宮本先生が「〇〇君にはあまり関係ないようですよね。1月25日の合格が肝です。頑張りましょう」とお話頂いた時は息子の特徴をご理解頂いているなぁ、と改めて思った次第です。
1月25日入試初日、当日は電車遅延があり、全体で1時間近く予定が後ろ倒しとなり、14時頃に終了しました。早朝から拘束時間も長く、親としては「長時間戦になったので集中力が難しいかな…」と思いました。
息子は試験後、多くを語りませんでした。(宮本先生から「試験結果について他言無用」と指導されていたのを勘違いして試験後から親へ実行していたのだと後で分かりました笑)。
翌日1月26日の結果発表で合格を確認した時、息子は「宮本先生のおかげだ…」とつぶやきました。ちなみにこの日は朝からやる気ゼロでした。合格でエンジン再燃という事もなく。「マズイ、このまま2月1日を迎えられるのだろうか?」と…。この日から何かにつけ合言葉のように「あなたの行きたい学校は中附だよね?」「そうです!」を繰り返しました。

2月1日の中附受験日。なんと!前日早く寝たにも関わらず起床せず。布団をはぎ取って起こそうとした行為が気に入らないと、全く起きてこず。7:10過ぎまでその状態だった事から「今日は飛んだな(受験しない)」と覚悟しました。
なんとか支度させ、学校へ向かうも機嫌は悪い。宮本先生へ電話を掛けると、宮本先生も息子の声ですぐに状況を分かってくださったようで「笑おう。笑えないならハッハッハ!と言いなさい」と。とても小さい声で息子が「ハ・ハ・ハ」と返すと宮本先生から「もっと大きい声で!」と言われ、親子で「ハッハッハ!」と言って電話を切りました。気持ちを切り替えたのか黙々と学校へ入っていく息子へ「テストを楽しみなさい!」と声掛けし、本人は振り返る事なく入っていきました。
入試後開口一番。「楽しめたと思う!」と返ってきたので結果はともかく、今日は良しとしようと思えました。
翌日2月2日。中附の結果に歓喜し、合格書類受取りへ親子で学校へ向かいました。すると校長先生が証書をひとりひとりに読み上げて下さいました。合格の実感を得るとても嬉しいサプライズでした。受験期真っ只中でしたが、第一、第二志望校のうれしい結果を手にした息子は、証書を直接校長先生から頂いたことで緊張の糸がほぐれたのか、受験を終える事と致しました。

●感謝
中学受験を通して、努力が苦手で未熟な息子において、結果にとらわれず、目標に対して心を乱してでも小さな努力の積み重ね、プロセスを体感して自信へつなげる事。ご指導頂く事への感謝など、心の成長を何より期待しておりました。以前より少しはたくましくなったかな、と思います。
コロナ禍だった事で、息子の「友達との遊び時間を削ってまで勉強するのはイヤだ」という思いは、「誰もが外で楽しく遊べない」という状況でしたので、ある意味その思いを断ち切る事ができました。また、省エネ学習でチャンスをつかむ事が出来ないかという甘い考えは、他の同級生の皆さんと比較すると量という意味では下を向いてしまいますが、息子なりにできる努力の中で頑張ったかな、と思っております。
入試を終え、支えて下さった方々への感謝、受験を同じくして戦った全員が良い結果であるとは限らず、そういったお友達への応援、思いやりをもって発言する事もあり、自分の事だけではなく、少しだけ視野を広く捉える事ができるようになった事もうれしく思います。
アテナで一緒に学んだお友達たちからの刺激もよかったと思います。コロナ禍ですから雑談等々も限られ、イベントもできず我慢していた所もあると思うのですが、日々努力を怠らない素敵なお子さんたちばかりで、息子はいつもリスペクトしていました。特に、成績優秀な4名の男子を我が家では愛情込めて「四天王」と呼んでいました。4教科総計では敵わずとも、何教科かで勝てる実力を密かな目標としておりました。

宮本先生は褒めて伸ばすスタイルではない、かもしれません(笑)。ですが、勉強だけでなく人としての成長を重んじてご指導して下さいました。息子は愛ある厳しさに日々ビビりながら、「宮本先生と出会えて本当によかった。」と心から申しております。「受験をやめるか」と聞いた時「アテナは辞めない!」と言っていた事について、息子は「受験というより、宮本先生を信じてついていきたかったから」と振り返っております。宮本先生は息子の人生に新しい彩を与えて下さいました。また、文章を書く事が苦手な息子の体験記を読み、先生のおかげで文章も格段上手になっている!という副産物も頂き(笑)、ただただ感謝です!
中学受験はあくまでも息子の人生の通過点です。この先は息子がひとりで決めていく事も増えるでしょう。親子でチーム一丸となる事はこの先いくつあるのだろう、とも思います。今回の体験を通して、息子の自主性を重んじつつ、可能性、笑顔、冷や汗、緊張が入り混じった濃密な時間は、私たち親子の成長の時間でもありました。

宮本先生、大変お世話になりました。ありがとうございました。

●受験を控えておられる方へ
宮本先生は受験で得られるもの、そしてその先にある子供たちの心身の成長を熟知されています。ぜひご相談されてみてはいかがでしょうか。力になって下さるはずです。頑張ってください!


S・Iさんのお母様の中学受験体験記

2021年度 富士見中・山脇学園中・西武文理中選抜 他合格

3人きょうだいの3番目。上の兄二人がお世話になったので、迷わずアテナに入りました。兄と違って算数が苦手そうだったのと、兄たちが5年生から入塾して社会で苦労していたので4年から入塾しました。算数の基礎を固め、5年では社会や理科の暗記ものを頑張ろう!と(私が)張り切っていたのですが思っていた通りにはいかず、苦労しました。時間を確保し、勉強するには先ずは本人の体力が必要だということを痛感しました。アテナ以外にも習い事を二つ(ピアノと絵 ※)をやっていて、その日は、疲れてしまいほとんど勉強らしい勉強はできません。何も予定の入っていない平日は1日しかなく、たまに歯医者等の用事が入ってしまうと、本当に時間がとれませんでした。本人も疲れると、お腹が痛くなって動けなくなり体力の限界。無理に勉強させるわけにもいかず、たまに学校もやすんで充電していました。体調がもどると本人のやる気も復活し少しは頑張る→疲れて休む→元気になって頑張る、の繰り返しでした。

コロナ禍で学校が休校になる中、アテナではオンライン授業で対応してくださいました。宮本先生のオンライン授業、とても分かりやすく楽しかったです。わからなかった箇所を後で確認することもできて有難かったです。通学がない分、時間に余裕ができ、じっくりと取り組むことができました。

●算数について
算数は例題を授業でやり、類題→基本問題を解いていく流れになるのですが、類題を解くのに時間がかかり、基本問題をこなすのも一苦労。社会や理科の勉強をする時間がほとんどとれないけれど、
5年生の時点で算数を諦めるわけにもいかず、せめて基本問題レベルは解けるようになりたい、という気持ちでかなりの時間をかけてフォローしました。兄二人にも手伝ってもらいました。宮本先生に相談すると、授業ではちゃんと理解しているし大丈夫ですよ!時間がかかるのは大変だけれど、今理解しないでそのまま6年生になってしまうと大変なので今しっかりやってきましょうとアドバイスして下さり、なんとか頑張ることができました。あんなに苦手科目だと思っていた算数が、6年生最後には得意科目になり驚きました。

●国語について
本を読むのは小さい頃から好きで、自分で絵本や物語を書いたりして遊んでいたので国語はまあなんとかなるか、と気楽に考えていました。が、出題される文章によってムラが大きいのが難点でした。(物語文はいいが、説明文は苦手)模試で偏差値がいきなり15下がった時はびっくりして先生に泣きつきました。記述の練習が足りないということで、過去問や問題集の記述をしっかりと解くことで対応しました。

●理科、社会について
特に暗記分野は、5年のうちに頑張っておきたいと考えていたのですが、算数で時間がとられてしまい思うように勉強できないまま6年生になってしまいました。6年生の秋になっても社会と理科が足を引っ張りました。今までやっていなかった問題集のページに全て付箋をつけ、やったら付箋をとり、全部の付箋が取れるのを目標に頑張りました。

●志望校について
本人の希望である女子校を5年のうちに何校か見学に行きました。印象の良かった学校を最終的に2校に絞りました。第1希望の富士見中学が、2月1日午前・2月2日午前と午後(算数1科)・2月3日午前と、受験するチャンスが沢山あったので、合格するまで受け続けるつもりで計画を立てました。
第2志望校は2月1日午後(山脇の算数1科)で、午後に1科目だけというのは4科目に比べて随分楽でした。兄達の時は午後4科目で大変だったことを思い出しました。

●冬期講習
模試は結果が安定せず、6年2学期に入ってから下がり続けていました。過去問も、最初はいきなり合格最低点を超え、油断してしまったのか、これも下降気味。どうしよう!と思ったところで冬期講習に突入しました。一通りの復習ができ、算数は個人のレベル&志望校に合わせて宮本先生が解く問題を指定してくださいました。社会と理科もこの講習後、過去問の結果が安定して合格最低点を連続して超えることができ、本人の自信になりました。

●1月から受験当日まで
1月に入ってから小学校にどのくらい行くのか休むのか、悩むところだと思います。娘の通っている小学校は今年はコロナの事もあり例年よりもお休みが随分多い印象を受けました。娘は、前半は週の半分ほど登校し、後半は毎日朝からアテナで勉強しました。今までにない程頑張っていたので、もうやめて休憩すれば?とこちらから声をかける程でした。ここまでくると、親のできることは体調管理くらいで、ちゃんと食べて睡眠時間を十分取るように気をつけました。
受験当日は落ち着いて受けることができました。幸運なことに受験した2校とも合格することができ、家族全員で喜びました。

●習い事について
・ピアノ(6年生7月末まで。お休みして、2月中旬から再開)
レッスンのために普段から練習が必要なので大変でしたが大人になってからも趣味として楽しんでほしいとの親の強い希望から、本人を説得し続けることができました。ピアノの先生にもご理解いただき、練習曲数を減らすなど対応していただきました。
・絵(受験直前の1月だけお休み。受験直後から再開)
本人の強い希望と気分転換のためにやめませんでした。当日行って絵を描くだけだったこと、場所が近所だったことも大きかったです。

●最後に
子供たち3人が納得のいく形で中学受験を終えることができたのは、宮本先生のお陰です。不安がある時、迷っている時にすぐに相談できる!というのは非常に心強かったです。本当にありがとうございました。


K・Yくんのお母様の中学受験体験記

2021年度 桐朋中・国学院久我山中ST・西武文理中A特待 他合格

中学受験が終わった今、四月からの中学生活に胸膨らませ、「どのクラブに入ろうかな」と学校案内を眺める息子を見て、改めて「よく頑張ったね」という気持ちとともに熱いものがこみ上げてきます。無事第一志望合格というハッピーな結果で、終わってみればあっけなく過ぎていった三年間だったようにも思いますが、最後の一年は、コロナ禍も加わり、精神的にもなかなか大変な年になりました。我が家の受験までの道のりを振り返ってみたいと思います。

●中学受験をするという選択
息子の中学受験は、本人の「私立に行きたい」という希望からスタートしました。4歳上の長女が宮本先生にお世話になり、充実した中学・高校生活を送っているのを見ていたので、息子が「受験したい」と言い出したのは自然な流れだったように思います。ただ当時、親としては、「行きたい学校があればチャレンジすればいいけれど、だめなら地元の公立中学から高校受験すればいい」という考えで、積極的に「是非とも私立に行かせたい」という思いがあったわけではありませんでした。本人がやりたいのならとりあえずやらせてみよう、という気持ちでアテナ通塾がスタートしました。(この、覚悟を伴わない中途半端な動機が、後々私を苦しめることになるのですが…)

●塾選び
先に触れたとおり、4歳上の娘がすでに宮本先生にお世話になったこともあり、息子の塾選びはアテナ一択でした。他塾に目が向かなかったのは、宮本先生への信頼感からに他なりません。宮本先生は、細やかに子供の様子に目を配ってくださり、それぞれの子供の個性に応じてアプローチを変えながら指導してくださいます。全力投球の授業は子供を惹きつけ、時には本気で叱ってくださる姿に、子供は絶大な信頼感を抱くようになるのだと思います。これは、親についても同様で、私の泣き言とも愚痴ともつかない受験期のモヤモヤにも、先生は嫌な顔ひとつせずに対応してくださいました。これは本当にありがたかったです。他塾に通うお友達のお母さんから、「信頼して相談できる先生がいなかったから、併願校もすべて自分で決めるしかなかった」という話を聞き、改めて宮本先生にお世話になってよかったと実感しました。中学受験は親の関わりの比重がとても大きいので、親子ともに、塾との相性はとても大切だと思います。子供はもちろん、親もしっかりとした信頼関係を築ける先生との出会いが、中学受験のキーだと思います。

●子供の勉強に親がどの程度関わるか
塾での勉強が始まったばかりの4年生のころは、「何を習ったの?」「宿題は何?」「確認テストの勉強は大丈夫?」と声掛けもチェックもしっかり行い順調だったのですが、5年・6年と学年が進むにつれ、反抗期も重なり、声掛けしても、チェックしたくても、「わかってるから!」「言わなくていい!」「見ないで!」、挙句の果ては「お母さんの指図はうけない!」と。それで成績が上がっていけば親としても文句はありませんが、乱高下が続く中、そばで様子をうかがいながらヤキモキする時期が続きました。先生からは「放置で大丈夫です」とのアドバイスだったので、子供を信じてやりたいようにやらせるしかないと半ばあきらめ、でもやっぱり時々小言を言っては喧嘩になり、というサイクルを延々と繰り返していました。実は、受験直前期になっても算数の成績が思ったように伸びず苦しんだ為、「やっぱり放置せずに横についてもっと管理してやらせればよかったのかも…」と後悔しました。でも、今冷静に考えると、言うことを聞かないから放置したわけで、隣について細かく指示したところで、子供が素直に親の指示を受け入れることはなかったでしょう。喧嘩が増えて親子関係が険悪になるくらいなら、ぐっと我慢で見守り、どうにも耐えられなくなったら宮本先生に愚痴って、先生からバシッと一言子供に言っていただくのがやはり得策だったのだと思います。

●学校見学
宮本先生から、「学校見学は時間のある4年・5年のうちに、偏差値にこだわらず幅広く」と常々言われていたので、4年時から、本人の希望する男子校に絞って偏差値の高い学校から順に気になる学校を見学に行っていました。しかし、ここに落とし穴が!4・5年で気になる学校は見学を終え、6年生になったら成績を見ながら併願先になりそうな学校を見て回るつもりでしたが、2020年はコロナ禍でほとんどの学校見学、学園祭がオンラインになってしまいました。さらに、男子校しか興味のなかった息子が、6年生になってから共学校にも興味を示し始めました。つまり、共学校と、併願校候補になりそうな偏差値帯の学校を全く訪問できていないという状況になってしまったのです。結局、追加でなんとか4校を見学することができましたが、それでも併願校選択の際にはとても苦労しました。
これから受験される皆さんには、ぜひ、「共学・別学にこだわらず」「幅広い偏差値帯で(上から順に、ではなく)ランダムに」「早めに数多く」学校見学されることをお勧めします。

●志望校決定
成績の乱高下に合わせて、息子の志望校もコロコロ変わり、かなり振り回されましたが、6年の夏ごろにはほぼ第一志望校が固まりました。ほかにも2校行きたいと思える学校が見つかり、1月に志望校表を先生に提出したのですが、「安全校が組み込まれていません」と返されてしまいました。確かに志望校3校はほとんど同じ偏差値で、誰が見ても全落ちのリスクの高いラインナップでした。しかも、過去問の出来も良いとは言えず、というより、第一志望も安定して合格最低点をクリアできている状況にはなく、第二・第三志望の学校に至っては、最低合格点を超えることがなかなかできない状況でした。先生のアドバイスを踏まえ、家族会議を開きましたが、息子は「見たことも行ったこともない学校なんか受けたくない」「行きたい学校しか受けない」「落ちたら地元の公立中に行って高校受験する」の一点張り。夫も「息子の意思、彼なりのプライドを尊重すべき」と、敢えて安全校を組み込むことに反対。そうなんです。私も「行きたい学校を受けて、ダメだったら公立に行けばいい」と思って息子の中学受験をスタートさせたはずなのです。中学受験は人生の通過点に過ぎず、もしうまくいかなくても決して失敗なんかじゃない。ずっとそう思って息子の受験に向き合ってきました。でも。数週間後に迫る受験を前に、私の心はグラグラと揺れはじめました。もし、一つも合格をいただけなかったらどんなに子供の心が傷つくだろう、中学受験をしたこと自体を後悔することになりはしないか、たとえ結果的に行かないという選択をすることになっても一つでも合格をもらったほうが自信をもって次へのステップに踏み出せるのではないか。中学受験ができるチャンスは今年限り。大学受験のように、また来年チャレンジすることはできないのです。「やっぱり受けておけばよかった」と後悔することは絶対に避けたい、というのが母親である私の正直な気持ちで、悩みに悩んだ私は「併願校どうしたらいいのか答えが出ません」と宮本先生(=もはや駆け込み寺)に相談し、もし、1日目も2日目も×が続いたら、安全校の受験を先生から息子本人に提案していただく、という案に落ち着き、とりあえずは息子の意思を尊重した形で受験を進めることにしました。「子供の意思を尊重する」ということについて、今回の受験では本当にたくさん悩みました。まだ人生経験の少ない12歳の子供には、未来を予測して予防策を講じることは難しいと思います。だからこそ、親がある程度誘導することも時には必要でしょう。一方で、12歳といえどもしっかりと意思をもった一人の人間であり、無理強いすることで子供の人生(心)に傷をつけることにもなりかねません。親の関わりの匙加減が問われるのは、子供が発達途上にある中学受験ならではだと思います。

●いよいよ受験本番
1月は学校をお休みして毎日アテナに通い、朝9時から遅いときは夜の7時半まで過去問演習と算数克服に励みました。相変わらず過去問の出来は合格最低点を超えたり超えられなかったり。でも、本番に向けて集中力は徐々に高まっていきました。また、1月初めの埼玉受験で特待A合格をいただけたことは自信につながり、過去問演習でうまくいかなくても、くさらず投げ出さず頑張れたように思います。家では、「過去問の結果は気にしなくて大丈夫。今日できなかった問題が本番で解けるように練習すればいいんだから。できない問題が今見つかってよかったね」と、ひたすら明るく接するように心がけました。
2月1日午前、第一志望の受験。前日まで、「全然緊張しないんだよねー」と言っていた息子でしたが、受験当日、駅から学校まで歩きながら、どんどん顔がこわばってくるのが見て取れました。今年はコロナで学校前での塾の先生の激励も禁止だったため、電話で宮本先生から激励を受けて、「うん!ちょっと安心した。行ってきます!」と会場に向かっていった息子。頑張れ!と祈りつつ私はいったん帰宅し、午後受験のためのお弁当を作って再度お迎えに行きました。会場から出てきた息子は開口一番、「ねぇ、もう一回ここ受けていい?」「えぇ?どういうこと??」「算数しくじった。明日リベンジしたい」要するに、たぶん不合格、と本人予測。2日の午前は既に「適正校」を出願済みで、そこを逃すと本当に全部不合格になっても不思議ではない状況だったので、「とりあえず、結果がでてから宮本先生に相談しよう」とお茶を濁して午後受験校へ向かいました。
午後受験校終了後、「算数ダメだった」と疲れ切って出てきました。「よく頑張ったね、今日は早く寝て明日に備えようね」と明るく言ったものの、「あー、今日はダメだな。明日どうしよう」とそればかり私の頭の中でグルグル回っていました。22時に第一志望校の合格発表。ドキドキしながら家族全員パソコン前に集合して、結果を確認。なんと!「合格おめでとうございます」の文字が画面に現れました。「やったー!」と泣きながら叫ぶ息子を見て、キツネにつままれたような思いでした。朝、志望校の前に立った息子の「あー、オレやっぱりこの学校に通いたいなぁー」の一言が、学校に伝わったとしか思えません。これが「ご縁」というものかしらと感慨深く、熱望した学校にご縁をいただけたことに感謝すると同時に、答案用紙に思いのすべてをぶつけて最後まであきらめなかった我が子の頑張りを褒めたいと思いました。続く午後入試結果は残念ながら不合格。宮本先生に結果報告の電話をして、2日以降も出願済みの学校は受験することを伝えました。結果、2日午前は合格、しかも逆スライド合格をいただいて1日のリベンジ成功。2日午後、4日に受験した学校は不合格。こちらの学校は過去問の相性がとても悪かったので、ある意味納得の不合格でした。

●受験を終えて
受験勉強の3年間はあっという間だったのに対して、4日間の受験期間はずいぶん長く感じられました。2月1日、2日と、午前午後ダブルヘッダー受験が続いたのは、精神的にも体力的にも大変だったと思います。が、12歳にしてこの一大事を乗り切れたことは、子供にとって大きな自信になったはずですし、精神的にも一回り成長したように思います。
受験が終わった今、息子は渦中にいたときには口にしなかった本心をポツリポツリと話してくれます。私は、改めて彼の第一志望校への思い入れの強さを知りました。まだまだ頼りない子供だと思っていたけれど、彼なりに進路についていろいろなことを考えていたことも、彼なりに覚悟をもって受験に臨んでいたこともわかりました。「子供の意思をどこまで尊重すべきか」悩みに悩んだ私ですが、「最終的には子供を信じて意思を全面的に尊重して大丈夫だったはず」と、今なら言える気がします。もし1日午前で不合格になっていた場合、2日に再チャレンジさせなかったらきっと後悔することになっていたことでしょう。どう転ぶか不確定要素の強い中学受験において決断を迫られる親の舵取りの難しさを痛感しました。
そんな難しい中学受験の道のりにおいて、的確なアドバイスで安心感を与えてくださる宮本先生の存在はとてもとても大きなものでした。コロナ禍においても、常に子供と親が安心できるように環境を整えてくださり、工夫を凝らして学びを継続させてくださったこと、LINEで24時間無休で質問対応してくださったこと、1月は休みなく塾を開けて過去問等の個別対応を続けてくださったこと、疑問・質問に丁寧に答えてくださり不安を取り除いてくださったこと、本当に感謝しかありません。3年間親身になってご指導くださり本当にありがとうございました。採点や質問対応してくださったチューターの皆さんにも、感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、一緒に頑張ってきた仲間たち。良きライバルとして一緒に頑張ってきたお友達がいたからこそ、
つらいことも乗り越えられたのだと思います。みんな、ありがとう、そして、おめでとう!みんなが元気に充実した中学生活が送れますように、心からお祈りしています。

最後に、これから受験を迎える受験生のみなさんのご健闘をお祈りしています。親子ともに体に気を付けて頑張ってください!


M・Fくんのお父様の中学受験体験記

2021年度 武蔵中・東邦大東邦中・城北埼玉中特待 他合格

『首都圏模試センター主催模試 偏差値44(小5秋)からの挑戦』

中学受験を検討したのは、中高一貫校に入学すれば6年間受験を気にせず過ごせるうえ、内申等を気にしないといけない高校受験より、試験の点数のみで決まる中学受験の方がフェアであると考えたからです。また、アテナ進学ゼミを選んだ理由は、4年生の間は算数と国語のみの授業で負担が少なく、土日には授業がないため、少年野球を続けることができると考えたからです。そして5年生になり、アテナでの土曜日の授業が始まったため、野球を辞めるのか、野球は出来る範囲で続けアテナに継続して通うのか、土日の野球を完全に継続するために土曜授業のない塾へ転塾するかの話し合いをした結果、土曜日は授業が始まる夕方まで野球をし、夕方からアテナに通うという本人の希望を受け、アテナに継続して通塾することにしました。おそらく、アテナの友達と宮本先生が好きだったのだと思いますが、5年生の秋頃は、土日の野球の試合や練習、土曜夕方からの通塾に加え日曜の模試が重なったため、勉強のみに集中できた6年生よりも捉え方によっては大変だったかもしれません。
結局野球は6年生になる直前、新型コロナウイルス感染症拡大の影響が大きくなり活動が休止となるタイミングまで続けましたが、小学校3年生後半からはじめた野球や、幼稚園の年中から小学校4年生のはじめまで続けた水泳のおかげで体力がついたことが、結果的に中学受験を乗り切るうえで非常に役に立ったと感じています。なお、体力の維持と気分転換のため、6年生の十一月頃までは学校の体育等とは別に、週に1~2時間程度は何らかの運動(バッティングセンター通いやランニング等)を心がけていました。

保護者の中学受験体験記として僭越ながら個人的な意見を3つ述べさせて頂きますが、必ずしも皆様に有用な情報ではないと思いますので、ご納得頂ける部分だけ参考にして頂ければと思います。なお、既にご存知の方も多いと思いますが、人気ブログ「中学受験をわらう」には、役立つ内容が多く記載されています。ご存知ない方はご一読をお勧めします。

一つ目はアテナ進学ゼミの強みを最大限に活かすべきということです。アテナには大手進学塾に劣る面もありますが、一方で圧倒的な強みもあります。それは、疑問点があれば、すぐに質問(LINEでも)でき、しかもすぐに解説が返ってくることです。大手塾では表向きは「質問対応や添削対応をしっかりやります!」と宣伝している塾もありますが、どうでしょう。ひどい場合には添削課題を提出しても1か月以上放置ということもあると耳にします。食べ放題に行って、ほとんど食べずに帰る方はいないと思います。アテナは質問し放題です。是非、授業料をはるかに上回るほどの質問(質問対応に授業時間を上回る時間が必要なほど)を宮本先生に浴びせることをお勧めします。

二つ目は模試の活用方法です。アタックテスト(月例テスト)は、算数のみ注視していました。理科・社会は点数や偏差値に一喜一憂する必要はなく(良いときだけ喜ぶことで十分)、解き直しさえしっかりすれば問題ないと思いますし、国語はまったく気にかけていませんでした。理由は、アタックテストの理科・社会は記憶の定着を問う問題が中心であり、国語は個人的な見解ですが、品質が非常に低いと感じていたからです。ただし、算数、理科、社会、国語(漢字のみ)の解き直しは1回では不十分ですので、記憶を定着させるためにも時間をおいて2~3回は実施することが望ましいと思います。また、受験校を決定する際には母集団の少ないアタックテストを参考にはせず、母集団が多く、そのうえ母集団のばらつきが良い合不合判定(四谷大塚)や、母集団が本番に近い冠模試(SAPIXや早稲アカが主催)を基準にすべきだと思います。
そして、模試を受験した日の午後に過去問を実施することをお勧めします。それも、可能であれば1科目入試校もしくは2科目入試校を含めて2校分(模試を入れれば、1日最大10個の試験)を実施することをお勧めします。模試の結果が2月1日の午前試験で出せる実力、過去問が午後試験や2月2日に出せる実力だと思います。1日9~10個の試験を行うのは体力的に非常に厳しいですが、2月1日の週は体力的にも精神的にも非常に厳しい戦いになると思います。なお、我が家では、わざと模試開始ぎりぎりに到着するように出発し、走って模試会場に入ることを敢えて実施しました。この経験は東邦大東邦の試験に遅れそうになりましたので非常に有効であったと考えています。

三つ目は親として最も重要なことですが、あらゆるケースを想定した受験パターンを遅くとも6年生の夏頃までには準備し、宮本先生と相談しておくことです。ただし、少人数とは言え、生徒すべての細かな情報まで宮本先生が把握されているわけではありませんので、受験校の選定は必ず子供と親が主体で選定する必要があります。また、偏差値的に実力相応校や安全校であっても、過去の入試結果において得意科目の合格者平均点と受験者平均点の差が小さい場合は、得意科目で差が付きにくいということですので、思わぬ結果を招く可能性があります。なお、進学の可能性はないものの、試験慣れのために受験するという判断は良く理解できますし、それを見越した対応を行う学校もありますが、我が家では1月校もすべて学校見学会や文化祭訪問、過去問結果等を通して進学先候補として選んだ学校です。そういう意味では試験慣れのための受験はなく、すべてが本番でした。また、1月校の合否による2月2日以降の受験パターンに加え、2月校の試験結果の確認タイミングも2月前半校の不合格による精神的な影響を最小限に抑えるため、あらかじめ決めていました。

何れにせよ、この過酷な中学受験を乗り切れたのは、模試の結果にまったく一喜一憂せず、もくもくと文化祭の日程確認や学校説明会の申込、お弁当の準備や出願準備等をこなした中学受験経験者の妻の胆力の賜物だと思います。


K・Uさんのお父様の中学受験体験記

2021年度 三輪田中・跡見学園女子・十文字女子・宮崎日大 他合格

我が家がアテナ進学ゼミにお世話になることを決めたのは、まだそこまでコロナのニュースが世間を賑わせていなかった、娘が5年生の2月の時でした。4年生の夏期講習から栄光ゼミナールの集団と個別の両方に通っていたのですが、1年半以上通塾したものの結果が全く出ず、6年生を目前にしてこのままここに通い続けて良いのだろうか?と思ったことがきっかけでした。

栄光ゼミナールでは、国・算・理・社の集団授業に加えて、苦手科目の算数は個別授業も受講していました。毎回授業で演習する問題や課題、宿題はかなりの量になっていて、宿題は何とかこなすだけで精一杯で、ひとつひとつの問題を丁寧に理解して進めて行くということは出来ていませんでした。先生は科目によって異なり、また割と頻繁に人事異動も有るので、先生のレベルや教え方は安定していなかったと思います。また、娘は、国語はそこそこの点数を取っていましたが算数が全く…という状況だったのですが、仕方ないことは理解していましたが算数の先生はそこだけを見て、他の教科とのバランスは考えずに宿題や課題を出すのでどの教科も結果として中途半端な学習に終始している状況でした。

宮本先生にお世話になるようになり、まずは1人の先生に全教科を教えて頂けることの良さを実感しました。4教科それぞれの進捗を見ながら宿題のバランスを調整して頂いたり、「今は練習問題はやらなくても良いから、まずは基本問題だけを」と個別対応して頂いたりもしました。そして何よりも「この先生に最後まで付いていこう!」と思える先生に出会うことが出来たことが、親としては何よりでした。この感情は前述の大手塾に通っていた時には生まれなかった感情で(以前の塾では塾そのものや先生方に対して何かしら不信感のようなものを抱きながら通塾しておりました)、このことは本当に大きなことでした。
またこの場を借りて改めて感謝、お礼を申し上げたいのがコロナ禍対応です。通塾のままならなかった数か月間、早々にリモート対応に切り替えて頂き、分かりやすい板書と解説を配信して頂いたおかげで通塾時と比べてほとんど差を感じることのない授業を受けることが出来ました。改めてありがとうございました!

他の生徒さん達よりも入塾も遅く、また学習レベルも上記のような状況でしたので、我が家の中学受験期間中というのは紆余曲折、波乱万丈、乱高下…の繰り返しという感じでした。娘は自主的に中学受験を志したわけでもなく、また親である私も強い意志と信念で中学受験合格を何が何でも勝ち取るんだ、というわけでもなかったので、何度も中学受験そのものを止めようかと家族で話合いすることもありました。親に言われなければ一向に勉強に向かわない学習姿勢、宿題を何が何でもやり切ろうとしない態度、途中の計算式を書かない、漢字の止め、はねの再三にわたる誤りなど何度注意しても直らない悪癖、机に向かってはいるが頭の中は別のことを考えているらしく一向に進まない課題…。親はこれらを改善させる為に指摘をするが、娘はそれに対して反抗期も相まって勉強どころではない親子喧嘩が勃発、さらにそこから夫婦喧嘩に進展することもありました。

今、改めて当時のことを思い返してみても、娘・父・母・犬(この存在は我が家にとってはとてつもなく大きいものでした)、各自がそれぞれのポジションで戦っていたのかなと思います。各自ポジションは違えど、それぞれに与えられた役割を決められた時間の中で消化していくということには変わりがなかったと思います。どうにもならないことも幾度となくありましたが、そういう時はとにかく家族全員で話をして、家族全員が同じベクトルに向かうようにだけは注意していました。受験に対して、学校に対して、友達に対しての考え方は同じように、ズレは出来る限り無いように心がけました。
またたとえ宿題が終わっていない時でも、夜10時にはベットに入るようにしました。個人差があると思いますが、娘は睡眠時間の短い日が続くと顔つきや表情に疲れが現れ、当然パフォーマンスも極端に落ちるので、睡眠時間の確保は絶対でした。また食生活において、妻が身体に良いもの、優しいものを作ってくれていたのはとても大きかったと思います。外食も出来る限りしませんでした。

これから新6年生になる皆さんにアドバイス出来ることなんてほとんどありませんが、敢えて言わせて頂くならば、中学受験というものをネガティブに捉えるのではなくポジティブに捉えてみることをお勧めします。確かにこの中学受験期間というのは間違いなく平坦で楽勝な道のりではありません。でもこんなに家族が一丸となり、一喜一憂するイベントはそうないと思います。喜怒哀楽を繰り返しながら、皆さんもポジティブに日々過ごすようにしてみてください。そして、宮本先生を最後まで信じて走り抜けてみてください。色んな参考書や問題集が気になったり、過去問をやるタイミングや模試の結果に心揺れてしまいますが、変に他の問題集等には手は出さずに、ひたすら宮本先生に言われた内容をこつこつと継続していくことが合格への近道だと思います。

最後になりましたが、宮本先生をはじめ、チューターのお兄さん、お姉さん(この存在も娘にとっては大きかったように感じています)、クラスのお友達、本当にお世話になり、ありがとうございました!                    


K・Uさんのお母様の中学受験体験記

2021年度 三輪田中・跡見学園女子・十文字女子・宮崎日大 他合格

『超未熟児、早産時で産まれ、歩き出すのも2歳近く、心配で心配でたまらなかった娘の成長を感じた中学受験』

宮本先生の熱い熱い指導の元、走りぬいた一年間。足を引っ張る算数に苦戦し、居残り、泣きながら頑張った大量の解き直し。宮本先生が今の娘の最大限を引き上げてくださり志望校合格。午前、午後入試三日間、ひとつでも多く合格を勝ち取って、宮本先生に報告したい、「私、頑張る!」勇敢な姿を見せてくれた受験当日。「この子を信じてこれからも応援していこう」と思えたこと。思い返せば、マイペース全開、要領も良くない、いつになったらエンジンがかかるのかと、不安、イライラする気持ちで見守った日々。

そんな娘も秋頃にはようやく勉強に対する姿勢、顔つき、変わってきたように思います。私はいつも最悪の方を考えてしまうので、もし思うような結果が出せなかったとき、どのような言葉をかければ良いのか、娘の人生を苦しいものにしてしまうのではないかと中学受験をネガティブなものに捉えていました。けれど、私達夫婦にとって残してあげられるものは、自立するということ。中学受験を通して強くなることをあきらめることは出来ませんでした。宮本先生の著書の中で「中学受験はゴールではない、その先にも子供の人生は続いていきます」という言葉が胸に響き、通過点にしかすぎない、そう思えたことで心が、ぐーんと軽くなって我が家なりの今の娘が行ける、行きたい学校を目指そうと思いました。

実際に通塾し始めると、アテナを紹介下さったお母さまから聞いてはいましたが先生の激熱ぶりに、プレッシャーとともに嬉しくもなりました。厳しい言葉を発せられることも多々ありました。けれど、それは愛情深さと、自分に揺るぎのない信念があるからこその言葉。娘に対して強く厳しく、そして深い愛情と目差しを向けてくださっていることを娘なりに感じて、辛くて苦しい自分との戦いを頑張り抜けたんだと思います。

私が、これからアテナに通わせるか迷っていらっしゃる方がいたらお伝えしたいのは、宮本先生は個人経営者で指導も事務作業もすべて一人でされています。とても失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、大手塾の先生とは背負っているものが違います。言葉に力があります。でも敵ではありません。味方です。親以外に厳しいことをいってくれる信頼できる大人に出会えるかで、これからの人生、辛い壁にぶつかっても乗り越えて行けるものだと思います。受験という暗闇の中、宮本先生が明るく照らしながら導いてくださいます。宮本先生に全幅の信頼をおき、娘を引き上げて下さったこと、本当に本当に感謝しています。宮本先生に出会えてラッキーでした!ありがとうございました!


R・Wくんのお母様の中学受験体験記

2021年度 成城中・西武文理中選抜 他合格

「中学受験には挑戦したい。でものんびりおっとりした幼い性格の息子にはまだ早過ぎるかも…」と悩みつつ3年生の2月からアテナに入塾しました。本人は楽しく通っていましたが、宿題をやるだけで精一杯のスタートとなりました。

4年生の時はまだ始まったばかりだし、慣れてくれば少しずつ成績も上がってくるだろうと楽観視していました。しかし、受験勉強はそんなに甘いものではありませんでした。
5年生になるとますます宿題だけで手一杯になり、計算日記や短文作成もたまにやるだけになり、成績も低迷したままでした。その上、算数と理科の確認テストはほぼ毎回再テスト。再テストの連絡が来るたびに「またか…」と落ち込むこともしばしばでした。でも、この確認テストのおかげで基礎力がついたのだと思います。

学校の友達は受験しない人がほとんどという環境で、本人のモチベーションも下がってきて、5年生の終わり頃にはもう受験をやめようかとさえ思ったこともありました。
そういう時にコロナが流行し、学校が休校になり時間的に余裕ができ、塾の授業もオンラインになり、算数の授業などは繰り返し見ることができるようになったことが息子にはありがたいことでした。そのおかげなのか、6年生の夏の面談時には、宮本先生に「ここ最近すごく伸びてきているのでこの調子で頑張っていきましょう」と言っていただき、親子共に改めて頑張ろうと思えました。

ただ、6年生2学期の月例テストや模試の結果は決して良い成績ではなかったので、私は少し焦り心配になりましたが、本人はいたってマイペースでした。あまりにのんびりしているのでイライラすることもありましたが、なるべく小言を言わないように、テストの結果については落ち込まないように、志望校も高望みしないよう過去問との相性をみながら決めていきました。

最後の2ヶ月は健康面で特にコロナに感染しないように気を付け、睡眠もしっかりとり、ランニングなどをして適度に体を動かしリフレッシュするようにしました。
勉強面で工夫したことは、まず、テストなどでよく間違えることや覚えていないことを紙に書いて壁に貼り、出来るようになったら消していくようにしました。こうすると課題が目に見えてわかるので息子には効果的でした。
もう一つ、息子は計算問題等での凡ミスが多かったので、朝の登校前に計算問題を2問時間設定して解くことにしました。途中式もわかりやすく書くように意識させたら、かなりミスが少なくなり改善されました。宮本先生にも図や式をきちんと書くように最後まで言われてきましたが、これは本当に大事なことだと思いました。

あっという間に受験本番まであと一ヶ月となり、1月はほぼ毎日のようにアテナに通い、以前では考えられないくらい頑張っていました。これも宮本先生とアテナのお友達のおかげです。お友達が頑張っている姿に刺激されて息子も一生懸命やれたんだと思います。

そして本番を迎え、二月一日、第一志望の成城中学校に合格することができました。正直、合格できるかかなり不安だったので、この時の嬉しさは格別のものでした。もう宮本先生への感謝しかありません!

受験を終えて、息子はアテナに通えなくなり、さびしさを感じているようです。それだけ充実した3年間だったのでしょう。確かに、アテナには他の塾にはない魅力がたくさんあると思います。

宮本先生、3年間指導していただき本当にありがとうございました。


T・Kくんお父様の中学受験体験記

年度 芝中・東京都市大中Ⅱ類特待・巣鴨中・立教新座中・東邦大東邦中 他合格

アテナには新小4当初からお世話になりました。かつて「all about」という情報サイトで宮本先生の記事を読んだことがあったこと、科目間の垣根を取り払うという方針に魅力を感じたこと、バス1本で通える立地であることから、説明会・体験授業を経て入塾いたしました。

この度、病気に感染することなく一定の成果を残してコロナ禍での中学受験を終えることができ、今は入学の準備をしつつ振り返りをしているところです。この中学受験体験記には,保護者として注意したことを中心に述べていこうと思います。

第一に、家庭学習の管理を意識して行うということです。宮本先生の授業を何回か傍聴しましたが、知的好奇心を刺激されて楽しいですし、目的を同じくする仲間もいますので、子供は楽しく通います。その反面、子供が習ったことを分かったつもりになっていて実は分かっていない、範囲テストで間違える等、家庭学習でどのように習ったことを定着させていくかが重要となってきました。そこで、保護者会や宮本先生からのライン等をきっかけとして、子供に対し習った内容・解き方の確認、プリントのチェック等をして定着具合を把握するようにしました。また、苦手な国語の読解については、宮本先生に記述を採点していただく以前の問題として、語彙力不足のため素材文に対する理解不足が決定的でした。思えば、春先の緊急事態宣言下におけるオンライン対応において、国語はライン通話の方法で双方向の授業をしていただいたので、対話形式で国語の復習に付き合うのがベストということは理解していたのですが、共働き家庭の我が家にとってそれはなかなか困難で、思ったほど回数がこなせませんでした。ここは「中学受験は親の受験」と言われる所以を感じた次第でした。

第二に、家庭学習が主戦場となる月例テストや模試の解き直しを子供に任せきりにしないことです。子供は解説を読まないで自由研究のように凝ってのんびり解き直しを行う癖がなかなか直りませんでした。その上、解き直しの二度目を「もうできるから」と避けていました。そのため、模試の算数で時間が足りないことが多く、演習不足は明らかでした。そして、秋から直前期までの繁忙期にあっても、前同様に、過去問演習の解き直しに時間を空費しまい、年数をこなせませんでした。その結果、12月の模試の結果が思わしくなく、宮本先生から「6年生の中で算数の伸びが一番鈍いので毎日最低1問質問するように」という課題をいただきました。これを受けて、過去問演習を科目ごとの細切れで早朝に実施して回数を増やしたり、できの悪かった過去問の問題及び解答用紙を再度コピーして解き直しの二度目をやらせたりして、質問のきっかけを与える続けることを2月4日の前日まで続けました。

第三に、本分である小学校生活を軽視しないことです。初戦が千葉県の学校、翌週が埼玉県の学校という日程でしたので、1月中旬から2月4日まで小学校をお休みしましたが、受験勉強を理由に小学校の課題等の取り組みに手を抜かせないようにしました。そうはいっても冬期講習中、宿題の書き初めをするタイミングには苦労しました。もちろん、進学先の中学校には出身小学校から指導の一般的な報告がなされることも考慮しました。

最後になりましたが、宮本先生には大変お世話になりました。特に、大手塾では4年生から理科・社会の学習を始めることが通常であるところ、アテナでは5年生から理科・社会を始めて本番に間に合うことが特長の一つですが、全く問題ありませんでした。そして、課外の「しゃかりかクラブ」の参加と相まって、理科・社会で得点を稼ぐタイプとなりました。本人いわく、進学先の中学校で楽しみなのは理科の実験だそうです。この点、アテナが目標と掲げる自発学習への素地を身に付けることができたと思います。
ありがとうございました。


A・Sさんのお母様の中学受験体験記

2021年度 三輪田中・西武文理中選抜 他合格

2月1日、こちら一瞥して、試験会場に向かっていく娘の後ろ姿は、とても頼もしく、これで私の役目は終わったと安堵した気持ちとともに、アテナでお世話になって本当に良かった!私のあのときの選択は間違いではなかったと確信した瞬間でもありました。

―あのとき―
それは4年生の2学期が終わろうという12月でした。大手塾に通っていましたが、一番下のクラスからは上がれず、このままでは単に授業料を払っている都合のいいお客様で終わってしまうという危機感がありました。やはりここは原点に立ち返ろうということで、図書館に行き、「中学受験」と名の付く書籍を何冊か借りてきました。そして、最初に開いた本が宮本先生の本だったのです。
「私は、東京・吉祥寺で、中学受験に特化したアテナ進学ゼミという個人塾を主宰しています」え?吉祥寺?続けて読むと、「現在進学塾に通わせており、お金と時間と労力をかけている割には、お子さんの成績などが伸び悩み、色々とストレスを抱えている方」に読んでいただきたい」とあります。まさにうちのことではないか!通勤電車の中食い入るように読みました。そして、後半に「中学受験はゴールではない。そこから新たな生活がスタートすることを忘れてはいけない」とあり、とても腹に落ちました。お尻をひっぱたいて、何が何でも偏差値の高い学校に行かせようというのではなく、自分の居場所として充実した6年間を過ごせる学校に行ってもらいたいと思っていましたので、こういう考えを持って指導して下さるなら通わせたいと次の日にはお電話して、体験授業を受けさせて頂きました。授業がとてもわかりやすかったのは言うまでもないのですが、授業中に、「親はなぜ君たちにうるさく言うかわかるか?」という問いかけがあったのです。「先に死ぬからよね」と心の中で思った瞬間、同じことを先生がおっしゃったのです。生きていく上でも大切なことも示して下さるのも決め手になりまして、娘の2年間にわたるアテナ生活が始まりました。

―各科目の勉強について―
総じて、「わかった」と「できる」の差がありすぎて、再テストばかりでした。今振り返ると大きな反省点として、娘のノートを常に確認すること、必ず問題を特定して質問させることを、もっと徹底すればよかったです。ノートを確認して、説明をさせて、あやふやだったら、質問させる、解きなおしをさせるという繰り返しをもっともっと行っていれば、伸び率もあがったかなと思います。逆に言えば、そのようにすると、テストの点数もよかったと思います。そんな中、数少ないですが、こんなことはやってよかったということを記したいと思います。

・国語
漢字テストが毎週ありましたので、漢字日記の出題範囲をすべて網羅したプリントを自作して、やらせました。記述問題が苦手でしたので、先生にご相談し、6年生の後半からは、実力アップ問題集を必ずやって、先生に添削をして頂くことになりました。これは本当にありがたかったです。

・算数
家庭学習は、とにかく算数に時間がかかりました。授業ではわかったつもりでも、宿題に取り掛かるとわからない…。の繰り返しでした。その場合は、もう一度例題に戻って板書ノートを見直して、もう一度解いてみるということを実施しましたが、それだけで日が暮れるということも多かったです。
先生の受け売りですが、「図を描け、式書け、単位書け」と、念仏のように言っていましたが、気が向くと書いているのですが、ちょっとこちらが油断するとまた書いていないのが、最後まで苦労した点でした。上述しましたが、もっともっとノートを確認して、書いていなければ先生に言いつけると脅せばよかったと思いました。

・理科
算数に時間がとられ、なかなか理科に手が回りませんでした。しかも、私の知識と言えば、北斗七星と夏の大三角位の知識しか残っていなかったので、アテナにお任せモードになっていました。実感も大事な科目だと思いますので、例えば公園に散歩に行ったときに植物を観察してみる、夜空の星を観察してみる、実験の分野を学んだら家でもやってみるということを意識して実践すればよかったです。ですから、先生が全体ラインでその夜の星を見てみましょう等とお知らせくださったのはありがたかったです。

・社会
週末テストがあるときは、私は通勤電車で必死に覚えて、夜に対決しました。たいていは娘の勝利だったこともありますが、対決形式は娘のモチベーションアップに一役買いました。やはり若いうちに記憶する力をフル活用させるのはいいと思いました。
歴史は、〇年に〇〇事件があって…と事象を主語にするより、人を主語にした方が、覚えやすいのではと思い、〇〇が〇〇して、そうしたら△△が起きて、★★となった。と物語風にして語らせてみましたら、頭にすっと入ったようです。

―学校訪問―
5年生のうちに行っておきましょうと先生から指示もありましたので、5年生のうちに偏差値問わず、色々なところの説明会と文化祭に行きました。偏差値だけではない学校の魅力があると思いましたので、通学できる範囲にある学校であれば、あちこち行ってみました。説明会では学校が大事にしていること、方針を知ることができますし、文化祭は生徒たちの様子を知ることができてよかったです。
6年生の秋ごろからは、入試説明会が開かれるので、志望校の説明会には親だけでも積極的に参加しました。出題傾向を教えてくれたり、市販されている過去問題集に掲載していない問題を配布してくれたりして、これはありがたかったです。また第一志望校の入試説明会については、第1回と内容は同じですと書いてあっても、なにか特典があるのではないか?と参加しました。もちろん特に特典はありませんでしたが、繰り返し話を聞く中で、重要なポイントを押さえることができたと思います。

―過去問対策―
11月の日曜日から過去問対策が始まりました。塾でも実施しますが、週によっては家で実施します。せっかくなので、理科以外は、一緒に解くことにしました。一緒に解くと、次の3点メリットがあると思います。
①問題の傾向を親もつかめる。
②間違えてはいけない問題を指摘できる(私が解けた問題は解けないと困ります…)。
③親に負けたくないという気持ちでやる気がアップする。

第一志望の三輪田学園の過去問はずっと合格圏内だったのですが、1月の頭に実施した年度が惨憺たる結果でした。図は描いていない、計算ミスをしているという体たらく。これはまずいと先生に相談したら、5年のときの基本問題をやってみましょうとアドバイスをいただいたので、過去問はお休みして、基本問題をやることにしました。それで少し持ち直して、別年度の過去問も合格圏内に入ることができました。
一巡目が終わったところで、二巡目をやるべきか、別の学校の過去問を実施すべきか、またまた先生に問い合わせして、問題の傾向が似ていて、難しい学校の問題を行うことになりました。

あと、この時期大事にしたのは、時間配分です。入試説明会で、設問1は計算、設問2は小問が7つ位、設問3は図が表示された速さの問題というように、設問の形式が決まっているということでしたので、先生に、設問1に〇分、設問2に〇分というように時間配分を教えて頂き、その時間内で解くようにしました。
とにかく総仕上げの時期、何をすれば合格に直結するのか?いちいち先生にお伺いしていました。

―健康管理―
受験1か月前からは、コロナも心配でしたので、とにかく健康管理に努めました。22時には寝る、手洗いうがいは励行し、親もテレワークと、とにかく発熱だけは避けたい一心でした。ノロの恐怖もありましたので、2週間前からは、刺身、貝は避けるようにしました。お刺身大好き娘にはつまらなかったと思いますが。

―当日朝―
まだ寝ている娘の額に手を当て、「熱なし!」これで第一関門クリア!と大変安堵しました。あとは、以下のミッションを成し遂げるだけです。
①生姜を効かせた豚汁とごはんをもりもり食べること。
②トイレに行くこと。
③持ち物を2人で確認すること。
④遅刻をしないこと。

―試験中の親の待ち時間―
どこで待機させられるかは学校により異なりますが、暖房があまり効かない部屋だった学校もありましたので、ひざかけ、ふつうのカイロ、つま先カイロを持参したほうが安心です。また、呼び出しを受けていた方もいましたので、少なくとも最初の科目が始まるまでは、待機していた方がいいと思います。

コロナ禍では、即オンライン授業に切り替えてくださり、親も一緒に学べる、理解できなかったところは再度視聴できるという恵まれた環境を作ってくださいました。また、質問もラインを使用して、タイムリーに対応して下さり、本当に感謝しております。勉強よりも体を動かすことが大好きな娘にとっては、夕方から夜まで椅子にしばりつけられて、大変だったと思いますが、先生の熱いご指導とお友達にも恵まれ、楽しく頑張ることができたと思います。本当にありがとうございました!


2020年度

R・Hさんのお父様の中学受験体験記

2020年度 武蔵野大中・東京農大一中・西武文理中 他合格

アテナに入塾したのは5年生の9月です。サピックスからの転塾でした。サピックスでは6つほどの組分けの中でA~Cクラスを行き来するような不安定な成績で、特に算数が伸び悩み苦手意識も強かったこともあり、5年の秋という大事な時期でしたが思いきって宮本先生にお願いすることにしました。

サピックスはカリキュラム・教材とも素晴らしく、授業は活気があり、娘の通っていた校舎は比較的小さい規模だったせいか先生方もよく面倒をみてくださったのですが、宿題が多いため自学自習での親子負担が大きく、また御三家・最難関校をねらう生徒との意識のズレも感じていました。今思うと、当時は明確なビジョンがなく、目標が弱かった事が原因だったかもしれません。勉強する意欲、意識のズレはそのまま成績に反映されていたのです。子供にとっては窮屈な環境だったことだと思います。
その頃「苦手」だった算数は「嫌い」になっていました。

子供の遊ぶ時間を制限し、習い事もやめさせて勉強に集中させる。1日10時間近く勉強させることが良いことなのか?自習学習での親の負担も大きい。親子仲も険悪になる。ここまでやる必要があるのか?自問自答の毎日でした。
中学受験は親の見栄という人もいるようですが、果たしてそうなのでしょうか?
見栄だけで頑張れるほど中学受験は甘くないし、人生は受験の結果で決まるわけじゃない。あくまでも通過点。しかし、少なからず人間は環境で変わるとも思います。今や私立校は中高一貫校が主流となりつつあり、高校受験の学校選択が少なくなっている状況に加え、公立の学校に嫌気がさしていた我が家にとって受験は必然でした。活気のある環境で勉強することが、娘にとって良い人生につながるのだと思っていたからです。

そんな中、アテナ進学ゼミは知人からの紹介で知りました。高確率の合格実績も魅力でしたが、それよりも何よりも体験授業に参加したときに感じた楽しく勉強できる環境。勉強が嫌いになりかけた娘もここでなら頑張れる。塾候補は他にもありましたが「学ぶ環境」。それが決め手となりました。

心機一転で挑んだ5年生の秋。
しかし、アテナに入塾して驚いたのは4科とも基礎が身に付いていないことでした。今まで目先の難問題にとらわれ基礎を怠っていたのです。早速、基礎固めから入りましたが、なかなか定着せず、しかもケアレスミスの嵐。先行きが見えませんでしたが、とりあえず第一志望は高めに設定し、吉祥女子を目標に頑張ることにしました。
この頃から先生の勧めで学校見学や文化祭へも積極的に行くようになり、ようやく子供にも受験意識が少し芽生えはじめてきました。

※以下、当時の検討していた学校一覧です。
憧れの第一志望、吉祥女子     親◎ 子○
卒業生親の評判が良い恵泉女子   親○ 子○
面倒見の良い富士見        親○ 子△
規律を重んじる國學院久我山    親△ 子△
隠れ第一志望だった都立小石川   親◎ 子△
話題の三田国際中         親◎ 子○
設備が充実な東京農大一中     親○ 子○

どの学校も良さがありましたが、当の本人の中でどうしても行きたい学校が見つからない。そんな矢先に出会ったのが武蔵野大学中でした。新しい試みをする面白そうな学校、と塾でも話題になっていたこともあり、気になっていた学校でした。
新設校1年目、まだまだ発展途上の学校で不安も感じましたが、それを吹き飛ばすほど新校長の教育方針が素晴らしく、娘は心奪われていました。偏差値だけでは計れない未来の学校に将来性を強く感じたようで、はじめて自分からこの学校に行きたいと志願したのでした。

志望校も定まりつつ、このまま夏まで突っ走ります。
ご指導のもと算数は少しずつ克服し、全体的に基礎力も定着。宮本先生のしゃかりか教室という工夫された体験学習や、難関校ゼミなどの特別講習にも刺激され、娘の勉強意欲が一気に上がっていきます。
4科の偏差値は、第一志望だった吉祥女子を狙えるギリギリの位置まで近づきましたが、10回行った過去問でどうしても合格圏内に届かず。特に重要な教科とされる理科に苦しめられ、吉祥女子は早々に断念。
途中、隠れ第一希望だった都立小石川に寄り道してしまった事も原因かもしれませんが・・・。(宮本先生。あの頃は都立中のご相談にのっていただきありがとうございました。)
12月末までに、ようやく志望校を3校までに絞ることが出来ました。
第1志望は本人の希望を重視し武蔵野大学中に。ただ、すでに合格圏内だったため、モチベーション維持のため「特待」を条件に快諾。第2、第3志望は、過去問との相性が良かった三田国際中と、東京農大一中にシフトします。
2校とも短期間でレベルが大きく変化した学校でした。中学受験が「水物」と言われる由縁ですが、三田国際中はいち早く21世紀型教育を取り入れ話題となり3年間で偏差値が10以上アップ。東京農大一中も2005年に設立後10近く上がり、大学と連携した体験型授業などが特徴の人気校。両校とも受験倍率が高くなるのを懸念し過去問は合格平均点以上をとれるように目指しました。

残りの2ヶ月はあっという間で、苦痛の日々でした・・・。
ひたすら志望校の過去問を解き、苦手な単元を少しずつ潰していく作業だけなのに。なぜか記述問題に強く、基礎的な問題が出来ない。
国語が得意なはずなのに、なぜ武蔵野大学中の国語だけ点数が取れない?など・・最後まで理解に苦しむことだらけでしたが、宮本先生やチューターの先生方が丁寧にご指導してくださり何とか乗り切ることができました。

結果は第一希望だった武蔵野大中の特待が2回目ともとれず、過去問で相性の良かった三田国際中は残念な結果に。東京農大一中(3日目)に合格し、3年間の努力の結果を残すことができました。
そして特待はとれませんでしたが、娘の熱望校である武蔵野大学中に進学することにしました。親心としては環境も良く大学実績も高い東京農大一中を勧めたい気持ちもありましたが、どうしても武蔵野大中で頑張りたいという本人の意志を尊重することにしました。

中学受験は「ゴール」ではなく「新たなスタートライン」です。

入塾の際に宮本先生がおっしゃった言葉です。受験の渦中では「合格」に重きを置いてしまいがちですが、中学受験を終了した今、どんな環境であれ娘の積み重ねた努力は無駄にならないだろうと感じています。
アテナはお友達同士や先生との距離がとても近い塾です。それは宮本先生が子供達と同じ目線で、一人一人と真摯に向き合って下さっているからだと思います。
在籍時、先生が子供と接している中で勉強面でも精神面でも心配に思われたことは逐一ご連絡をいただきました。時には厳しい言葉をいただくこともありますが、率直に言って下さるのは我が家には合っていましたし、客観的に見直すことができたのでありがたかったです。
塾の雰囲気はご家庭によって相性はあると思いますが、娘はこの環境に助けられながら中学受験を完走することができました。
宮本先生、チューターの先生方、本当にありがとうございました。


R・Mさんのお母様の中学受験体験記

2020年度 晃華学園中・光塩女子学院中・大妻中野中・西武文理中 他合格

「私、中学受験したい。男子が嫌だから女の子だけの学校に行きたい。」
小学校三年生で娘が言い出した一言。これが我が家の中学受験のスタートでした。当時我が家は転勤先の北海道札幌市に住んでいましたが札幌市の中でも中学受験が非常に盛んな地域で娘の友人も殆どが三年の二月から受験塾に通い始めていました。幸い私たちも三月には東京に戻る予定でしたので戻り次第すぐに塾を探しました。アテナとの出会いはこちらに通われていたご兄弟がすごく良かったと教えてくれて一番最初に体験した塾でした。今でも忘れられないのが見学させていただいた日の算数の授業。植木算の授業でしたが子供達皆に手を繋がせて一つの輪を作って実感しながら学ばせていく宮本先生の授業でした。これは面白いと親の私がワクワクしてしまいました。それは娘も同じだったようで「私この塾で勉強したい。もうほかの塾は体験しなくていい」と決心、こうして娘の中学受験生活はスタートしました。

スタートと同時に志望校探しもスタートしました。一番最初に見に行った学校はアテナを紹介してくださった方が通われている調布の晃華学園でした。こちらに初めて足を踏み入れたオープンスクール。娘が生き生きした顔で色々なことを体験したり見学しているのを見て非常に嬉しくなりました。そして帰り道彼女がつぶやいた一言「私この学校に通いたい。ここの学校の雰囲気が好き」その後もたくさんの学校を見ましたが彼女の意志は本当に強く最後にはこちらの学校にお世話になることになるのです。これが四年の六月。ここからゴールまでがものすごく長い道のりでした。

振り返ると約三年の受験生活の中で一番辛かったのは五年生のはじめでした。アテナでは五年から理社が始まり算数も難しくなり課題をこなすので四苦八苦。何をやらせてもやっつけでこなすので字が女子なのにものすごく汚い。図が雑。睡眠不足からくる怪我。再テストが続く日々。正直親のほうが心が折れてしまい退塾をしばしば考え促しました。その都度娘は泣いて「絶対やめない。頑張るから絶対続ける」と抵抗しました。そのうち成績がものすごくのびることはなくとも夏休みまでにはうまくまわるようになってきました。ある意味ここはこの受験の山の一つだったと思います。

娘が実際に受験した学校は第一希望の晃華学園、光塩女子学院中等科、大妻中野でした。幸運にも受験した三校すべてで合格を頂くことができました。その体験から感じたことをいくつか書いて残したいと思います。

まず一つ目は受験は子供の強い意志が大事だなと思いました。我が家は出だしでも書きましたが受験を決めたのも、塾を選んだのも志望校もすべて娘の意志でした。志望校に関しては私が他に気になる学校を見つけ見学に行ったり勧めたりしても「お母さん、私は偏差値で学校を選んでいるんじゃない。自分が行きたい学校に行きたい」ときっぱり言われてしまいました。また晃華学園とは過去問の相性が悪く、先生からも厳しいのではと言われ親も諦めた時期もあったのですが本人は一度も落ちるとは思った事はなかったそうです。強い意志こそ中学受験を続ける上のモチベーションになったと確信しております。

二つ目は四年生のうちからたくさんの学校の文化祭やオープンスクールに参加しておくのがいいと思います。五年生からは勉強が忙しくアテナは土曜日も授業がありなかなかゆっくり参加することができないからです。とにかく幅広い偏差値で数多く四年生のうちに見ておきここはという学校は五年生で再度見に行くのがいいかと思います。我が家は上に高校受験の兄がいるので都立高校の見学なども一緒に連れて行きました。私立を見た後の都立でしたので本人は高校受験じゃなくて中学受験という気持ちをそこで強く持ったようです。

三つめに親はあくまでもマネージャー。実際に戦うのは子供だと感じました。どうすれば子供が気持ちよく勉強できるか?どのように子供が戦えるか戦略をいかにたてるか?大事な親の役割だと感じました。また子供がぶれないのに親がぶれてしまうのは一番いけないことだと思います。親子でチームを組んで子供を信じて導くのが大事だと思います。

最後に一番大事なことなのですがアテナに入ったら宮本先生を信じてとことんついていくことです。宮本先生の熱心な指導には本当に幾度も助けられました。娘のクラスは19人もいたのですが、個々を非常によく見て下さり娘のためにいくつもアドバイスいただきました。またこれが絶対に最後の追い上げになったと思うのですが、1月になると休まず教室を朝から開けて下さるのです。我が家はこのおかげで1月はすべて学校を休んで朝9時に塾へ行き、18時には帰宅というリズムを作りました。この追い込み時期にがっつり塾で勉強できて自宅で栄養のバランスを考えた夕食を食べ夜23時には就寝というリズムが作れました。過去問でできないところはすぐに宮本先生にフォローしていただき2月1日に向けていい流れが作れました。その流れが結果となりあらわれたのではと感じております。

中学受験を終えてみて振り返るとつらいと思っていた中学受験がすごくいい思い出と経験で溢れています。宮本先生と行った奈良広島合宿、富岡製糸場見学や夜行船で行った大島旅行。引っ込み思案だった娘がたくさん友達を作り、強い意志と信念で第一希望に3年間努力し成功したという経験。宮本先生には感謝してもしきれないくらいありがたく思っております。本当に有難うございました。


2019年度

J・Iくんのお母様の中学受験体験記

2019年度 桐朋中・城北中・西部学園文理中特待 他合格

アテナには2つ上の長男がお世話になり、塾に通うならアテナしかない!と次男も4年生の冬期講習から通い始めました。3人きょうだいの真ん中で、マイペースな次男。5年、6年での学習の流れは兄で経験して知っていたものの、苦労苦労の連続でした。

[国語]
小さいころからとにかく本を読まない、学校の教科書音読の宿題は超苦手、漢字も覚えられない、喋って説明するのも苦手でした。図書館で面白そうな本を私が選んで借りてきて、すぐそばに置いておいても本人は見向きもせず2歳下の妹が読んでしまうというありさま。自分で読まないなら!と私が寝る前に読み聞かせをしたりして、なんとか続けたところ、5年生の秋ごろからようやく自分で本を読むことの楽しさに目覚めてきました。5年生の頃は「文章問題より詩の方が文字が少なくていい!」などと言っていましたが受験直前では長文を読むこと自体にようやく慣れてきたのでは、と思います。

[算数・理科]
入塾当初は分数・小数の計算が苦手でしたが、それをクリアすると、宿題は泣かずに全部ちゃんとやっていました。わからないところはアテナでバッチリ鍛えてもらった兄に教えてもらうこともありました。最終的には得意科目になりました。

[社会]
一番苦労した科目。5年生で学習する地理と歴史、毎週でる宿題プリントが(たった1,2枚なのに!)苦痛で苦痛で毎回泣きながらやっていました。これも兄に、テキストのどこを見てやったらいいのか教えてもらいました。地理や歴史のチェックテストは、見事に再テストだらけで5年生の時点ではほとんど覚えられていない状態でした。今覚えておかないと後で困るのはよくわかっていたのですが、本人が泣いてばかりなのでどうすることもできませんでした。
文字を沢山読むのが苦手なため、何とかして歴史に興味を持ってもらおうと歴史の漫画本を買ったり、図書館で毎週借りてきては常に手元にある状態にしておきました。漫画だと、抵抗なく読めるのです。
6年生になった頃に、100円ショップで世界地図と日本地図を買ってきてリビングに貼りました。ニュースに出てきた地名がどこにあるか探したり、テキストやテストで出た地名がどこなのかすぐ確認できたので良かったです。今現在も役に立っています。
6年生夏休みにコンプリーションを始めましたが、見事にほとんど全ての問題がわからない!という状態。「なんかやったような気がするけど忘れちゃった!」ではなく「聞いたこともない!知らない。」なのです。テキストを見ながら調べて書き込んでいました。あまりにも全部わからないので、やる気がますますなくなっていきました。それだけ出来なくても、本人の危機感はなく、「やっぱり社会頑張らなきゃだめだ」と本人が言い始めたのは冬休みになってから。コンプリーション2回目をスタートし、1/31に全部終わらせました。実際に2月の試験では、1月末にやった箇所が出たらしいです。

[生活全般]
5年生のサイクルに慣れるのに非常に苦労しました。宿題をいつやるか、スケジュールを考えておかないと回らなくなるのです。かといって、親が全てやることを決めて子供にやらせようとすると「やだ!」と言われて上手くいきません。最終的には「やらないといけない宿題は何があるの?」と本人に確認させ(もちろん、先生から頂いたメールで内容は大体把握していましたが。)「夕ご飯前に社会プリントやって、夕ご飯食べたら算数の基本問題やる」と本人にスケジュールを決めさせました。ゲームもテレビも、時間を決めて毎日やっていました。受験前日まで、本人は非常に楽しそうにテレビをみて笑ったり、音楽を聴きながら踊ったり、歌ったりリラックスしていました。

[スマホについて]
5年生の途中に、子供の携帯をスマホに変えてしまったのですが親子で相談して決めたルールを何度も破ったため、結局「電話」「メール」だけを使用可にし、あとは全て(LINEやカメラ機能など。もちろんゲームも)使用不可にしました。小学生にスマホは早すぎました。キッズケータイで十分だと思います。

[受験直前]
私の方は、6年生2学期以降、模試の結果や過去問の点数に一喜一憂してしまい気持ちが休まりませんでした。本人があまりにもいつも通りなので心配になって先生にご相談すると、「塾で相当頑張ってますよ!家ではリラックスさせてあげてください」と言われ、そのお言葉を信じ、うるさいことは言わないようにしました。最後の最後まで心配でしたが、あとは本人が頑張るしかないので見守るだけでした。

[おわりに]
兄と弟、2人の中学受験を経験して次の2点は重要だと実感しています。
①宮本先生を信じてついていくこと。
②先生に任せきりにするのではなく、子供が宿題をやっているか、図を書いているか等、親が確認する必要があること。
特に②については、親の気力・時間を必要とし、それなりに大変ですがそれをさぼっていると子供もさぼってしまいます。

アテナに通っている間、不安になった時はいつでも先生に相談できるので非常に心強かったです。精神的に幼かった次男が最後まで頑張ることができ、第一志望校に合格したのは、アテナのお陰だと感謝しています。
宮本先生、本当にありがとうございました。


A・Hさんのお母様の中学受験体験記

2019年度 富士見中・国府台女子中・恵泉女学園中 他合格

1.入塾前の中学受験に対するイメージ
結婚10年目にして授かった娘。その娘が誕生したころには私の友人たちはすでに中学受験生ママ。子供を大手中学受験塾に通わせ色々な情報をグチ交じりに教えてくれたおかげで私は耳年増に。
「毎月成績ごとにクラス分けされる」「塾を休んだ際、友達にノートを見せてもらおうとしたら断られた」「成績が上がらず個別指導を追加された」「少しでも偏差値の良い学校に」「送り迎えやお弁当作りが大変」「宿題プリントの管理は親がしないと無理」「毎晩寝るのが遅く機嫌が悪く、親子関係も悪化」等々。
それに対し「そんなに大変なら無理して塾など行かせなければ」「小学生の間は思い切り遊ばせてあげれば」「心の成長は大丈夫?勉強しかできない子供になってしまうのでは?」等々、生まれて10年ほどしか経っていない子供にそんなに無理をさせても・・・。と私の中では中学受験を完全に否定していました。

2.アテナに入塾するまで
そんな私も娘が小学生に。兄姉がいる同級生ママから「学区の中学校は内申点が取れなくて希望の高校に行きづらい」「生徒が少ないから部活もあまりさかんではない」などの中学校の話を聞くと不安にはなりましたが、考えは変わらず「中学受験はないな」。
しかし、娘が3年生の冬休みに突然何があったのか、だれに何を聞いてきたのか、「私は今の小学校の友達と、近くの中学に行くことしかできないの?」と。
私は戸惑いながらも「塾に行ってたくさん勉強して、遊びややりたいことも我慢して努力すれば、自分の行きたい学校を選んで、受験して合格すれば、好きな学校に行けるよ」と答えてしまいました。娘は「そうしたい!!」と即答。中学受験への道が始まりました。
主人も私も神奈川出身で公立中学育ち。中学受験のことは全く分からず、まして大手塾には入れたくなかったので、図書館で中学受験本を手当たり次第に借りました。偶然にもその中に宮本先生の「はじめての中学受験」があったのです。これまでの中学受験や塾に対するネガティブなイメージが相当払拭されました。
問合せたのは1月中旬。主人と娘が授業を見学し先生と面談。「ここなら大丈夫」という直感でした。先生からは5年生から始めれば十分間に合うと聞いたので、しゃかりかクラブに参加しながら、入塾は翌年からということにしました。
ところが2月に入り、娘が「今年から通いたい!!」と言いだして、説明会寸前に滑り込みで4年生での入塾を決めました。

3.親の役割分担
私自身学校の勉強は好きではなく算数や理科はとても苦手でした。まして中学受験の勉強となると手も足も出なかったので勉強を教えるのは主人に任せ、私は健康管理、塾での宿題やプリントの管理に努めました。特に健康管理の「塾がない日は21時前には就寝」「しっかり食事を摂らせる」「体を冷やす食べ物はなるべく控える」等に注意しました。
6年生の夏は非常に暑く大変でしたが、冷たい飲み物やアイスを食べすぎないようにしました。また、1月中は学校を休んで終日アテナに行きたいとの希望に応え、昼夜二つのお弁当を作りました。栄養バランスだけでなく嗜好に合わせたメニューとし、補食でも変化を付け食べることを楽しめるように気を付けました。さらに睡眠を十分に取らせるように配慮した結果、これまでは毎年インフルエンザにかかっていた娘が、勝負の年を無事乗り越えたのです。自転車通塾の20分で体力が維持されたのも大きかったかもしれません。健康管理は大成功でした。

4.宿題の管理(母娘バトルからの変化)
宿題をはじめとした勉強の管理は健康管理のようにはいきませんでした。
初授業の後「とても楽しかった!授業もわかった!!」とゴキゲンで帰宅したので安心したのもつかの間、器用でも天才肌でもない娘は少し難しい問題になると不機嫌になり、負のオーラを出し続けながらイヤイヤ塾の宿題をやることが続き私は大爆発!!!
「イヤイヤやっていたらわかることもわからない。やりたくないのなら中学受験などやめよう。周りの人を嫌な気持ちにさせてまで勉強しなくて良い!人としてもっと大事なことがあるだろー!!!!!!!」と、塾の教材すべてをひもで縛って新聞袋に入れ物置に。それでも娘は物置から引っ張り出して宿題をやる。そんなバトルは5年生の夏ごろまで多々ありました。
しかし、5年生の合宿や夏期講習を終えるころにはそんな態度が少しづずつ変化してきました。宿題、チェックテストへの準備、歴史が始まると単語帳を作成するなど、自ら学習して負のオーラを出すことも少なくなりました。多少の小言はありましたが、6年生になるころには大きなバトルはほとんどなくなっていました。
さらに、6年生の合宿から帰ってきた時の日に焼けて少し大人びた表情。精神的に成長したのか、勉強に取り組む姿勢がさらに真剣になり、私から小言を言うことはほとんどなくなりました。

5.受験開始
とうとう1月になり受験本番で、最終的に志望校を固め出願。毎日朝から晩までアテナで追い込みをしました。過去問や苦手単元の教科書や実力アップ、先生が用意してくださったプリントなどを親も驚くほどの集中力でモリモリこなし、とても充実した追い込みでした。
1月14日に最初の受験校「浦和明の星」に挑戦しました。実はこの学校、6年生の夏まで名前しか知らず全くのノーチェック。秋に先生に勧められてから説明会に行き、好感を持ち志望校の一つとしました。試験を終えて娘の感触は「まあまあ」とのこと。それなりに手ごたえは感じていたようでした。翌日の掲示される合格発表は私と一緒に見に行きましたが、残念ながら受験番号はありませんでした。帰り道で「もうどこも受かる気がしない・・・・」と後ろ向きな発言。電車の中では一言もしゃべらずふて寝して負のオーラ全開でした。先生に状況報告したところ「なぜ不合格になったのか、何が足りなかったのか話したいので、アテナに来させてください」とのこと。娘は少し落ち着いたのか「わかった」と返事。私も言いたいことが山ほどありましたが我慢して先生に託しました。夜帰宅した娘の表情は明るく落ち着きを取り戻していたので安心しました。(先生とどんな話をしたのかは教えてくれませんでしたが・・・)
1月22日は国府台女子。無事合格し、ここから第一志望の吉祥女子の過去問をやる日々が続きました。これまではなかなか最低合格点に届きませんでしたが、このころにはそれなりの頻度で届くようになっていました。十分やり切ったのだと思います。
2月1日。午前の吉祥女子は「かなりできたと思う。前日に先生が出してくれた問題が出た。」とかなり手ごたえがあった様子。午後の恵泉女子は「大丈夫。解けたよ。」とこちらはさらに自信があるようでした。夜になりパソコンの前で合格発表を待ちました。残念ながら吉祥女子は番号がありませんでした。すぐに先生から電話をいただき、娘は淡々と返事をし、電話の後で「明日も頑張る!!」と一言。恵泉女子は娘の就寝後、主人と私で合格を確認しホッとしました。
2日。再び吉祥女子へ。「今日は難しかった・・・・」との感想で、娘はアテナへ行き4日の浦和明の星対策に取り組んだそうです。夜の合格発表ではやはり番号はありませんでした。娘の悔し涙。私ならこの状態で翌日以降の試験を平常心で受けることはできないかも・・・見ている私のほうが不安になってしまいました。この日も発表の後先生から電話をいただき励ましていただきました。
3日。富士見へ。試験後主人と会うと開口一番「バッチリできた。かなり良い点数だと思う。特待生になれるかも~!」と軽口をたたく余裕を見せました。まだまだ精神的に幼いと思っていましたが、いつの間にこんなに強くなったのか。
帰宅後、娘にとって最終日となる4日の受験校については親子で迷いました。当初は浦和明の星に再挑戦する予定でしたが、連敗した第一志望の吉祥女子に3度目の挑戦をするか・・・・。私は当日の朝でも変えられるよう両校に出願。娘は迷いに迷った末、吉祥女子に3度目の挑戦を選択し、アテナで最後まであきらめずに先生と対策をしました。
そして最終日となる4日。力は出し切りましたが手ごたえは「理科は先生がピックアップしてくれた問題がばっちり当たってまずまず。だけど、算数はもう一息かも・・・」とのこと。予感は当たってしまい不合格。3度目の涙は私にとっても非常につらいものでした。
5日。すべての試験を終え、今日は久しぶりに登校するのかと思っていましたが、なかなか起きてこない娘。起こしてみると「眠いから今日は休む」と言ったのでそっとしておきました。お昼前に起床してきて「あ~、久々によく寝た。私、富士見に行って6年間特待生になれるように頑張るわ!」と、私の心配をよそに晴れ晴れとした笑顔でした。
最後まであきらめずにやり切った娘。それだけでも私にとっては十分な成果で、素晴らしい成長です。中学受験をさせてよかったと心から感じました。

6.アテナに通って
中学受験には否定的だった私が娘をアテナに通わせて思ったことは、「キチンと子供一人一人をよく見てくれ、その子にあった叱り方、勉強の指導をしてくれる先生を見つければ中学受験もありだな」ということ。
娘は入塾してから、外せない学校行事以外でアテナの授業を休んだ事がありません。体調が悪く学校を休んでも、夕方までしっかり休むとアテナに行きました。授業が分からなくなる不安があったとも思いますが、アテナに行くこと自体を楽しんでいたようです。
チューターの先生方との楽しいおしゃべりのおかげで、今の娘の目標は中高でしっかり勉強して大学生になり、アテナのチューターになることです。
10才から12才という多感で繊細な時期に、心から信頼できる宮本先生、チューターの先生方や友達に出会えた娘は本当に幸せ者だと思います。良い出会い、学び、成長の場を提供していただいた宮本先生には非常に感謝しています。
受験を終えた今、娘が小学校を卒業するよりアテナを卒業するほうが感慨深くさびしいです。日々、メールやラインでたくさんのアドバイス・連絡事項、時には直接電話をくださり娘の様子や受験校の相談に親身に乗っていただき感謝しています。本当にありがとうございました。


S・Kくんのお父様の中学受験体験記

2019年度 明中八王子中・明治学院中・城北埼玉中 他合格

1月に夫婦で話していました。「こんなに楽しく塾に通えて、親が勉強に干渉することもなく、これで志望校に合格出来たら最高だね!」。

第一志望に合格できた今、アテナ進学ゼミは本当にすごい塾である、とはっきり言えるでしょう。息子はひらめきタイプや暗記力に優れているタイプでも無いです。宮本先生から指示されたことは親子で信じ貫いてきました。志望校が定まってから、算数は基本問題を中心とし発展問題まで欲を出して手を付けない、社会理科はコンプリーションの問題集で基礎問題を繰り返す、国語は漢字を中心に。

1月に入ってからがアテナの真骨頂です。学校はすべてお休みをいただき、毎日塾で過去問演習に取り組みました(先生・チューターの皆様、贅沢で濃密な1か月でした!)。息子は「受験直前の10日間が受験生活の中で1番楽しかった」と言っています。

3年間の受験勉強、山あり谷あり。集中力が欠ける時もあり先生に叱咤激励されたことも数知れず。「宮本先生はどんなに怒っても子供たちの事が好きだ、というのが伝わってくる。だからみんな先生についていくんだよ」。合点です!

そんな先生に出会えたことだけでも本当に良かったと思います。机上の勉強だけではなく、塾の仲間とフィールドワークとしての“しゃかりかクラブ”、スキー教室、夏合宿と沢山の思い出までもできました。

良き師、良い友にも出会えました。本当にありがとうございました。
最高でした!!


H・Iさんのお母様の中学受験体験記

2019年度 法政大学中・中央大附属中・三田国際中・国府台女子中・山脇学園中 他合格

今受験を終えて、娘には本当によく頑張ったと伝えたい。そして、感謝すべき沢山のありがとうに気付いて欲しい。

アテナは窓から見える距離にあり、選んだ理由も実はそこにあった。帰りが遅い私にとって、放課後の過ごし方は悩みのたねであり、学童保育が終わる四年生からは近所で通塾に当てよう程度の、全く浅はかな考えであった。
この思慮のない塾選びが、結果宝くじレベルで幸運であったと、今は神様に感謝している。

受験については、選べない公立より、選べる近くの中学へとぼんやり考える程度だった。 同程度の学力の子が集まれば授業は安定するのだろう、かけがえのない10代6年間を全力で楽しんで欲しい、ただそれだけであった。
親も知恵が付くにつれ変化するものだが、実はこのコンセプトは最後まで変わることはなかった。最終学歴との天秤もあるにはあったが、結局は何処に入れても自分次第でしかない。ならば一番近い共学に入れようと最後は決めた。

なぜ宝くじレベルの幸運をアテナに感じているか、それは娘の塾に行く姿を見ればわかる。嫌になったら辞めても良いからと突然放り込まれ、受験など親に流されたも同然の娘が、一度として行きたくないと言ったことはないし(かと言って物凄くやる気を見せたこともなかったが)、七の段すら怪しかった子が首都模試算数でトップテン入りするまでに育てて頂き、天然な娘を温かくフォローしてくれる友人を得て、宮本先生の授業を受けに走って出ていく娘の後ろ姿がそれを伝えている。
とにかく、こんなに熱心に子どもたちに向き合う先生は聞いたこともないし、大半の時間を子どもたちのために削っていることはスケジュールを見れば一目瞭然だ。この熱量は、恐らく子どもたちも肌で感じるのだろう。信頼が不可欠な三者(本人・親・先生)が、大切なものを預け合える関係として三年を過ごすことができたのは、先生の熱意に他ならない。

あくまで我が家の場合と前置きをしつつ、受験のエピソードを記しておく。
元々私のテーマは、アテナの授業+宿題だけの勉強量で手の届く学校に行くことだった。家での学習は宿題だけで良いことにしていたが、5年生までは夜遅くまでかかる日もあり大変だった。そのルールはずっと有効だったので、6年生になり宿題をはじめ全てを自習室でやるようになると、家では1秒も勉強しなくなり、それは受験まで続いた。家ではストレス発散が最優先となり、22時までテレビ・スマホ完全フリーとした。その善し悪しについて色々なご意見はあると思うが、生活のリズムがつき、気持ちの切り替えができた点は評価したい。

学校選びは前述の通り、とにかく数駅圏内の共学から探したいと私が希望し、5年時に近くの学校から学園祭を回った。娘も近い学校という基準に異論はなかったが、共学に関しては私のごり押しだったため、宮本先生に勧められた女子校もオープンカレッジに参加した。
娘は文化祭が楽しかった学校から優先順位を付けたようで、つまらなかった(中学部は展示だけなど)学校は希望しなかった。結果、徒歩圏内の法政が第一希望になった。
しかし、娘は得意な算数と苦手な国語の偏差値が20ほど離れている。基礎的な問題で出題が構成される法政は、四教科の合格最低点が高い。算数で満点を取ったとしても国語を補えないため、最も娘には向かないタイプの入試だと不安はあった。娘は、(法政は試験日が三回あるので)一回は受かるでしょと楽観視している。
そこで、家からは遠くなるが、私の職場が近く宮本先生お勧めの三田国際の算数一科入試を午後に受けることにした。

娘は第二反抗期真っ最中で、親からの自立や秘密を望み、ランドセルすら開けさせない難しい時期となっていた。それが大失敗を起こす。2/1法政の入試を終えた娘は、「消しゴムなかった。買いに行こう」とニヤニヤ出てきた。???!。何故朝忘れ物確認したのに?何故教官に申し出なかった?何故?何故?のハテナが一杯だが、なぜだか私も怒るより感心しまい、「え?じゃあどうやってテスト受けたの?!四教科も! 」と二人で笑いながら逃げるように会場を後にした。
午後の三田国際に応援に来て下さった先生から「引きずってないですか」と声を掛けて頂き、始めてそこで「あー、落ち込むところか」と気付く。うっかり怒らなくて良かった、でももし内心落ち込んでいたのなら大丈夫だろうか、それにしても2/1の本命を無駄にしたのは痛い…と悶々としていたところ、試験を終え出てきた娘は「え?別に」とケロっとしている。娘が不思議ちゃんと言われる所以だ。たくましいやら、憎たらしいやらである。

結果、法政は補欠。しかし、午後の三田国際は合格することができ、心に余裕ができた。
2/3、2回目の法政は、消しゴムを三つ持たせリベンジへ向かうも、何とまた補欠。
すると娘は「もう三田国際に行くからいい」と言い始める。新進気鋭の素晴らしい学校だと思うが、通学時間が長いことと、チャンスがまだある第一希望を早々にあきらめて行くのでは、何かが違う気がして娘を説得。2/5の法政は受けるが、2/4の中央大学附属は受けないと言い捨てて寝てしまった。実は私の本命は中附だったこともあり、宮本先生とも相談して、とりあえず明日の中附は何とかして連れて行くことにした。
寝起きの娘に間髪入れずに、好きなCDを買ってあげる・家からタクシーで行くから、と口説き落として拉致するがごとく家を出発。しかし道中タクシー内で朝食をとる娘は、「一生懸命なんて絶対やらないから!絶対通わないのに、受けるだけムダ!!」と立腹。これでは受かるはずがない、無駄な労力を使わせたと反省していたところ、結果は合格。
もはや二回も縁のなかった学校へは行かない方が良いと言う建前と、絶対中附の方が娘に合うと言う完全なる私の一存で勝手に苦しくなったが、やはり法政三度目の正直を願うこととした。
全ての日程を通して娘は冷静で、帰宅後22時まで延々と好きな音楽の動画を見るいつもの生活を続け、マイペースで受験を終えた。
最後は3回目でやっと正規合格を取ることができ、娘の希望で法政へご縁を頂くこととなった。

これがアテナで今季最後の受験者となった我が家の受験の顛末である。

受験は確かに本人のものである。親の期待や希望は存在するが、最優先は本人の意志であるべきだと思う。たかだか小学6年生に、親の力の及ばない所で、人生の一大事を自己責任だとするのは酷だろう。しかし、何度だってやり直せることを示し、その時は隣に居ることを、そのまた隣には恩師や友が居ることを、仲間と作った過去が必ず未来まで照らすことを伝えたい。親にできることはその程度かもしれないと思った。
色々と偉そうに書いたが、娘には「ママは他のお母さんと違って何にもしていない」と怒られ、本当にその通りだと思いつつ、心から宮本先生と娘に感謝したい。
一緒に頑張り抜いたアテナ生、来年も続くアテナ後輩生に幸多からんことを。


K・Hくんのお母様の受験体験記

2019年 武蔵野大学附属中・明治学院中・文大杉並中 他合格

今回の受験で、勉強もスポーツと同じくセンス!を思い知りました。残念ながら我が子にはセンスはありませんでした。。。努力も大変大事な事なのですが、努力をするにも、何回やっても覚えられない!できない!ピンとこないのです。もしかしたら、この事を理解できる方、いるかもしれません。あまり追いつめず、優しく見守ってほしいです。

さて。わが家の受験の始まりは、子供本人が受験をしたい!近くの公立中学には行きたくない!と言い出した事からでした。勉強が嫌いな我が子には、厳しいのではないか?と思い、悩んでいました。そんな時にたまたま「どうする?中学受験」という題名の雑誌が目にとまり、どうする?と思いながら読んでみた所、宮本先生の記事が掲載されており、吉祥寺なら通える!引き寄せられるようにアテナに入会させていただきました。

受験が終わったその日までは、長い長い道のりでした。家族でブラックホールに入り込んでしまったようでした。塾に行きたくない!そのフレーズを何回聞いた事か。宮本先生に何回電話やメールをした事か。宮本先生、チェックテストには厳しいですが、こんな時はとても優しいです。苦しさの先にある事について語ってくださり、我が子、感動で先生の愛を感じとってきます。そんな事が何回もあり、本当に感謝の気持でいっぱいです!勉強がつらくて塾に行きたくなくても、宮本先生や塾の仲間の事は大好きで、受験は辞めない。この気持はずっと変わりませんでした。この気持だけで乗り切った気がします。

どこかの市立中学に行きたい。目標が定まらないまま成績も上がらず月日は経ち、本当にどうしたものか、困ったわ。困ったわ。が口癖になってしまうほどでした。本当にのん気で我が道を行っている我が子ですが、流石に受験間近、11月辺りから急に追いつめられた感じになってしまい、体中アレルギー症状が出てしまったり、と。我が子には過酷な事だったのだと思い知りました。 1月はアテナが生活の中心となり、朝から毎日のように通い、宮本先生、仲間、チューターの先生方と触れ合う事で気持も安定したように思います。

第1志望校は本人の希望を通し受験に挑ませました。テスト後、門から出てきた我が子はとても晴れやかな顔つきで、笑顔でした。結果がどうあれ、受験まで頑張ってよかったね!そんな話をしました。4日間とにかく元気に受験に挑み続け、第1志望は残念でしたが、私達夫婦も望んでいた学校に本人の意思で行く事を決めました。あたかかく支えてくださり、頑張る事を教えてくださった宮本先生に心から感謝申し上げます。


K・Sくんのお母様の中学受験体験記

2019年度 東京都市大中Ⅰ類・法政大学中 他合格

1月31日、アテナでの3年間が終了しました。
宮本先生と出会い、よい友達と出会い、充実した楽しい3年間を過ごすことができたことを本当に感謝しています。

4年生からは学童保育がなくなるため、放課後の居場所づくりのために通いはじめたのがそもそものきっかけでしたが、宮本先生の授業がとても楽しかったこと、塾が学校とは別の一つのコミュニティになっていったことで最後まで通塾することになりました。

正直なところ、中学受験には抵抗がありました。特に6年生のカリキュラムは塾での拘束時間が増え、授業が終わるのが21時を過ぎるからです。宮本先生には、5年生同様20時半に終了してほしいだの、お弁当を頼めるようにしてほしいだの、講習は半分くらい休みますなどなど今思えば無茶なお願いばかりしていたなとつくづく思いますが、いつも親身になって相談にのっていただきました。

宿題をやらない→宮本先生に怒られる→塾に行きたくない→頭が痛くなる→私の携帯に電話がくる ということが何度か続き、宮本先生からは、宿題をやっていなくても何も言わないということにしていただき、塾に行きたくない病がなくなりました。
ただ、チェックテストの再テストが続くと、最近どうですか?とフォローの電話があり、その時だけは宿題をやるようにしました。もちろん、やりなさいと言ってもやるわけはないので、お菓子をかけてどちらが早く終わるか競争、など適当に企画して一緒に問題を解くようにしました。おかげで再テストの単元だけは私もかなりできるようになりました(笑)
こんな感じでしたので、計算チェック、短文作文は最初の数ページのみ、コンプリ真っ白、実力アップ真っ白(算数だけ1月に少しやりましたが)テキスト付箋だらけ(やってないということ)でした。

いま振り返ってみて、受験のストレスはけっこうあったのかなと思います。塾へは行くものの、塾のない日は放課後校庭で思いっきり遊んでいましたし、それは1月に入ってからも同様で17時まで学校でサッカーや鬼ごっこをして遊び、その後塾に出かけていくという生活でした。この時期にまだゲームをするか、とも思ったこともありましたが、子供にとっては、こうやってバランスをとらないとやっていられなかったのかもしれません。
宮本先生には、ある程度の学校をめざすのであれば、それなりの学習時間は絶対に必要だと何度も言われましたが、実際にはなかなかそこまでできませんでした。親としては、過去問のコピーを何部かとったことと、再テストのいくつかの単元を一緒に勉強したことくらいで、ほとんど協力しませんでしたが、もしきちんと結果を出すのであれば、中学受験に親の介入は不可欠だと思います。

プリント、問題集、テキストなど、とにかく量が多いので全部やっている余裕はありません。特に学習時間の少ない子の場合は、親が問題の取捨選択をして、間違った問題を中心に効率よく学習させることは絶対に必要です。子供の勉強の様子をみていて、塾には行って問題をこなしてはいるけれど、あまり身になっていないだろうなと思うことが多かったこと、とにかく復習する時間を確保できないため、次から次へと問題をやってもあまり意味がないだろうなと感じていました。
「新しい問題はやらずに今日は今まで間違ったところをもう一度やり直してみる!」 と自分から言い出したとき、おー、自分で気がついたか、えらい!と思ったものです。2月1日まであと数日、というときでしたが。受験することを選択したときから、この受験には一定の距離をおこうと決めていたこともあり我が家は「親子一緒にアテナでがんばった3年間」では決してありませんでしたが、子供は“今”できることを自分なりにがんばったと思います。

第一志望合格という結果にはつながりませんでしたが、自分で決めて自分で挑戦したこと、そして結果を冷静に受け止め、反省点も見つけたことで大きく成長できたと思っています。最後まで習い事も続けながらアテナ生活を満喫でき、とてもよい受験ができました。

宮本先生、3年間、本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。


M・Yさんのお母様の中学受験体験記

2019年度 富士見中・山脇学園中・国府台女子中・大妻中野中特待・西武文理中特待 他合格

中学受験を考え始め塾を選び始めた時にお友達のお母さんから勧められたのがアテナでした。私自身、中学受験の経験があり、大手の塾の一斉に教えられ分かって居なくてもどんどん進んで行く授業に苦い思い出があったため、少人数で生徒がどこまで分かっているのか、表情をみながら授業して下さる塾はないかと思っていたので、アテナの方針はぴったりでした。体験に行き、娘はすぐにこの塾に行く!と言いました。入塾してからは、授業は勿論、しゃかりかなどの課外授業も殆ど参加し、3年間嫌がる事なく通い切る事が出来ました。

そして本題、お勉強ですが、月例テストに首都圏模試と上がったり下がったりが激しく全く安定しない成績でした。計算チェックテストも再テストのメールを頂くことも多く一喜一憂する日々でした。娘は、と言うより、私が口出しをしてテスト前は計算日記や実力アップなど範囲の物はほぼやって挑むのに成績が思うより取れない事が多く、なんであんなにやったのに…と思う事が良くありました。はっきり言ってしまえば、やる気の問題、もっと砕いて言えば問題をやらされている=とりあえずこなしている、分からない問題は答えを見てやってみる、そして、何となくわかった気になる…先生に質問する、その場は分かった気になる、で、終わっていた様に思います。宮本先生がおっしゃっていた、間違ったらもう1回、そして青丸で何回かやってみる、と言うのが、日々の問題に追われて娘には徹底できていなかったのかも知れません。なるほど!そうか!と問題を完全に理解して自分の物にする事が本当に大切だと思いました。なので、6年生の後半ですが、宮本先生ノートを作り、少しでも?と思う問題は全て質問に行く、そして、その日のうちにそのノートにもう一度やってみる、と言う事をやりました。これは6年の後半と言うこともあり、本人にやっと芽生えた、ほんの少しの?やる気とあいまり、実力がついた様に思います。

志望校選びですが、5年生の時、娘は絶対ここに行きたいっ!と言う学校はありませんでした。どこの学校も良く見えました。かく言う私も説明会を聞くとどこの学校も素敵だなぁと思っていました。足を運んだ学校は結局6校でした。今となればもう少し見てみても良かったかな、と思う反面多く見ても迷ってしまうし、結果足を運ぼうと思う学校の興味がある学校だから良かったかな、と思ったりします。でも、1つお伝え出来るのは、お子さんは勿論、出来れば、お父様にも積極的に学校の説明会に行って頂いた方がいいと思います。お子さんの希望が一番ですが、社会で働くお父さんの意見、こう言う社会人になって欲しい=何がこれから必要なのか?が進学する学校と合うのか、6年間通う可能がある学校をお父さんの目で見ておいてもらうのは大切だと思います。うちは、第一志望は吉祥女子でしたが、残念ながらご縁は頂けず、富士見と山脇、大妻中野の特待生で合格を頂きました。第2希望は富士見でしたが、宮本先生オススメの山脇も富士見に負けない魅力がありましたし、妻中で特待生を頑張ってずっととるよう努力し、もし自分の行きたい大学の推薦制度があれば、それを使って進学も可能?なんて欲もあったりなかったり…最後は娘が行きたいと言った富士見になりました。ここは主人も説明会に行き校長先生のお話や雰囲気も一番気に入っていた学校でした。

娘は吉祥女子を第一志望に最終的にきめたのは6年生の夏休み明けでした。吉祥女子に文化祭や模試で足を運んだり、塾に行く際に車窓から見える校舎を眺めるうちにやっぱり吉祥女子がいいなあと思いが強くなり決めました。しかし過去問の結果は散々でした。特に吉祥女子の理科が難しく計算問題はかなり苦労し、5年6年の実力アップを繰り返しやりました。12月のクリスマス前に先生から吉祥女子は難しいので、2/1を受けて2/2は追わずに富士見の方が安心かと思います、とアドバイスを頂きました。親としてもそうだよね…と言う思いでしたが、今は合格最低点を超えなくても本番に越えればいいんだ!と思いやる事をやろうと思いました。それからの娘は娘なりに頑張り1月校の西武文理は午前午後とも特待生合格でした。ここで先生から,「ここ最近の頑張りは本当に凄いです!失礼ながら西武文理を2つ特待生合格を取ってくるとは思いませんでした。2日も強気に吉祥で行ってもいいかも知れません!」と言って頂きました。その言葉が嬉しく、ここから娘は本当に頑張ったと思います。

国府台女子も合格を頂き、遂に2月1日。先生に激励を頂き、試験に向かいました。塾に行くのが日常になり、お弁当を作るのも日常になり、この日のためにやってきたんだなあ、本当に2/1って来るんだなぁ…と言う、変ですが、こんな感想です。娘を迎えに行く前に、私は、出来なさすぎて半べそで出てくるんじゃないか、午後に立ち直せるかなぁと思っていました。しかし、実際は真逆でニコニコ「過去問より全然簡単だった!昨日見たところもこの前宮本っちゃんから教わったとこも出た!」と。ひとまずホッとし、お昼を食べ、午後の山脇算数受験に向かいました。娘が出来たと言う事はみんなも出来ていると言う事、でも昨日見たとこや最近教わったとこが出たのはラッキーだったね、と話ました。その夜の結果は、ドキドキでしたが残念ながら番号はなく、呆然でした。娘は最初、手応えがあっただけに「明日も吉祥受けたい!」と言いました。山脇は合格を頂いていたので、チャレンジさせてもいいか、とも思いました。でもそこで先生から合格最低点が見たことがないくらい高い、と。先生と娘の中で、220点くらいで合格出来るでは?と話していたらしく、点数の配分を相談していたらしいのですが実際は243点。吉祥の問題であと20点数以上明日取れるのか?明日は御三家を受けたお子さん達も受験し、もっと過酷なものになる、と考えて、娘も冷静になり、厳しいと思うから富士見にすると言い、2月2日は富士見を受験しました。結果は合格。本当に良かったです。後から思い起こすとこの切り替えが娘には良かったと思いました。2日、吉祥がダメで3日富士見の場合、富士見も今日が最後、落ちたらどうしようというプレッシャーで、大丈夫でしょうと言って頂いて富士見でも実力が出せなかったかも知れません。本当に受験は的確な冷静な判断が必要だと思いました。

また、余談ですが案外受験で忘れがちなのが下の子の事です。今年は土日を挟みましたが、ご主人がお仕事を休めない場合、また早く会社に出勤したりで、私たちは早くに出てしまうし、弟が朝1人になっちゃう!みたいな事になります。お婆ちゃまに来てもらうなり、学校を休ませるなり、考えておいた方が良いと思います。

娘は富士見に進学する事を楽しみにしています。良かったことに一緒に進学できるお友達もいます。本当にご縁だと思います。ご縁と言えば、宮本先生。本当に娘の人生、私たち家族も宮本先生にお会いでき、通塾出来て本当に良かったです。塾、最終日に娘が帰ってきて言った一言が「もっとアテナ行きたいな」でした。こんな塾あるでしょうか?先生には本当に感謝の思いでいっぱいです。いつ休んでるの?と思う気配り、面倒見の良さ。スーパーマンだと話しています。受験は確かに大変です。でも、宮本先生の教えを守って、ついて行って下さい。先生もお身体に気を付けてこれからも熱血指導頑張って下さい!本当にお世話になりました。ありがとうございました。


A・Hさんのお父様の中学受験体験記

2019年度 富士見中・国府台女子中・恵泉女学園中 他合格

詳しい経緯や娘の様子は妻の体験記にあるので、父としての行動や感じたことを思いつくままに。

1.心がけたこと
中学受験は一切考えていなかった私は「勉強ばかりで子供らしい成長が難しい受験勉強」は避けたいと考え、宮本先生の受験に対するスタンスに共感し、ある程度理解したうえで始めました。
といいつつも、具体的に何をすればよいかが全く分かっていなかったので、宮本先生の言うとおりに行動しようと心がけましたが、その中でも特に気を付けたのはこの2点。
(1)自主性の尊重
娘が自分でやると決めたので、自主性を尊重しました。やるなら徹底的にやらせたいところでしたが、宮本先生の指導理念に基づき自立した学習を実行するためのサポートに徹するよう気を付けました。私が実行できたかは若干怪しいのですが、結果的に娘は自立した学習ができるようになったと思います。
(2)一緒に楽しむ
勉強や行事はできる限り一緒に楽しみました。これはほぼ達成できました。自信があります。
行事では、しゃかりかクラブ、BBQ等塾関連はもちろん、首都圏模試は主に私が付き添い、学校説明会でも私立中学の教育方針等に感心しながら学校を探しました。普段意識しない事ばかりでしたが、娘よりも自分が楽しんだのは間違いありません。
勉強では、自分で考え答えを導き出すよう見守りました。我慢しきれず解き方を押し付けてしまう面がありましたが、一緒に考えることを楽しめました。娘がどう思ったかは別にして・・・。

2.アテナで良かったこと
(1)娘の成長
勉強だけでなく、人間として成長したこと。
第一に、生活態度、礼儀、相手の気持ちを思いやることなどを徹底して教えてくれました。普通の塾ではしないであろう、勉強以外のことも熱意をもって指導し、時には先生自身の経験を踏まえ、人としてどうあるべきかを自ら考えさせるよう話していただき、幼いながらも自ら考え行動するようになりました。
また、学習面でも、入塾当初は授業や宿題のペースについていけませんでしたが、宮本先生の熱い指導と本人の努力により徐々に対応できるようになり、最終的には自立して学習するようになりました。
4年生のころは自信のない弱気なコメントが非常に多く学習意欲も低かったのですが、自立するに従って自信がついたようです。本番では落ち着いて試験に臨み、持っている力は発揮できたようです。
特に受験終了までの1か月の頑張りは目を見張るものでした。毎日朝から晩まで、大人でも簡単にはできないような時間と量を集中してやり切り、不合格が続いてもあきらめず最後まで全力を尽くした姿には、わが子ながら感動しました。
それらを自主的に乗り越えるまでに成長した娘を頼もしく思います
(2)親も成長
ついでに親も成長させてもらったこと。
第一には、子供の成長の可能性は無限だということを実感しました。頭では理解しているつもりでしたが、短期間にここまで成長するとは思いもしませんでした。これからもより成長できるようサポートしていきます。
次に、思い込みで選択肢を減らしていたことに気づきました。十分知識を持っていない事にも気づかず「中学受験なんて子供にさせたくない」と考えていた私たちにとって、「子供たちが成長する中学受験がある」事に気づかせていただけたことは大きな収穫でした。子供と本気で向き合い、様々な選択肢を考えてきたつもりですが、足りない部分があることに気づきました。これは勉強に限らず、これからの人生すべてに通じることだと感じています。
(3)楽しい学び
ポイントを絞った楽しい授業と絶妙にコントロールされた宿題により、勉強そのものが楽しいと感じていたこと。娘の代わりに私が受けたい位です。
(4)楽しい行事
合宿、しゃかりかクラブ、BBQなど楽しい行事がたくさんあったこと。
先生の熱い思いとノウハウが凝縮された塾の行事は、娘をはじめ子供達に大好評でした。親が出られる行事にはほぼ参加し、保護者の中では高い出席率だったはず。子供よりも私のほうが楽しんだと思います。ちなみに次女がいるのであと2年は楽しめます。(笑)
(5)健康に過ごせたこと
きっちり学力を身に付けつつ、規則正しい生活を送りながら健康を維持して中学受験を乗り越えたこと。
学年が進むごとに徐々に増えていく授業時間や宿題の量を宮本先生が絶妙にコントロールしたくださったおかげで、無理のない生活ができました。早寝早起きがモットーの我が家では非常にうれしいことでした。睡眠時間を十分確保し、元気に毎日を過ごしていました。

3.反省
概ねよくサポートしたと思っていますが、いくつか心残りがあります。宮本先生との連絡をもっと密にして、より良いサポートができたのではないかということです。
(1)学校探し
もっといろいろな学校を見学しておけばよかったと思っています。
4年生の時からそれなりに文化祭等の行事や学校説明会には参加し、結果的に学校選びは成功したと思っています。しかし、アテナの友達の受ける学校の話を聞いただけでも本当に様々な学校があるのだと改めて感じています。通学時間やその時の学力で範囲を絞りすぎた感はあり、もっと先生に相談して、もう一回り広く見ていればより良い学校探しにつながったと思います。
(2)日々のサポート
チェックテストや月例テスト、模試の結果で、娘の得手不得手はある程度見ていたつもりですが、授業や宿題の合間を使ってもう少しフォローした方が良かったと思います。
基本的には本人が十分努力していたのですが、不得手な部分は緩みがちだったと思います。早い段階でフォローしてもう少し手当しておけば、受験直前の追い込みもさらに効果が上がったのではないかと考えています。
(3)受験直前のサポート
娘の模試・過去問の結果や勉強への取り組み方などを見て、弱点を強化したほうが良いと感じていましたが、先生に十分意図を伝えられず、後手に回ってしまいました。
「自立した学習」を意識しすぎ、親が口を出してはいけない、先生と娘とで進めるのだと判断したのです。この時にもっと先生と意思疎通ができていれば、より良い結果となったかもしれません。

4.感謝
中学受験に偏見を持っていた私は、こんな方法があるなんて思いもしませんでした。
宮本先生に感謝。
凝り固まった考えに柔軟性を与えてくれたことに感謝。
確固たる信念をもって実行する姿にさらに感謝。
ついでに親も成長させていただき、また感謝。
何より、子供たちを愛し成長を願う気持ちに、またまた感謝。
感謝。感謝。感謝。どれだけ感謝しても足りないくらい感謝。

私の気持ちを淡々と表現しようとしたのですが、うまくできません。
言いたいことはこれ。
本当に楽しく素晴らしい3年間をありがとうございました!!!


2018年度

H・Hくんのお父様の中学受験体験記

2018年度 芝中 慶應中等部一次 桐朋中 東京都市大中 他合格

一月三一日、入試の前日に最終授業を終えた息子を塾に迎えに行った帰り、「良い先生、良い仲間に恵まれ、○○君に算数で負けて悔しい思いもして、受験勉強は楽しかった。アテナに通えて本当によかった。」と本人が呟きました。そして迎えた入試本番。次々と受験校に合格していく様子を見て、「本命の慶應中等部も合格する」と家族全員が信じていました。
一次試験を通過し、気力十分で臨んだ二次試験での不合格。過酷な最後が待っていました。本人は数日間、悔しさで立ち直るのが大変でしたが、塾や学校の友人と会って遊んだり、我慢していたゲームを再開したりして、少しずついつもの明るさを取り戻しています。自分の意思で過酷な勝負を挑み、最後まで自分を信じて試験会場に臨む息子の姿は、親ながら本当に尊敬していましたし、これからの人生も、どちらか迷ったらまた困難な道を選んで挑戦していって欲しいと願っています。

アテナに体験入塾したのは四年生の十一月でした。中学受験に挑戦しようと妻と話し、私は仕事帰りにいくつもの中学受験塾に訪問して出来る限り代表者と話を重ねました。規模に拘らず、「論理的に話をしてくれるか」、「情熱はあるか」、「整理整頓されているか」、などの視点で十件程度の訪問を重ね、宮本先生にたどり着きました。妻を連れて再度面談させて頂き、妻もすぐに入塾に同意、アテナへの通塾が始まりました(正確には定員がいっぱいでウエイティングでしたが無事に入塾できました)。
五年生の一学期、土曜日は少年野球と両立をしながら、それでも遅刻せずに何とかアテナに通う感じだったと思います。本人は、入試直前期よりもこの時期が一番辛かったようです。五年生の夏休み、学校がない中で塾と野球だけの世界となり、落ち着いて授業と家庭学習をこなしました。妻は夏季講習期間中だけ会社に無理を言って業務時間を変更、私も取得できる夏季休暇はすべて塾が休みの日に取得、午前中の短い時間で一緒に家庭学習に取り組みました。家族一丸で臨んだ五年生の夏休みを越えた頃から結果が出始め、大好きな歴史の勉強も絡めながら受験勉強のペースを掴んでいきました。

【家庭学習の振り返り】
【国語】読み込まなければ解けない選択問題や、深みのある記述は最後まで点数が取れませんでした。こればかりは子供の成熟度と相関関係があると思います。ですが、先生の著書にもある通り、国語は親子の会話を磨くことに尽きると思いました。具体的にどう会話するかについては、授業終わりの宮本先生と生徒達の会話をコソ聞きすると明確になります!
【算数】親が挑戦しようと決めた中学受験、五年生の間、算数について時間が許す限り私も同じ問題に挑戦し、子供から宮本先生の解法を教わりました。父子の目標は「算数のチェックテストを1回でクリアすること」のみ。二学期に入って算数のチェックテストをほぼ一回でクリアするようになり、算数に関する親のサポートは終了、その後は宮本先生の指示された課題に取り組んでいました。
【社会】先生の仰る通り、五割は歴史です。『日本の歴史』のマンガも良いですが、我が家がハマったのはマンガ版『その時歴史が動いた』でした。妻が図書館で繰り返し借りてきてくれ、家の中のどこかにこのマンガが置いてあり、親子で何度も読み返しては、細かなシーンを再現していました。戦国時代や明治維新の詳細な人間関係が魅力的に描写されており、歴史の流れを学ぶにも十分な内容なのでオススメです。
【理科】計算問題はそこまで苦手意識がなかったものの、六年生の冬になっても植物、地学、化学などの苦手を克服できない状況でした。そこで「皆ができる問題を落とさないこと」を目標に、十二月から板書ノートの復習と『ゴロ理科』を繰り返しました。ゴロ理科の内容をより目で理解するため、学研の『ビジュアル理科』を六年生の十二月の末に購入し、ゴロ理科と併用して親子の口頭試問(一日三〇分程度)を日課とし、最後に理科の苦手を何とかできるレベルに仕上げました。
以上、こう書くと私のアイデアのようですが、先生が二月の説明会で教えてくれたことばかりです。

【第二志望以下の学校選定について】
息子にとって中学受験は慶應中等部に合格することだけでした。それ以外の学校はどこも同じだったようで、第二志望以下を決めるのは親の役割でした。妻は候補となりそうな学校の説明会には全て参加し、学校の様子を肌で感じながら絞り込みをし、そこから私が過去問を見て最後の絞り込みをしました。さすがに算数の過去問は理解しきれませんが、その他の教科は答えを見れば親でも少しは理解できます。親も過去問にトライすることで、各校が求める生徒像、子供との相性、そして偏差値表が鵜呑みにできないことが本当によく分かりました。

最後に、塾を選ぶ際には、どうしても大手塾の情報量に惹かれる部分があると思います。ですが、アテナでは、六年生の二学期になると、先生が学校別の外部模試を勧めてくれ、十分な情報はここで手に入ることが分かります。私は、中学受験塾という高額な商品を選ぶ際に一番大切なことは「教える熱意とスキル」、そして「相性」だと思います。大手塾では到底かなわない、「教える熱意とスキル」がアテナにはあります。息子は本当に苦しい思いを重ねながら、それでも折れずに挑戦を続けました。その折れない心を、二年間じっくり待ちながら育ててくれたのは宮本先生です。宮本先生、二年間本当にありがとうございました。この出会いに心から感謝致します。 


M・Tさんのお母様の中学受験体験記

2018年度 吉祥女子中・光塩女子学院中・恵泉女学園中 他合格

三年前、最初にアテナの「天体」の体験授業を子どもと一緒に受け、私自身が面白く思い、子どもが四年生になってからアテナに入塾しました。
子どもは、アテナには楽しく通っていたものの、普段の生活は遊び中心で、成績自体はずっと低迷していました。授業の前に行われる計算チェックテストも再テストの常連でした。再テストのお知らせがくるたびに、またかとがっかりしたのを思い出します。
そのような状態でしたので、志望校として考えた吉祥女子は到底無理ではないかと思い、別の学校を志望校として考え始めました。ただ、宮本先生との面談時に、「吉祥女子を目指して頑張る気持ちがあるならば、それに合った指導をします、私を信じてついてきてください」と言われました。私は、偏差値がかなり足りていないけれど大丈夫かな、でも志望は低いより高い方がいいなと思い直し、親としても、あくまで第一志望は吉祥女子と決めました。
もっとも、子ども自身は、六年生になっても、勉強に身が入らない生活が続き、学校から帰ると遊びに出かけてしまいますし、家でもゲームをしたりテレビを見たりして過ごすことが少なくありませんでした。親からは子どもに「こんないい加減な勉強態度なら、受験をやめたほうがよい」と何度も話しました。しかし、子どもは、宮本先生の授業が大好きで、仲良しの友達もいるアテナをやめたくないと頑として言い続けました。

六年生の夏前に、「このまま真剣に勉強をしないならば、受験をする意味がない」と本気でお説教をしました。子どもは吉祥女子に通いたいという気持ちが強かったようで、夏頃から、苦手な算数を中心にテキストの演習問題などをしっかり復習するようになり始めました。その結果、多かった計算ミスが少しずつですが減るようになってきました。また、六年生の夏といっても子どもにとって受験はまだ先というイメージがあったようで、とりあえず毎月の模試や、定期的に行われるチェックテストなどを目標に勉強するようにしました。そして、六年生の秋からは成績が向上し始めました。
それでも、吉祥女子のハードルは高く、過去問演習をしても、合格最低点にはなかなか届かない状態が続いていました。しかし、子どもは吉祥女子を目指すという気持ちを一貫して変えず、宮本先生の指示に従い、ずっと吉祥女子の過去問演習を続けていたところ、直前になって、合格点を少し超えるようになってきました。後から思うと、最後まで諦めずに第一志望校を目指し、過去問演習をこなしていたのがよかったのではないかと思います。

二月一日の吉祥女子の入試は不合格でした。もともと、二月二日は第二志望校を受けようと子どもとも話していました。しかし、一番過去問演習を重ねていたのが吉祥女子でしたから、子どもが二日にも吉祥女子を受験したいと後で言い出すかもしれないと思い、夫と相談し、子どもには内緒で、二日の吉祥女子の入試にも出願しておきました。
子どもは、一日目の合格発表を何度も無言で見返してから、二日目も吉祥女子を受けたいと言い出しました。私としては、二日目は第二志望校を受けて、確実に合格を決めてほしいという気持ちがあり、第二志望校を受ける方が良いのではないかと子どもに話しました。そんな時、宮本先生から励ましのお電話をいただき、悩みに悩んだ末、試験時間の一時間前に、子ども自身がやっぱり第一志望校の吉祥女子を受けると決断し、最終的に二日目も吉祥女子を受験することに決めました。その結果、合格を手にすることができました。

アテナでは、ほかの塾ではない体験学習がたくさんありました。子どもは、広島や奈良の夏合宿をはじめ、スキーやバスツアー、その他様々な体験学習などにほとんど参加させていただきました。昆虫講座ではカブトムシの幼虫をいただき、六年の春から秋にかけてカブトムシを数匹育てたりもしていました(カブトムシの世話を毎日したのは、ほとんど親でしたが)。
子どもは、宮本先生を慕い、そして、アテナでの様々な社会勉強なども通して、学ぶことの楽しさを体験し、子どもなりに、大事な年ごろの時期の受験を乗り越え、精神的にも少し成長できたのではないかと思います。
最後の最後まで子どもを温かい目で見守り指導してくださった宮本先生には、感謝の気持ちで一杯です。
これまでご指導いただき、本当にありがとうございました。 


D・Iくんのお母様の中学受験体験記

2018年度 世田谷学園中・東京農大第一中・西武文理中特選 他合格

受験体験記を書くにあたり、まず宮本先生に心より御礼申し上げます。お陰様で素晴らしい受験生活を送ることができました。
中学受験を経験したことのない私たち夫婦には、息子の中学受験のすべてが全くの手探りから始まりました。その中で宮本先生の著書『はじめての中学受験』に出会えたことは、本当にラッキーなことでした。「中学受験はゴールではない」、「中学受験を成功させたいなら子どもを自立させろ」という言葉。当たり前に聞こえるけれど、一生懸命になるあまり見失いがちなことだと共感し、入塾させていただきました。

「自分にはアテナ以外にない」と、最初の見学で一目惚れした息子の、宮本先生とアテナに対する信頼は最初から絶大なものでした。宮本先生の分かりやすく、興味を引き出すような授業がとても好きだったようです。アテナに入って最初の月例テストは無残な成績でしたが、学年が上がるに連れて目に見えて成績が上がってきました。また、「このニュースについて、宮もっちゃんはこう言ってたよ」、「これこれってこう言う意味なんだって、宮もっちゃんに聞いた」など、家での会話もアカデミックになっていきました。先生の〝雑談〟もすべてが力になったのだと思います。体で学ぶ『しゃかりかクラブ』や合宿は、毎回とても楽しみにしていました。クラスメイトと友情を深めることができ、勉強への意欲も駆り立てられたようです。休日返上で、子どもたちの好奇心を刺激するような企画を立てて下さる先生には、頭が下がる思いでした。

そうして迎えた最終学年。息子の志望校は、入試で算数が難しいのは言うまでもなく、社会はほとんどが記述式の学校でした。夏期講習でやった過去問は惨憺たる結果でした。宮本先生からも第1希望の変更をアドバイスされました。宮本先生が勧めてくださった学校も素晴らしい学校だったのですが、息子は頑として譲りませんでした。宮本先生は息子の気持ちを汲んでくださり、励ましながら熱心に指導してくださいました。
このように申し上げると、2年半しっかり受験勉強していたかのように思われてしまうかもしれませんが、実はそんなことはないのです…。アテナの授業中だけは集中して頑張っていたようですが、家では最低限の宿題しかせず、ゴロゴロしたり、学校から帰るなりランドセルを放り投げて遊びに行ってしまったり。そんな姿を見るたびに、何度宮本先生に泣きついたことでしょう。最後に訴えた時には、「塾ではしっかりやっているので、家ではのんびりさせてあげてください」とのお言葉。受験本番まで残り数ヶ月で親としては焦っていましたが、この言葉で救われました。
しかしそういうわけで、漢字日記・計算日記・短文作成をかなりやり残してしまったのは、本当に残念でした。しっかり取り組めていたら、間違いなく算数や国語の基礎学力はもっと安定し、問題を解くときの正確さやスピードも向上していたでしょう。「難しい志望校なのだから自覚を持って自分でやりなさい」、「基礎力の訓練が大切だ」と声がけし、自発的に志望校に見合った努力をしだすところまで期待していましたが、息子の場合はもっと横に座って伴走してあげ、癖やペースを作る手助けをしてあげるべきだったと今は思っています。ここは、親の力不足でもあったのではないかと反省しています。
とはいえ、あくまでも第1志望を譲らず、受験直前の年末からはアテナの授業後もギリギリまで自習室で勉強して帰ってくる姿を見て、初めて息子に逞しさを感じました。そうした意味では自覚はできたのでしょう。十二月後半になると社会の記述もできるようになり、過去問で合格ラインに達するようになりました。本人が第一志望の学校に入ることしか頭にないため、宮本先生と相談して私たち夫婦が気に入った学校2校を第2希望とし、最後まで第1志望の対策に力を入れました。

受験生活を送っていると、親にも子にも色々な情報が入ってきます。そうした情報に惑わされず、自分の道をひたすら進むことは難しいことです。悩みや相談が出てきたとき、宮本先生がそれらをすべて受け止めて、ご経験に裏打ちされた的確なアドバイスをくださったお陰で、最後まで迷うことなく受験に臨むことができました。
息子の受験を振り返って、語らずに済ませられないもの、それはアテナの仲間たちの存在です。「仲の良い学年は良い結果を出す」とは宮本先生のお言葉ですが、仲間たちと最後まで高め合う、励まし合う姿は羨ましくもありました。素晴らしい出会いに本当に感謝しています。良い関係がこれからも続いていくと良いなと思っています。
一月校の入試直前、息子は「早く始まって欲しい」とウキウキでした。こんな気持ちで受験ができるなんて、想像すらしていませんでした。2月1日午前の第1志望では、試験の途中から具合が悪くなり、最後の教科は保健室受験をすることになって冷や汗を流しましたが、午後から持ち直し、その後全ての予定をクリアすることができました。どの学校でも、校門のところで宮本先生に電話をして励ましていただきました。大変ありがたかったです。残念ながらあんなに行きたがっていた第1志望にご縁はいただけませんでしたが、第2志望の2校には合格をいただくことができました。本人も手応えは感じられたようで、すぐ立ち直り、今では新生活をとても楽しみにしています。

息子は、アテナに入った頃は初めての環境に戸惑って友達も作れず、右手の骨折なども重なって、アテナは嫌いではないのに行けないことも度々ありました。その度に宮本先生は電話で説得してくださったり、アドバイスを下さったりしました。それから2年半の時を経て、学ぶことの楽しさを知り、仲の良い〝ライバル〟たちと切磋琢磨しながら自分の想いをぶれずに実現しようとする息子に成長しました。親として、合否以上に、これほど嬉しいことはありません。


S・Kさんのお母様の中学受験体験記

2018年度 吉祥女子中・富士見中 他合格

「中学受験しようかな」
突然そう言い出したのは、四年生の一月末頃でした。
それまで何の準備も知識もなかったので、慌てて図書館で関係書をかき集め、その中に宮本先生の「はじめての中学受験」がありました。メールで問い合わせて、体験授業をし、入会するまで一週間。ちょうど五年生の授業が始まる所に滑り込みました。
通い始めた頃は、チェックテストは毎回再テスト、たった5問の算数の宿題に3時間もかかるなど、勉強のペースがつかめず苦労しました。でも、授業で今まで知らなかった事を知るのは楽しかったようで、授業の後は脳が興奮状態でなかなか寝付けないこともありました。電車で通っていたので、帰りの電車でその日の授業で聞いた事を教えてもらうのが、私も楽しかったです。特に宮本先生の雑談の話が。

受験勉強を始めると同時に志望校探しも始まりました。娘の一番の希望は「女子校」でした。色んな学校のホームページを見たり、合同説明会などに行ってみたり、いくつか候補は上がりました。五年生の間にそれらの学校のオープンキャンパスや文化祭に行って、第一志望校が決まりました。六年生になってからは首都模試の会場を興味のある学校にし、試験の間に学校説明会に参加しました。
六年生の九月以降は、月・水・土の授業の他に、日曜日や祝日に過去問演習が始まります。午前中に過去問を解いて午後解き直しをするのですが、解き直しに時間がかかりその日中には終わらないことが度々でした。また学校の方も二学期は行事が多く六年生は役割も多いため、両立するのが大変そうでした。宿題や解き直しが終わらない時は、宮本先生に連絡をして待ってもらったり、過去問演習を一回休んで解き直しを優先させてもらったり、相談しながら融通していただきました。

受験間際は特に睡眠をきちんととる事、消化の良い食事をとる事などに気をつけました。そして普段通り家の手伝いもさせていました(大した仕事ではないのですが)何事にも時間がかかるので、前日にゆっくりと持ち物や洋服を用意し当日の朝慌てないようにしました。合格発表で受験番号を見つけた時の嬉しそうな顔を見た時「中学受験をさせてよかったな」と思いました。
アテナでは、6年生になると計算チェックテストをやるのですが、時々ランキング表を持って帰ってきます。そこには今までの歴代の生徒さんの点数と進学先が載っていて、自分の志望校に進んだ先輩が同じ時期どのくらいの点を取っていたのか比べることができます。また、中学生になった先輩が時々遊びに来てくれて、身近に目標を感じながら勉強できたのがとても良かったと思います。これからは、塾生の皆さんが憧れる中学生となり、自分がしてもらった様に、後輩の受験を応援して欲しいと思います。

宮本先生やチューターの先生には大変お世話になりました。中学受験で勉強漬けになるのは反対だったのですが、アテナでは、しゃかりかクラブや夏の合宿など、体験学習も多くあり、楽しみながら勉強ができました。本当にありがとうございました。


K・Oくんのお母様の中学受験体験記

2018年度 桐朋中・暁星中・西武文理中特待 他合格

【アテナとの出会い】
同じ小学校の先輩お母様から、三人の御子息が通ってとても良い塾があると聞いていたのが、アテナでした。中学受験がいかなるものか、皆目見当のつかずの我が家にとって、ありがたい情報で、自宅から自転車で十分というのも魅力でした。知識欲だけは人一倍強く、理屈っぽい一人っ子の息子は、宮本先生の授業にぐいぐい吸い込まれるようになりました。夜の山登りで天体観測、カレー作り、磯探検、授業以外でも興味や関心を満たして下さる宮本先生は、息子にとっても、親にとっても、ワクワクの泉の様な存在でした。入塾は四年生の最後、今回卒塾アテナメンバーとしては、ラストでした。

【五年生だらだら期】
最初こそ、テストの結果は良かったものの、地道に努力する訳でなく、新しく習う算数の解法は大好きではありましたが、計算ミスを多発。理科はウキウキ。地理は全く覚えず。国語はそこそこ、漢字は適当。マンスリーテストの結果は下降線をたどり、とうとう、宮本先生にアテナでの成績は底辺にいると言われる程になりました。計算日記もやったり、やらなかったり。基本的に自宅で夜は学習せず、登校前にアテナの宿題と学校の宿題をやっていました。宮本先生は息子に合った学習法を様々考えて下さいましたが、ほうっておくと、好きな科学雑誌や機械の本を読んでいて、アテナの授業は大好きで、喜んで通ってはいるけれど、この先どうなってゆくのかわからず、親としては、困った感ありの時期でした。幾つかマニアックな男子向きの学校の文化祭に家族で行っておりました。武蔵、桐朋は魅力的でした。

【六年上昇期】
六年になり、本人の目的意識がはっきりしてきたこと、精神的に少し成長してきたこと、宮本先生によく相談したこと等が相乗効果となり、テストの結果も上昇してきました。首都圏模試は相性が良かったようで、本人の自信につながりました。社会は近現代史になると、覚えなきゃいけない科目から、関連の本を探すなど、ウキウキの楽しみな科目になりました。それでも、週に三回通塾、春期講習、夏期講習、冬期講習、模試、ラスト一年とはいえ、スケジュールはびっちりで、小学生とは思えない状況に正直びっくりしました。
我が家は近いので楽な方だったと思います。電車、バスで通塾されているメンバーは本当に大変だな、ご家族のサポートも偉いな、と思っておりました。子供たちは皆、常に楽しそうに通っていました。授業以外でも、プールに行ったり(メンバーのお父様が付き添って下さった!ありがたい!)模試の後に図書館に行ったり、アテナメンバーと過ごす楽しい時間もありました。しゃかりかクラブも全参加で、毎回楽しみにしていました。広島、スキー、鎌倉、奈良、イベントも盛りだくさんで、勉強以外の生活面や集団行動もご指導くださいました。有り難かったです。本当に楽しそうな日々でした。

【六年最終混迷期】
夏休みから、早く過去問を解きたいと言っていたものの、点数は合格最低点に遥か及ばず、このあたりは、楽天的な母でも、さすがに焦りました。アテナを紹介してくれたお母様が、これからの宮本先生の手綱さばきは見事なものよ、とおっしゃっていたので、見守ろうと、サポートに徹することにしました。先輩アテナ生の御子息方はラストスパートが凄かったので、息子も同じようなペースかと想像していましたが、全く違いました。夜は殆ど勉強しませんでした。
十二月後半は少し疲れが出ているようで、年末は朝の自宅学習をお休みするように、宮本先生から言われたようです。アテナのある日は十時就寝、翌日は六時起床のタイムテーブルでした。一月はほぼ学校はお休みしました。担任の先生が受験に理解があったこと、受験率が全体に高い学年だったことは、ありがたいことでした。朝九時にアテナに行き、過去問を解き、お弁当。解き直しをして夕方帰宅しました。アテナそばの大好きな吉祥寺図書館が改装中の為、九月から三月まで閉鎖ですので、寄り道出来なかったのは本人には不本意でも、アテナで集中して学習できて、結果的には良かったと思いました。
一月になり、志望校を決める段階になり、本人も親も迷いました。かなり迷いました。問題の傾向や、本人との相性など、宮本先生が細かく見てくださいました。本人のモチベーションの扱い、親の考えを汲んでのご指導は、まさしく、見事な手綱さばきであったと実感できました。先輩ママの言葉通りでした。最後の最後に第一志望を桐朋としました。宇宙や星に興味がある息子に良い環境でした。なかなか最終決断出来なかった私たちですが、宮本先生は忍耐強く待って下さったのだと思います。桐朋はほぼ大丈夫でしょうと、心強い言葉をかけてくださいました。

【二月日】
あまり緊張しないと言っていた息子が、さすがに今日はちょっと緊張するなと言っておりました。国立駅からは真っ直ぐに延びる大学通りを進み、校門の手前にニコニコ笑顔の桐朋中学1年生のアテナの先輩とそのお兄様のお顔が見えました。先生は当日桐朋には行けないけれど、強力な助っ人を派遣するので、楽しみにしていてと、息子に話して下さっていたそうです。二人はアテナでやってきたことを落ち着いて発揮すれば、絶対大丈夫。努力は裏切らない。桐朋は楽しい良い学校だから、四月から学校で待っていると激励して、合格と書いたカイロを手渡してくれました。リラックスして試験に取り組めた様で、寒い中朝早くから待っていてくれたお二人に本当に感謝しました。午後は頭が働かないらしく、午後受験は考えませんでした。夜一〇時、合格を確認しましたが、本人は既に就寝しており、翌朝伝えました。宮本先生にはメールでお知らせしました。とても喜んでくださいました。その後、算数の問題との相性が良くなかった暁星にも合格しました。

【終わってみて】
アテナに行く後ろ姿は、いつもウキウキと嬉しそうでした。宮本先生の知的好奇心を刺激してくれる授業や、話しが横道にそれた時の面白さは最高だったようです。楽しいメンバーにも恵まれたと思います。ラストは過去問の連続で、さすがに疲れてきたかなと思いました。本人の体験記を読むと『家族で激励会と称して焼き肉店に行った』『第1志望発表の翌朝、母の寝ぼけ気味の声が合格を知らせた』等の記述があり、学習は宮本先生に安心してお任せしていて、親は息抜きやサポートに徹し、本人を追い詰めなかったのが、結果としては良かった様に思います。模試の会場に行く途中では、多くの塾の勧誘パンフが配られていました。息子と私は下を向き、アテナを愛しているから要りませんと、いつも大笑いしながら歩きました。甘酸っぱい、楽しい思い出です。宮本先生が子供たちひとりひとりに、愛情を持ってご指導くださり、子供たちも先生が大好きです。中学受験の先の子供の成長まで考えてくださるアテナにお世話になれたことを、心より感謝いたします。


Y・Sさんのお母様の中学受験体験記

2018年度 恵泉女学園中・国府台女子中・西武文理中特待 他合格

親子ともに全力で駆け抜けた中学受験が終わり、二週間が経とうとしています。
娘はすっかり受験勉強から解放され、学校のお友達と思いきり外で遊んだり、自由に好きな本を読んだり、休日に家族揃って出かけたりと大満喫しています。つい二週間前まであの渦中にいたことが、今は信じられないような思いです。

【入塾のきっかけ】
我が家はもともと私も夫も公立中学出身ですので、娘に中学受験をさせようなどとは全く思っておりませんでした。三年生の時に友人に誘われて、なんとなく受けた新聞社主催のテストで、とある大手塾のモニターのような権利を得たので、それならとりあえず試してみる?くらいの気持ちでした。その後一年間大手塾に通いましたが、毎回の授業で理解が出来ず、親がつきっきりでないと宿題が出来ない。授業でテキストの半分くらいまでしか辿り着いていないのにテストには出題されるなど、親子ともにストレスも溜まり先行きに不安を感じるようになりました。そして知人の紹介でアテナ進学ゼミを知り(ご子息が通われていた)宮本先生の著書を読み、その理念に感銘を受けて四年生の夏に転塾することに決めました。
一人っ子で親の私も中学受験に関しては何もかもが初めてのことだらけ。今思えば小さなことで不安になったり気負ったりしていました。そんな時、宮本先生に「朝でも夜でも、不安なことがあればいつでもご連絡くださいね!」と仰っていただきとても心強く、安心したことを思い出します。その後も学習の進捗状況、親が気付かないような娘の変化、メンタルの部分まで細やかに目を配ってくださり、本当に我が家は宮本先生なしでは語れない! というほどに信頼を寄せていくこととなりました。

【五年生】
学習面で一番大変だなと思った時期は五年生の中頃です。今までなかった理科と社会が加わり、算数も重要単元目白押し! 元々の性格もゆっくりのんびりな娘ですので、周りのペースに追いつかずに未消化のまま次から次へと降りかかります。この時期、毎回のように来る「再テストメール」に親としては大丈夫かしらと不安になりますが、宮本先生は「理解不足な子は居残りさせて何度でもわかるまで解説します。今日は遅くなります!」と本当に熱心にご指導していただきました。

【他の塾にはないアテナの良さ】
アテナ進学ゼミは勉強漬けではありません。広島合宿、京都奈良合宿、スキーツアー、鎌倉探訪、長瀞地層ツアー、富岡製糸場見学、陣場山星空観察など、本当に沢山の場所へ連れ出していただき、何よりの貴重な経験をさせていただきました。アテナ進学ゼミの一番の良さはここにあるのではないかなと思います。中学受験は、まだ十歳~十二歳の子どもが、色々な自然体験を元に身体と精神の成長を遂げる時期だと思っており、その期間を勉強だけに費やすということに、マイナスのイメージを持っていました。しかしアテナ進学ゼミではそんなことはなく、まず宮本先生が先頭に立ち誰よりも張り切って子ども達を遊びに連れ出してくれる。その姿に子ども達は「一緒に本気で遊んでくれる、向き合ってくれる、叱ってくれる、信頼できる」と感じる、その結果、最終的にしっかり宮本先生と共に、この過酷な受験を乗り越えて行こうと思えるのだろうと感じました。

【六年生】
六年生の夏にもなると、ハードスケジュールです。夏休みは朝から晩まで、アテナで猛勉強。ですが驚くことに帰宅する娘はなぜか晴れやかな表情です。きっとアテナにいる時間も仲間と一緒に充実した時間を過ごしているのだろうなと感じました。夏の京都奈良合宿もしっかり参加して、後半はいよいよ過去問にチャレンジです。五~六校の学校を選び、その傾向が本人とあっているかどうかをチェックしていただきます。その結果を見ると偏差値はあくまで目安であり、学校の向き不向きがあるのだということが分かりました。それはつまり、その学校が求めている生徒像を映し出しているのだと思います。この「相性」も学校選びの重要なポイントだと思います。娘はその中から、特に以前からお気に入りの学校を二つに絞って進めていくことになりました。

【学校選び】
学校選びについては、親が子どもに協力できる一番大切なポイントではないかと思います。
学校に入れば六年間をその学校で過ごすことになります。人間形成に一番重要な思春期を過ごす場所です。そのような場所をただの数字だけで判断するのはとても危険です。我が家は四年生の秋頃から学校見学を始めましたが、本当に学校の特色、理念、そして先生方の様子、生徒さんの雰囲気は様々です。そのご家庭の方針と学校の理念が大きく違うとどんなに高偏差値であっても、通い始めれば大きな違和感や負担に変わっていくのだと感じました。我が家は偏差値幅二十くらいの中で十校以上見たと思いますが、娘が「ここが好きだな」と思える学校は意外と少なかったです。最初は良いと思ったけれど、何度か行くうちに「あれ?」と思うようになった学校もあり、気になった学校は数回訪れるようにしました。その中で、吉祥女子中学校と恵泉女学園が娘にとっても、親にとっても、お気に入りの学校となっていきました。
とにかく通える範囲で受験する可能性がありそうだと思う学校は、四年生~五年生のうちに必ずお子さんと一緒に見ておくことが大切だと思います。(六年生になると模試と重なってしまい、ほとんど週末は行くことが出来ませんでした)

【直前期~入試本番】
親のカウントダウンとは裏腹に娘は至ってマイペース。グーーーン! とスイッチが入るわけでもなく、淡々とやるべきことを進めていました。最初はこれ受かるの? と思うような過去問の点数も、宮本先生に苦手な教科や単元を洗い出していただき、過去問対策ノートを作ってやりこむことで、少しずつ取れるようになっていきました。最終的には15年分近くの過去問に取り組みました。
一月に受けた二校は無事に合格をいただき、やはり「合格」というのは嬉しいものなのだ、努力に対してのご褒美なのだと感じました。娘にとっても自信になったと思います。二月入試に向けて、荷物のチェックや、前日、当日の朝の過ごし方などが経験できたことはとても良かったと思います。

【余談】
十二月あたりから、いつ入るのかな~??? と期待していたスイッチは、結局のところ一月になっても見当たらず、私はその時にようやく分かったのです。娘はジェットエンジンもターボエンジンも備えてはおらず、しかし淡々とコツコツ、マイペースにやり続けることの出来る「ソーラーエコエコ女子」だということを…!
そうか、思えばずっとこの子はそうだったな。今まで急かしてきたことはあまり意味がなく、この浮き沈みの少ない持続力がこの子の持ち味なのだと納得したのです。もっと早く気づいていれば、お互いにもう少し上手く歯車を合わせて走ることが出来たかもしれないとは思いましたが……。もしかしたら女の子に多いタイプなのかもしれません。

【二月本番】
いよいよ二月一日です。娘は特に緊張する様子もなく、いつも通りにぐっすり眠って、朝もギリギリまで寝て、しっかり朝食を食べて出発。吉祥女子中の校門前は塾関係の先生の熱気溢れる応援と受験生のピリリとしたムードが印象的でした。宮本先生が応援に駆けつけてくださり、しっかりと握手を交わして振り返ることもなく入って行きました。この時点で合否よりも、ここまでしっかり成長した姿を見せてくれた、それだけで胸がいっぱいになりました。
試験会場から出てきた娘の足取りは重い。とにかく今は午後の恵泉女学園に向けて気持ちを切り替えようと、努めて明るく昼食を食べて向かいました。恵泉女学園に着くと、在校生の皆さんが笑顔で迎えてくれました。入試の前に校長先生から受験生へ向けて「今まで苦しい冬を乗り越えて頑張ってきた皆さんが、この学校を選んで、今日元気に来校してくれたことがとても嬉しいです。どうか力を出し切れますように」との温かなお話があり(各教室に中継されていました)緊張していた私の心もじんわりとほぐれていくような気持ちでした。温かいホールで待たせていただき、試験が終わった娘が戻って来て一言「なんだか光に包まれているような感覚だった。この学校やっぱりいいよね。通いたいな」と言いました。
その夜の結果発表は吉祥女子が不合格。娘はやっぱりなという感じで落ち込んではいましたが、納得しているようでした。少し後に恵泉女学園の発表。こちらは合格!「あった!」と嬉しそうな姿に親として心底ホッとしたのでした。そしてその後、娘は宮本先生の熱いサポートのもと、最後まで諦めずに吉祥女子へのチャレンジを続けました。その姿はエコエコ女子なりに積み上げて来た「凛とした逞しさ」を感じ、最終日、十倍の倍率にも怯まず挑み「今までで一番手応えがあった。やれることはやれた」と晴れやかな表情でした。最後まで闘えたことで得られた達成感は家族を一つにしてくれたと思います。最終的にご縁の繋がった恵泉女学園に進学することに決まり、娘の性格を思うとこれで良かったのだろう、両手を広げて迎えてくれた学校なのだと思えました。娘の祖母や大叔母達も恵泉卒なので、家族も皆とても喜んでくれて、本当に良かったと思っています。春からの娘の初々しい姿が今から楽しみです。
ここまで導いてくださった宮本先生、本当にありがとうございました。アテナを卒業したら、我が家の柱が一本無くなってしまうようで不安で寂しいですが、娘がアテナで身につけた学習姿勢をしっかり守ってくれると思っています。

【これから受験する皆様に我が家がお伝え出来ることは】
・どこに決まっても嬉しいと思える学校選びをすることが、親子ともに直前期の心の安定につながる
・スイッチはあるかもしれないが、ないかもしれない。エコエコ女子は五年生からしっかり土台作り(基礎や作図など)をする
・宮本先生を信じてついていく
この三つです。

ついつい長くなってしまいましたが、本当にアテナ進学ゼミで学べたことが、娘にとって財産になりました。これからの益々のご繁栄を、そして沢山の子どもたちがアテナから羽ばたいていきますようお祈りいたしております。ありがとうございました。 


2017年度

K・Kくん、T・Kくんのお母様の中学受験体験記

2017年度 桐朋中・暁星中・西武文理中特選 他合格

「合格体験記」ではなく「中学受験体験記」
この欄は「合格体験記」ではなく、「中学受験体験記」だ。宮本先生は常日頃から、「『希望中学の合格』を目指すだけでなく、中学受験という体験そのものを人生の糧にして欲しい」とおっしゃっている。そんな、宮本先生らしいタイトルだと思う。そこで「中学受験体験記」を書くにあたり、第一希望校であった武蔵不合格のところから話を初めてみる。

2月2日 第一希望校、武蔵不合格
我が家には、今年度の受験生だった双子の他に、4歳年上の長男がいる。宮本先生のご指導のもと、兄は、第一希望校の武蔵に合格。兄の武蔵生活は、実に楽しそうだ。弟たちは武蔵に足を運ぶ機会も多く、兄の友人である武蔵生が自宅に来ることもある。そんな家庭環境だったので、次男はアテナに入った当初から「武蔵に行く!」と言っていた。慎重派の三男は、当初こそ武蔵を第一希望校に掲げることに躊躇していたが、勉強に意欲と自信が出てきた5年生頃から武蔵受験を意識し始めたようだ。そんな我が家の中学受験は、「武蔵ありき」だった。それなのに・・。
2月2日、午後5時。双子と合格発表を見に行った夫から、電話が入った。「二人とも、ダメだったよ」。「わかりました。双子は、どうしている?」「泣いているよ、ずっと」「そう。気をつけて帰ってきてね。夜ご飯は、お鍋。みんなでゆっくり食べよう」。帰宅した時には、双子は泣き止んでいた。夕食後、自分達から「よし! 明日の、受験票のセット始めるね」と、食卓から立ち上がった。

2月3日 暁星受験、桐朋発表
2月3日は、暁星受験の日だった。第一希望校不合格の翌日、しかも2月校の合格がひとつもない中での最終受験日だ。「息子達に、何と声を掛けようか?」と思いながら朝食の用意をしていると、二人は自然に起きてきた。いつも通りの朝。敢えて、淡々と試験会場に送りだした。
、桐朋もダメだった」と心細そうな声。私は「大丈夫! あなたの第二希望の暁星が残っているからね!」と、無我夢中で声を掛けた。次に電話口に出た三男は、「僕は大丈夫だったんだけど、受験票を家に忘れてきちゃったの」と言う。
桐朋は、午後2時~4時の間に受験票と入学手続き書類を交換しなければならない。時計を見ると午後2時半。桐朋までは1時間かかるので慌てて受験票を探し出し、普段着のまま家を飛び出した。国立の駅からは、タクシーに乗ることにした。タクシーが走り出すと、国立大学通りの景色が目に入ってきた。真っすぐの広い道の両脇には、桜の木。「これからは、桐朋の保護者としてこの景色を眺めることになるんだ」と思ったら、やっと嬉しさがこみ上げてきた。この日のことで特筆したいのは、桐朋が不合格だった次男が、合格した三男に対して、「第二希望合格、おめでとう!」と拍手をして言えたことだ。

2月4日暁星発表
2月4日、暁星の発表日。九段下の駅を降りて暁星までの道は、少し坂道になっている。坂道のためなのか、足がなかなか前に進まず、もどかしい。 暁星の門を入ると、一足先に、夫と合格発表を見に行っていた次男のニコニコした顔が目に入った。「どうだった?」「合格したよ」。「本当? 本当なの???」涙が溢れてきた。宮本先生にすぐさま電話した。「先生、ありました、受験番号。合格しましたっ!」。今までの緊張が安堵に変わり、目の前の地面が歪んでみえるほど、私は泣き崩れてしまった。

三人三様の学校に通うということ
ドラマチックな合格発表から、はや2週間。入学者説明会も終わった今、あらためて思うのは、「我が家的には、これがベストの受験結果だったんだ」ということだ。
双子は「武蔵不合格」という体験を得て、武蔵生である「兄ちゃん」に対しての尊敬が深まったようだ。この体験は、今後の兄弟関係に良い作用がある気がしている。自由人の次男は家庭的なミッション・スクールの暁星で丁寧に。慎重な三男は、自由闊達な桐朋でのびのびと。それぞれの個性を補完して頂けそうな学校にご縁ができたことを、嬉しく思う。


さて。ここで双子が「中学受験体験記」を書き終えたようなので、目を通して思ったことを書く。

中学受験で培ったのは、レジリエンス
レジリエンスとは、心の回復力、しなやかさのことをいう。人生には、思うようにいかないことが山ほどある。そんな時、現実に向き合い、「この失敗から学べることは何だろう?」と前向きに善後策を考えられる心のありようのことをレジリエンスという。私が息子達に、最もつけて欲しい力のひとつである。
彼らの中学体験記を読むと、武蔵不合格という体験から立ち直っている姿が、それぞれの言葉で綴られている。「僕は、この受験で努力は裏切らないということを学びました」(次男)、「先生の、『果敢に立ち向かっていった二人を私は誇りに思います』という言葉で明日がんばろうと気持ちを切り替えることができました」(三男)。

なぜ、アテナでレジリエンスが育つのか?
では、なぜアテナでレジリエンスが育ったのだろうか? 三男は、こんなふうにも書いている。「外部模試の結果が悪いたびに先生は、『次がんばろう』と声を掛けてくれ、その言葉が僕にとっての唯一の励ましとなった」。
唯一の励まし! よほど先生の言葉が、息子の心に響いていたのだろう。ある時、宮本先生は、「教えるということは、根気です」とおっしゃっていた。息子たちがテストで思うような結果が出せなかった時、先生は具体的で的確な励ましを、都度、都度、根気強くして下さったのだと思う。先生の励ましで気持ちを立て直し、アドバイスに従って勉強して「成績が上がるという結果」を出せた。その成功体験の繰り返しが、彼らのレジリエンスを育ててくれたのだと感じている。

好奇心を刺激する授業
宮本先生は、よく保護者宛にメールを下さる。「今日、先生からメールあった?」。毎日、学校から帰ってくると、開口一番、必ず彼らが言っていたセリフだ。「宮本先生の言葉は、一言も聞き漏らしたくない」という気迫すら感じた。保護者として宮本先生の授業を受けさせて頂くと、好奇心を刺激しながら、息つく暇もないほどの授業展開に、「これは、子どもが夢中になるはずだわ」と、納得した。
アテナでは、しゃかりかクラブのように実体験から学ぶ機会も多く設けられている。座学に留まることなく、「学びたい!」と思う根っ子になる心(好奇心)を、実体験を交えながら手間ひまかけて丁寧に育てて頂いたと感じている。子どもは、正直だ。魅力的な授業をしつつ、全身全霊で自分に向き合ってくれる先生のことが大好きだった。「学びの手ほどき」を、そんな宮本先生にして頂けたことは、とてもラッキーだったと思う。

個人塾なので、相性の見極めは冷静に!
宮本先生を褒めまくってしまったので、最後に少し言葉を足しておきたい。宮本先生は、個性的な方なので、相性の良し悪しはあると思う。アテナは、宮本先生が個人で経営されている塾なので、この「相性」は冷静に見極めた方が良いのではないか? と感じる。
我が家は、相性が良かった。何より、宮本先生に教えて頂いて、子ども達が「あと伸び」した。長男は、武蔵に首の皮一枚という感じで突っ込んでもらったが、入学後にグンと伸びた。双子の最後1カ月のラストスパートも、壮観だった。「受験生」という車の運転席に座り、アクセルを踏み、前だけを見て駆け抜けた彼らの姿を見ることができて、私は「アテナでの中学受験体験」に、とても満足している。長男の受験の時から数えれば、足掛け5年、本当にお世話になりました!


R・Iくんのお母様の中学受験体験記

2017年度 城北中・東京農大第一中・西武文理中A特待 他合格

【アテナに入会したきっかけ】
中学受験するつもりで塾をどこにしよう?と考えたときに、これだけは押さえておきたいと思ったことは次の3点でした。
・睡眠時間を沢山とらないと活動できないタイプなので、睡眠時間は確保したい。(例えば大手塾だと、大量にだされる宿題をこなすだけで疲れ切ってしまうに違いない。)
・大量に出される宿題を、親がきっちり管理して子供にやらせないと進めていけないパターンの場合、親(=私)があれこれと言い過ぎてしまい、親子関係が悪化しそう!!家の中の雰囲気がとてつもなく悪くなるのでは??それは避けたい。
・大人に言われたことを、自分で考えずにこなすだけでは、大人になってから結局本人が困るし、自分の意思で頑張ることができるようになってほしい。
ということで、偶然先生の書かれた本に出会い、吉祥寺に教室があることを知って早速体験授業を申し込みました。それまで普段8時半に寝ていたので、5年生になっていきなり8:20までの授業はきついと思い、4年生の秋から入会しました。

【大変だったこと】
5年生のカリキュラムになって、社会が始まった時期が一番大変でした。社会で新しく、農業・水産業・工業等、知らないことが沢山でてきて宿題のプリントをやるだけで、精一杯。大変で大変で、泣いていました。一度、あまりにもつらくて塾に行くことができなくて、先生からお電話で活を入れてもらったことを今でもよく覚えています。(電話で泣いていました。)あれがあってから、本人もふっきれたように、なんとか頑張るようになり、塾に行くのが楽しいと言い始めました。
模試が始まったのも大きな変化でした。土曜日に塾があって、日曜日に模試(午前受けて午後は解き直し)があると、土日で疲れ切ってしまい、翌日学校にいけない(けれども夕方の塾には行く)ということが度々ありました。また、塾から帰ってきて学校の宿題をやる→寝るのが遅くなり→翌日起きれなくて学校を遅刻(もしくは休む)ということも、何回かあり、「こんな状態でいいのだろうか?」と思ったりもしました。

【計算日記バトル】
算数の授業で新しいことを習うのは楽しいけど、コツコツ努力することは大の苦手、な息子にとって計算日記は苦行でした。どれだけ口を酸っぱくして言っても、一週間毎日続けることはできませんでした。3日頑張っても、親がチェックし忘れると絶対やらない。答えが間違っているのに、(自分で丸付けをした際)全部大きく赤丸をつけている。答えはあっているのに何故か途中の式は間違っている。(答えだけ、解答みて直している?)いくら計算日記の重要性について説明して、本人もわかった、と言っているにも関わらず6年生の9月の時点でも全く改善しませんでした。ここまできたら、もうあきらめるしかない、という感じでした。(模試の結果をみても、最初の計算問題でポロポロ間違え、もったいない!と思ったこと数知れず・・・)ただし、6年2学期からは「計算チェックテスト」の直しだけはすぐ提出するよう本人が自分の意思で頑張っていました。

【習い事について】
小さいころからピアノを習っていて、6年生8月末の発表会まで続けました。ピアノの先生と相談して、曲数を減らしてもらったり、一週間ごとの宿題を少なくしてもらったりして、細々と続けることができました。好きな曲を練習しているときは楽しいみたいでした。2月の受験が終わってからピアノを復活してまたレッスンを始めました。

【家族の協力】
下にきょうだいがいるのですが、もともと、誰かが宿題をしている時にはテレビをつけない、ゲームをしない、というルールでした。が、6年生になって課題も増えてくると、本人が家にいる間はほとんどテレビ&ゲームができず、我慢させるのが大変でした。そこで、宮本先生と相談して、お兄ちゃんが塾のない日は無理だけど、塾に行っている日は、昨日の分も多めにテレビ&ゲームの時間を増やしてもいい、というルールにしました。これでなんとか乗り切りました。

【家族会議】
コツコツ「計算日記」「漢字日記」「短文作成」するのは大の苦手。夏休みにテキストとは別に配られる練習問題テキスト(6年の場合はコンプリ)も、全くといっていいほどやらない、という状況。「本当に志望校に合格したいという気持ちがあるのか?やる気はあるのか?」という根本的な問題に行きつきました。6年生の1学期に、成績もあまりふるわず、本人の頑張りもあまり感じられない中、親だけが中学校の説明会に通いあれこれ考えている、という状況にむなしさを感じていました。主人とその現状を相談し、日曜日の朝に家族会議を開きました。そこで、「宮本先生からやりなさいと言われていることは絶対やること」「自分で何をいつやるのか計画をたてること」「やったかどうかを、親がチェックする」というルールを決めました。家族会議を定期的に開いて、その結果をチェックしながら、計画に無理があるようなら見直し、改善していくことにしました。
9月になっても、本人の意識がそれほど改善せず、次回の模試であまりにも結果が悪かった場合は第1志望校を考え直そう、と話し合いました。「努力することができる」というのも才能の一つ。それができないようなら、本人そこまで。と自分に言い聞かせ、9月の時点では、いつ本人の「やる気」が出てくるのか全くわからない中、見守るしかない状況でした。

【6年10月から本番まで】
過去問を解くようになってから、本人の意識が変わってきたように思います。急にやる気がでてきて、模試の結果も急上昇。今までなかなか結果のでなかった算数も、急に伸び始めました。勉強の内容について親はノータッチ。やったことといえば、お弁当を作ることと、問題集や過去問のコピーを取ることくらいでした。学校の宿題が普通にたくさん出て、それをこなすのが大変そうでした。

【入試直前】
1月に入ってから、学校を休んで塾に通うことについて。はじめは、何日も学校を休むことに抵抗がありました。12月の段階では本人も学校に行きたいと言っていてそのつもりでした。ですが、1月に入って1週間くらいたったとき宮本先生から直接声をかけていただき、また本人も「塾で頑張りたい」という気持ちになり、最終的には本人が親を説得して学校を休んで塾で頑張ることにしました。
朝9時から夕食前まで、ひたすら過去問や問題集を解く毎日で、「頑張りすぎだから、休憩したら?」と親が何度も声をかけるほどでした。リラックスできるようにと、少しだけテレビをみたり、簡単に読める面白い本なども時間を区切って読んでいました。また、宮本先生からの「入試直前の親の心構え」も非常に参考になり、自分も普段通りの生活をこころがけ、趣味の習い事をしたり、好きな本を読んだりして過ごしました。

【入試を終えて】
第1志望の学校は残念ながら不合格でしたが、他はすべて合格することができました。1月に入ってから調子もよく、体調も問題なし、万全の状態で受験することができました。それで合格できなかったということは、もうこれはご縁がなかったとしか言いようがないのかな、と納得しています。(もちろん、不合格がわかったときはショックでしたが。)第2志望の学校も、説明会などでとても印象が良く気に入っていた学校だったので、4月から通うのを楽しみにしています。これだけ頑張った結果なので、悔いはなし!!という感じです。1月に学校を休むことについては悩みましたが、今思うと、あの時頑張っておいてよかったと思います。
「本人がやる気を出して、本気で頑張ることができる」ということが分かったのが一番うれしいことでした。今後も、何か本気でやりたいと思った時に、息子は自分で頑張ることができる、と確信することができました。
今まで熱い心で指導してくださった宮本先生に感謝いたします。本当にありがとうございました。


M・Yさんのお母様の中学受験体験記

2017年度 三輪田中・山脇学園中・女子聖学院中・長崎日大中 他合格

かなりの天然でマイペース、不器用だけど真面目に頑張るコツコツ型の我が娘。こんなタイプの子は、きっと中高一貫校で勉強や部活に六年かけてじっくり取り組み、友人関係を築いていける環境の方が合っているのではと思い始めた頃、偶然書店で宮本先生の著書を手に取ったことがアテナ入塾のきっかけでした。体験授業を受けた娘はアテナをとても気に入り、入塾後も楽しく通っておりました。が、小四時の成績は惨憺たるもので、こんな成績で授業についていけるのか?そもそも受験なんてできるのか?不安は募る一方でした。そんな不安から、娘に厳しく当たってしまうことも度々で、このままでは母娘関係が崩壊してしまうのではないか、一体何の為に中学受験をさせようとしているのだろうかと、自問滋養しては自己嫌悪に陥るという負のスパイラルに完全にはまってしまいました。そんな時、宮本先生は娘の様子から状況を察してくださり、お電話を下さいました。先生に「大丈夫です。私に任せて下さい。」と言っていただき、宮本先生を信じてついていこうと思えたことで、心が軽くなったことを今でも思い出します。
宮本先生が、娘の理解するペースを決して否定することなく、忍耐強く(親は感情的になってしまい、とても先生の真似はできません!)ご指導してくださったおかげで、あれほど苦手だった算数に少しずつ自信がもてるようになってからは、成績にも希望が見え始め、お気に入りの学校も見つかって、志望校合格を夢見て一直線。の、はずでしたが、相変わらずのんびり、受験生の自覚が見られない娘にまたもやイライラさせられる日々が続きました。
六年の秋に過去問演習が始まってもなかなか点数が伸びず、時直しも解答丸写しでおしまいにしてしまっている様子を見て、「もう受験なんてやめてしまいなさい!」と怒鳴ってしまったこともありましたが、娘は絶対に志望校に行くんだと言い張り、彼女なりにコツコツ努力を重ねていきました。ところが、努力に反比例するかのように、算数の点数はみるみる下がっていき、なんで?と本人も落ち込み、とうとう十二月半ばには体調を崩してしまいました。今思えば、心も体も頭もパンク寸前だったのだと思います。数日間はひたすら眠って、勉強から離れたことでリセットできたのか、冬期講習以降は徐々に調子を取り戻していきました。とはいえ、一月に入っても過去問の出来はパッとせず、ずっと不安を抱えていました。精神的な幼さ故、その時々の気分が試験結果に大きく影響していることが見て取れたので、本人には「大丈夫!」と声を掛け続け、「問題は目で読まないで手で読もう」、「わかる問題から落ち着いて解こう」など、気を付けるべきことを箇条書きにしたメモをを下敷きに貼り、試験前には必ずそれを見て心を落ち着けて試験に取り組む練習をしました。ようやく、過去問で合格最低点クリアを連発できるようになったのは、本番まであと二週間というときでした。
そしていよいよ本番の二月一日。行きの電車の中では不安と緊張でいっぱいの娘でしたが、「やり切ったよ。問題用紙をいっぱい汚してきたよ。」と言って試験会場から出て来た娘の顔はとても晴れやかで、「ああ、悔いのない受験ができて良かった。」と思いました。そして当日夜、合格発表。「やったー、合格!」娘は号泣しながら、宮本先生に報告の電話を入れました。二日は、力だめしのつもりでチャレンジ受験。こちらもまさかの合格。結果的には全戦全勝で中学受験を終えることができました。三年前には想像もしなかったことです。きっと、アテナでなければこの結果を手にすることはできなかったと思います。
宮本先生は、子どもの個性をつぶすことなく、あたたかく寄り添いながら的確にご指導くださいます。だからこそ、娘も宮本先生を全面的に信頼し、一度も「やめる」と言うことなく頑張れたのだと思います。私はと言えば先生の「否定的な言葉掛けは避けて」という言いつけも守れず、入試直前にもオタオタして、「午後受験の学校を探してください!」と先生に電話してしまうような受験生の娘としては及第点をもらえそうにない母でしたが、いつも冷静に、広い心で対応下さる宮本先生だったからこそ、この三年間を乗り切れたのだと思います。本当にありがとうございました。
今回の中学受験では、時に心折れそうになることもありましたが、ひと山乗り越えられたことで、私たち親子の関係も新たなステージに入ることができた気がします。これは、想定外の嬉しい収穫でした。
これから始まる中学生活、娘には、アテナで初めて気づいた「学ぶ楽しさ」「知る喜び」を忘れずに、大いにエンジョイし、大きく羽ばたいてほしいと願っています。
改めて、宮本先生、そして三年間一緒に頑張ったお友達みんな、本当にありがとうございました。


Y・Mくんのお父様の中学受験体験記

2017年度 桐朋中・成蹊中・東京農大第一中・学習院中 他合格

今年、長男は第一志望の学校に合格することができました。1月試験の学校に始まり、出願した6校のうち5校において合格を勝ち取ることができ、親子ともども理想的な結果で中学受験を終了することができました。
3年前にも長女がアテナにお世話になり、やはり第一志望の学校に合格することができました。長男が中学受験をしたいと言い出したのは、第一志望を目指して一生懸命頑張り最終的に目標を達成した姉の姿を間近に見ていたことが大きく影響したと思います。
そこで長男の塾をどうするかと考えた時には迷わずまた宮本先生にお願いしようと思いました。宮本先生の指導は生徒一人一人の個性と習熟度、志望校に向けての学習到達度を絶妙に図りながら進めていくという正にプロフェッショナルなものだと感じていましたので、長女とは個性の異なる長男も安心してお願いできると確信していたためです。
6年生になりいよいよ受験勉強も本格化してきたころのことです。家で長男が「先生が。。」と話しだすとそれは宮本先生のことを指すようになっていることに気が付きました。5年生の頃までは親が勉強を教える機会が多かったのですが、この頃になると自力で問題を解こうと必死で試行錯誤するようになり、先生との信頼関係の深まりとともに子供が一段階成長したことを感じました。長女の時には最後の最後まで勉強を見ていたのですが、長男にはこの時点で自立心が芽生えたことにある種の喪失感を覚えつつも頼もしさを感じました。
夏期講習と広島合宿という夏のビッグイベントが終わり、いよいよ志望校に的を絞った過去問演習や模試が始まるとどうしても毎回の結果に一喜一憂してしまいます。親としては結果がどうであれ努めてポジティブな言葉をかけるように心がけましたが、如何せんこの頃になると子供も経験を積んできて客観的に自分がどのあたりにいるのかを把握しており、親の不安も見透かして少し冷めたような反応が見受けられることもありました。そこで、妻と宮本先生に面談に伺いこれからのラストスパートの戦略や日頃の不安を率直に相談すると、「なんの心配もないですよ。このまま地道に学習を進めていけば第一志望には絶対合格できます。」とキッパリ。お陰様で気分的に楽になり、勉強の心配はあまりしないでとにかく健康を保つことと精神的に落ち着いていられるように配慮することに努めることにしました。
9月から開始した過去問演習では初めのころは合格最低点マイナス数十点があたりまえでしたが、毎回解きなおしノートに不正解だった問題を解きなおして理解の足りなかった部分をきちんと理解するということを繰り返し行いました。回を追うごとに志望校の出題傾向や自分の得意不得意問題が細かく理解できるようになり、効率よく問題を解いていくこともできるようになったためか日を追うごとに学力が伸びていくことを実感できるようになりました。今だから言えますが、冬期講習が始まるころにはこの成長曲線に沿って行けばまず間違いなく第一志望校に合格できるだろうなと思い始めました。
1月の前哨戦の学校。試験終了後に手ごたえ十分と言う顔で会場から出てきた長男を見た時にはまた一段成長したような印象を受け、継続的に努力していると子供はこういう風に成長するものなのかと驚きを新たにしました。
いよいよ本番の2月1日、午前と午後の受験を終え、くたくたになって帰宅。夜10時過ぎWeb発表で合格を確認し、既に就寝していた長男に合格を伝えると心底ほっとした顔で「よかったー」と。妻と娘と受験番号をかわるがわる確認し、初日で第一志望に合格できた喜びを家族全員でかみ締めました 。
二人の子供の中学受験でお世話になり、二回とも第一志望に導いていただいた宮本先生には感謝してもしきれません。概ね4年間のお付き合いをさせていただいた経験から、大手塾は言うに及ばず一般的な塾ではアテナほど子供が成長する機会を与えてくるところは無いと思いました。普段の教室の授業では、科目ごとの授業を淡々と進めるというよりは理科と社会が融合的に教えられたり、教室の授業だけでなく鎌倉や秩父、陣馬山に足を運んだり、カレーを実際に作ってみたりして実体験を通しての授業は、五感を使って学ぶというアクティブラーニングの実践でした。
普段の生活態度や社会性、身の回りの出来事に対する考え方や幅広い世の中の成り立ちなどについても考えさせてくれる機会を与えていただきました。改めて感謝申し上げます。


A・Kさんのお父様の中学受験体験記

2017年度 東京学芸大竹早中・専修大松戸中 他合格

「長女の受験から得た経験」

この度は長女の受験に関してお世話になった宮本先生に厚く御礼申し上げます。長女だけでなく、私たち親もこの受験を通して多くのことを学びましたし、その経験を次の兄弟に実践して行きたいと思っております。
アテナのHPに掲載されている受験体験記や親御さんの体験記を読ませて頂くと、受験生が心の中から湧き出てくるヤル気によって、受験が支えられていることがよくわかります。しかし、我が家では状況が全く異なっていたため、希少ケースとして私が文章を書かなければいけないという使命感が、私の心の中からフツフツと湧いてきました。
長女の成績は飛び抜けて出来る科目もなく、全教科横並びで推移しておりました。宮本先生との面接でも、「ノートをしっかりと取っているので大丈夫です!そのうちヤル気スイッチが入りますよ。」との事でした。妻も「小学生らしく勉強して、自分でヤル気が出るようになったら成績も上がるわよ。」というスタンスを取っておりました。しかし、成績は上がらず、でも、下がらず。メスを入れようにも悪い場所が分からず、親の不安が募るばかりでした。宮本先生からは少し子供から距離を置いて結果を見てくださいと何度も言われましたが、目を離すと長編小説を山のように読み、全く勉強する気配はありません。月例テストの前だけチョコチョコッとやっているだけなのです。夏に志望校を決定する家族会議をしたところ、昨年から学校見学や説明会に行っている渋谷幕張にどうしても行きたい!ということで、長女自ら第一志望を決定しました。私ども夫婦は少し不安に感じることがありましたが、私の職場で渋谷幕張卒業の大学生から学風を聞くと、そのすばらしさに親が完全に飲み込まれてしまいました。この段階で私どもの夫婦のヤル気スイッチが長女より先に「オン」の状態になったのです。
夏休み明けから渋幕の過去問を解き始めますが、最初の算数の過去問がなんと9点!宮本先生も心の中では何回かは志望校の変更を考えているだろうな?と私どもは感じておりました。9月、10月共にスイッチ入らず。入試100日を切っても、まだスイッチ入らず。私が仕事から帰って「スイッチはどう?」と妻に聞くと「入ってないよーー。」との返答が繰り返されるばかりです。長女にしてみれば過去問の点数が延びてこないため困惑していたのでしょう。苦手な範囲を聞いても、宮本先生に教わっているから分かるとの主張は変わらずです。

11月23日早稲アカの渋幕対策テストの帰りの車の中で、長女から忘れもしない発言が飛び出したのです。
 長女:パパ、あのさー、渋幕の過去問休んでいい?
 私 :なんで?
 長女:私さー、社会は選挙と憲法。理科は生物全般。算数は速さが、実は全く分かんないんだよー。だから、暗記した方がいいと思うんだけど。
 私 :宮本先生に言った?
 長女:言ってないよ。折角教えてもらったのに分からないって言えないじゃん。だからさー、弱い所だけ丸暗記しようと思うんだけど、どう思う?
(今まで自分で勉強に対しての主張をまったく言ってこなかった長女が自分の弱点を初めて語ったのでした。)
 私 :スイッチ入った感じがしない?
 長女:するかも、、、
渋幕の受験日までちょうど2ヶ月前のことでした。

早速家に帰り、参考書の苦手な箇所を夫婦でハイライトをつけ、長女の暗記モードがスタートしたのです。毎日午前0時まで、アテナがある日は帰宅が午後10時30分なので、午前1時まで続けました。妻は遅くまで勉強することに反対をしていましたが、長女のスイッチが入った途端、家族が一丸となり応援したのです。[注意!長女は「馬鹿がつくほどのポジティブな性格」だから出来たことで、絶対にマネをしないでください]

12月の月例テストは全ての教科で自己最高点を出し、宮本先生との面談でも長女をうまくのせて頂きました。その後の渋幕の過去問では、合格最低点を超え始め、家族で暗記の成果を実感したのです。我が家では予想合格最低点を4教科で170点と設定しました。長女は渋幕の国語はいつも70-80点を取っておりましので、残りの3教科で100点を取ればよいのです。私たちは突拍子もない問題が出ないことを祈るばかりでした。
そして試験日を迎え、宮本先生の正門での激励を貰い、長女は誇らしげな後ろ姿を私に見せながら階段を登って行きました。四谷大塚から国語以外の3教科の模範解答が即日アップロードされたのを見て自己採点をしました。3教科で108点。国語がいつも通りなら、合格最低点が通年通りなら、など家族で神頼みをしていたのでした。合格発表は多くの学校でインターネットを利用しています。渋幕も同様ですが、妻は「今後のためになる!」と、合格発表を見に行くことになりました。不合格でも、どのような子達が合格しているのかを感じ取るためで、将来に必ず役に立つと考えたのです。
結果は不合格でした。インターネットで発表された合格最低点は165点。国語であまり点数が良くなかったようです。自分の一番自信のあった国語でしたので、長女は非常に悔しがっていました。縁あって第二志望に合格したので、渋幕の合格発表の際に心に刻まれた映像が、長女の今後の爆発的進歩に繋がることを願うこととしました。
アテナへの通塾には片道1時間15分、車中では寝ていたり、本を読んだりしていたそうです。多い週は4回通い、帰りは体力的に限界になっていたのでしょう。スイッチが入らないときには「電車の中で何をやっているんだ?」と叱ったこともありました。今考えると、親として少しキツかったかな?と反省してしまいます。しかし、受験が終わった今は、長女の顔が幼少期アメリカで生活していたときのように自信に満ちあふれ、笑いながら毎日を過ごしていることをみると、長女の受験から得たものの大きさを我が家で感じている毎日です。

[余談]
中学受験に親がどれだけ介入するのかと不思議に思ったことがあります。親同士の会話では「あまり介入しておらず、塾に任せっきりです。」という回答が多いのです。私の職場で大学生教育の際に「小学校の時に勉強を自主的にしてた?」と聞くようにしています。男女御三家を出身としている生徒が多いですが、その回答は「相当な親の介入があった。でも、親に感謝している」というのが10人中7-8人にみられます。このことを聞いて、私は長女にも将来そう言ってもらえるのかを楽しみに次女の中学受験の作戦を練っているのです。

[宮本先生への感想]
アテナは吉祥寺の駅前に塾を構え、大手塾と比較すると低価格で、さらに入塾試験を行わず少人数制ということを考えると経営面でとてもご苦労があったのではないかと予想いたします。宮本先生は武蔵中学・高校から、国家が次世代の日本経済を担う人材を育成する目的を持っている名門・一橋大学をご卒業されています。長女が入塾した2年前、どのように採算性のある塾経営のビジョンをお持ちなのか疑問に思ったことがあります。しかし、長女が卒業を迎えた今、アテナから送り出した生徒の輝かしい合格実績が支えとなり、また、教育したことへの達成感が宮本先生の明日へのモチベーションになっていると実感いたしました。中学受験が現在話題になっており、塾同士の競争も激化しております。そのなかで、アテナ進学ゼミは本年度、目出度く10周年を迎えております。すなわち、このことは宮本先生のビジョンが現代社会に適合してる裏付けと考えられるのではないでしょうか。この先、アテナ進学ゼミのさらなる進化を応援しております。


2016年度

M・Sさんのお母様の中学受験体験記

2016年度 吉祥女子中・浦和明の星女子中・東京農大第一中 他合格

「私が自分で見るから、ぜっったいにのぞきこまないでね!」
娘はそういいながらパソコンに向かい第一志望の合格発表を確認しました。口では私も主人も、「ダメだったら二日目受ければいいよ~」と余裕の口ぶりで話していたのですが、内心はとてもビクビクしていました。「!!!あ、あった!あった!」と娘が文字通り飛び跳ねながら叫ぶのを聞いて、本当にホッとして座り込みました。我が家にとっては初めての中学受験でしたが、宮本先生のご指導を受けて、本当に良かったと思いました。
元々、娘を塾に通わせようと思ったきっかけが、3年生の終わりごろに娘が発した「勉強なんて全然面白くないんだけど」という一言でした。私も主人も中学受験は全く考えていなかったのですが、娘の勉強に対するこの印象は本当にまずいと思い、4年生になったタイミングで大手の個人指導塾の門を叩きました。その塾は教師と生徒が1対1で教えるスタイルで、勉強に全く自信が持てなかった娘が初めに経験する勉強方法としては良かったのですが、「まずは勉強を好きになってもらいたいために塾に通わせている」とお伝えしても、とにかく難易度の高い学校を受験させようとする姿勢や、オプションオプションで結果として最初のご説明の倍近くになる学費など運営姿勢に疑問を持つことが増え、5年生になるタイミングで転塾を考えていた時に知人からアテナ進学ゼミを紹介してもらいました。
アテナに通い始めてから娘の勉強に対する意識は変わりました。算数がパズルを解くように面白くなり、社会で先生がお話してくださる小話を家で披露してくれるようになりました。「勉強って面白いんだね」その言葉を言うのを聞いて、塾に通わせようと思った一番の目的が達成されたと思いました。
5年生の夏頃に受験をすることを決めました。志望校選びでも宮本先生はとても親身になってくださり色々な学校を紹介してくださいました。娘の事、そして「自立した人間になって欲しい」という我が家の子育ての方針を良く理解してくださっていたのだと思います。先生が進めてくださった学校はすべて説明会や学園祭などで見学に行きましたが、どの学校も魅力的でなるほどと思わせるビジョンを持っていました。その中から吉祥女子を第一志望に決めました。
志望校を決めた後、親としてやらなくてはいけないことは、お弁当を作ること、過去問を入手すること、願書を提出するなどの事務手続きをすること、以上でした。3人の子育てと仕事でいっぱいいっぱいだった我が家にとって、勉強をすべて宮本先生にお任せできた点は本当に助かりました。時には妹たちとテレビを見ている姿に「宿題やったの?」と口を出したくなることもありましたが、宮本先生と娘を信頼してお任せしようと思いました。
アテナ進学ゼミで、娘は勉強の面白さ、継続して努力することの大切さ、そして努力は自分自身でするしかないということ、この3つを学んでくれたのではと思います。この3つは娘がこれからの人生で困難にぶつかったときにきっと助けになることでしょう。志望校合格だけでなく、人生において大切なことを教えてくださった宮本先生には本当に感謝しております。
さて我が家にはもう2人、妹が控えております。長女とは全く違ったキャラクターの二人ですが、「受験したい」と言い出した時には、またアテナ進学ゼミにお世話になりたいと思っております。自由人の妹たちを宮本先生がどのように御するのか、想像するだけで楽しみです。
宮本先生、本当にありがとうございました。そして今後ともよろしくお願いいたします。


K・Kさんのお母様の中学受験体験記

2016年度 成蹊中・恵泉女学園中・西武文理中特選 他合格

娘は小4、5と大手進学塾Sに通っておりました。そこでの成績はいまひとつといった状態。娘は努力家ですが努力が実を結ばない状態だったので、親としてはせっかく時間をかけて勉強するならちゃんと実になるような指導をしてくれる塾がいいと思い、転塾を決め宮本先生にお願いいたしました。
アテナに通い始めると勉強が解るようになったらしく苦手な算数も嫌がらないようになってきました。しかしながら大嫌いな社会はいつまでも手がつけられず、結局取り組み始めたのが11月でした。これで受験に間に合うのか、と心配でした。
12月最後の月例テストで、どうにか志望校のチャレンジにエントリー出来るくらいに仕上がってきました。苦手教科克服のため、何度娘の尻を叩いたことか!反抗期と重なり家の中の空気の悪さに私自身家出したいと何度思ったことか!顔に怒りジワができ毎晩呪文のように美容クリームを塗りこみ、何度ため息をついたことか!
しかし、辛く苦しいのは娘自身。なかなか伸びない成績に本人自身イラ立っていることも多かったように思います。気分転換に友達と遊んでも家に帰れば受験勉強という現実に11歳の娘はストレスを爆発させることもしばしばありました。母親の私は娘のストレスと上手く付き合えず喧嘩もたびたび。これは子育てをしていく上での私の課題のような気がしています。
6年生の一年間はこんな調子でジタバタあがいていたような気がします。
しかし、ジタバタしながらも娘は着実に力をつけていたんです!宮本先生の指導の下、大好きな理科はさらに得意教科になり、算数も解けることが楽しくなってきて嬉しそうに解けた問題の話をしてくれました。これは着実に学力が付いてきたあらわれだったように思います。
一月に入りいよいよです。このころは体調管理となるべくリラックスムードを作るよう心掛けました。一言言いたいときもガマンです。プレッシャーにつぶされないように注意をはらいました。
第一志望の過去問はしましたが、第二志望の学校については実はまだ迷いがありました。なんとなく娘と合わないような気がしていたからです。先生には「どうしますか?」と直前にも聞かれ「二月一日の試験結果によって決めます」と保留状態に。
迷いがあるため一応全く志望校に入れてはいなかった夫希望のS校の過去問を一月下旬に購入しておきました。
今思えばこの準備がよかった!
二月一日の受験の結果、第一志望の学校には縁がなかったものの午後受験の学校は合格をいただきました。先生に報告。娘に二月二日の学校をどうするか聞くと、あんまり受けたくないと言いました。そこで全く別の夫押しのS校の話をしてみました。宮本先生は午後受験の学校で娘がいいなら終わらせてもいいと思います、と言ってくださいました。でも正直のところまだ二月一日。受験期間はまだ4日間も残っている。三年間の勉強の結果を一日で終わらせるのはなんだかもったいない、まだチャレンジできる!と思っていました。そこで準備していた夫希望のS校の過去問を娘に渡すと、パラっと開き算数の問題を見て「こういう問題、私好きだな」と言いました。この言葉を聞いて「もしかして!」と思いました。娘には「明日過去問を解いてマイナス10点なら受験してみる?」と話して、翌日の二月二日、初のS校過去問トライ。合格最低点よりプラス20点。まぐれかも?と思うも先生に報告して受験を決めました。さらに翌日の三日、プラス14点.。娘に笑顔が戻りました。私は急いで受験の手続きに自転車を走らせました。自転車をこぎながら友人からの励ましの言葉が頭にこだましていました。それは第一志望は叶わなかったけど、まだ諦めてない旨を伝えた時に返ってきた言葉です。
 「諦めないで
 後ろを振り返らないで
 前へ
 前へ
 とにかく進んで」
この言葉に勇気をもらい胸を熱くしながら自転車をこいだ思い出は私の一生の宝物だと思っています。宮本先生からは「悔いのないようにがんばってください!」と。

二月四日S校受験。受験会場は当たり前ですが人が多く呑み込まれそうになりました。娘は落ち着いた様子で会場へ。私は後ろ姿を見送るだけ。泣いても笑ってもこれが最後です。
試験終了後、娘は「理科と社会は上手くいったよ。算数は出来ないところもあったけど大丈夫、六割は取れてる。国語はわからない。」と報告をしてくれました。この報告の意味は、つまり結構自信ある、ってことなのです。不合格だった第一志望のときは「国語ができなかった」の一言だけでした。
今回は手応えがあった様子でしたがS校の二回目女子の定員数はわずか20人。そこに160人くらいの女子が受験するのです。合格なんて奇跡だよ、と娘に伝えました。
親としては娘が嬉しそうに苦手だった社会の問題の話をしてくれるだけで、戦ったことは無駄じゃなかった、次につながる3年間だったと思い、涙がこみ上げてきました。
夜の九時、ネットで合格発表。奇跡の合格!!最後にS校に拾っていただけました。
宮本先生は我が家より先に確認されておられ電話をくださいました。電話口から先生の興奮した様子が伝わってきました。「おめでとー!」最後に叫んでおられました(笑)
三年間の努力と諦めない気持ちが実を結んだ価値のある合格。こうしてS校合格は娘に笑顔と自信を取り戻してくれたのです。
宮本先生は「第一志望でもいいくらいの学校だよね。」とおっしゃって、とても喜んでくださいました。今振りかえると、S校の出題と娘の相性がたまたまよかったんだと思います。
改めて思うのは宮本先生が娘に勉強の仕方や楽しさを教え、しっかりと力を伸ばしてくださっていたのだなぁということです。そして教えてくださった勉強の仕方はきっとこの先も娘の肥やしとなっていくのだと思います。中学受験がゴールではないのですから。
 アテナにお世話になったのは6年生の一年間だけでしたが、この一年間の娘の成長は宮本先生なくしては語れないくらい濃い時間だったように思います。
宮本先生には感謝の言葉しかありません。
本当にありがとうございました。
そして共に戦ったアテナのお友達にもありがとう&お疲れ様でした、と伝えたいです。

余談ですが、実は1月29日に下の娘がインフルエンザになるというハプニングがおそい、恐ろしい緊張感に我が家はつつまれました。完全隔離し無事乗り越えました。娘の友人は肺炎で入院し病院から車いすにて保健室受験をしたり、別の友人は骨折して足を引きずりながら受験したりと、さまざまでした。
いろんなことを想定して本番に臨みますが、想定外のアクシデントやハプニングはおこりうるものだと思い知らされました。
そして、それもひっくるめてすべてが受験なのだと思います


Y・Hくんのお父様の中学受験体験記

2016年度 巣鴨中・茗溪学園中 他合格

【なぜ受験?~我が家のきっかけ】
当初、長男は受験に向いていないと思っていた。小さい頃からマイペースな性格で競争が嫌い。幼稚園の頃は周囲がサッカーや野球を始めていても見向きもしなかった。それでも何かスポーツをさせたいと思い、いろいろ勧めた結果、ようやく本人が気に入ったのが空手だった。当時、仮面ライダーに憧れていたのもあるが、恐らく気に入った一番の理由は「周りで誰もやっていないから」だったようだ。それほど競争が嫌いで、裏を返せば自尊心が高い性格は受験には向かないと思っていた。
また、私と家内は地方出身。東京の受験事情はおろか、どんな学校があるのかさえ全く予備知識が無かった。当然ながら中学受験という言葉はどこか他人事のようにしか思えなかった。故に長男が小学4年生になって、多くの学校のお友達が塾に通うようになったという話を聞いても、「ウチもそろそろどこか通わせた方が良いのかねぇ?」とのんびりした会話をしていたくらいだった。
ところがある日突然、長男が自分から「中学受験したい」と言い出したのだ。クラスメートとの会話の中で受験が話題になっていたこともあったが、学級内に粗暴なグループが出来ていて、「中学生になったら楽しく遊べる友達が多い学校に行きたい」というのが大きな理由だった。この当時、宇宙に関心が高かった長男は「宇宙の話が出来るような友達がたくさんいる学校に行きたい」と。健気で、涙が出そうになった。「よし、それなら中学受験をして、そういう友達がたくさんいる学校に行こう!」こうして我が家の中学受験がスタートした。
ちなみにその後、学校では素敵な先生に恵まれ、粗暴なグループも雲散霧消。今や卒業したくないと言い出していることは学校の名誉のため付記しておかなくてはなるまい。

【どこの塾が良いのか?】
こうして我が家では塾選びがスタートした。大手進学塾のパンフレットを取り寄せ、ネットでの評判とにらめっこする日々が続いた。ただ調べれば調べるほど、長男の「競争嫌いで自尊心が強い」性格には向かない気がして、家内とため息ばかりついていた。
一方で、私自身の大学受験での経験も塾選びを慎重にさせていた。やみくもに問題を解くのではなく、常に俯瞰で全体像を捉え、穴を埋めていけば試験には対応できる、目標とそれに向けた全体像さえ見えていれば、最終到達点に至るまでのプロセスはどんな方法でも良い…そんな自らの経験に基づく思いが常に頭の中にあった。
では中学受験はどうなのか。いくつかの参考書を手にとって確認してみた。大学受験に比べれば覚えるべき単元の分量も少なく、算数ならテクニックは100程度。全体像の把握は容易だ。ならばそこまでいかにアプローチするか、その方法論だけが重要だと考えるようになった。
すなわちどんな塾へ行っても結果として覚えるべきポイントは一緒だ。ならば面倒見が良くて、長男にやる気を持たせてくれる塾が良い、そう考えた時、某大手進学塾でなくてはならないという固定観念は自然と消えていった。自尊心が強い長男には、塾で上位に入るという達成感、成功体験が味わえる方が良いーすなわち少人数の塾が良いのではないかというのが夫婦で出した結論だった。

【なぜアテナ進学ゼミだったのか?】
それではどこが長男の性格に合う塾なのか。そんな時、偶然手にとった本が宮本先生の著書「はじめての中学受験」だった。中学受験初心者の私と妻にとって、まず受験の全体像・実情を把握しようと思い購入したのだった。今思えば、最初にこの本に出会えてよかったと思っている。特に東京の中学受験初心者である我々にとってはいちいち納得できる内容ばかりだった。読後、会社に行く前に妻に「読んでみるといいよ」と勧めたことを覚えている。一方、妻にとっては内容はもちろん、著者である宮本先生の塾が自宅近くの吉祥寺にあるということが驚きだったようで、何かヒラメキのようなものがあったのかもしれない。帰宅すると、妻が一言。「この本の先生の夏期講習の体験入塾に申し込んでみたの」-妻の行動は素早かった。
本を読んだだけで決めた?拙速すぎるのではないか?と少々驚いたが、調べると「しゃかりか教室」や京都・鎌倉の旅行など、他の塾にはないプログラムがあったり、何よりアットホームな雰囲気があることがわかった。「こりゃあ、塾というより家庭教師がつくような感じだなぁ。もしかしたら掘り出しモノかもしれない(失礼!)」…そんな印象を強く持ち、夏期講習の受講が始まった。
程なくそれは確信に変わり、4年の秋には正式に入塾することとなった。

【中学選びのポイント①~どんな6年間を過ごさせたいのか】
さて、ここからようやく中学選びである。ネットで調べていくと開成、筑駒など有名難関校の名前は度々登場する。しかし有名難関校であるということ以外、どんな学校なのか、どんな学校生活を送ることができるのか全く知らなかった。裏を返せば自分たちの中に偏差値以外の指標が無いことに焦りすら覚えた。一方で、偏差値一覧を見ても知らない学校ばかり。偏差値が高いと言っても、そこにどうしてもバリューを見出せないでいた(後から思い返せば、そこにあまり縛られなかったのは幸いだったと思う)。
そこで「とにかくせっかくの6年間なんだから、しっかり勉強をさせる学校、しっかりいろんな体験をさせる学校に行って欲しい」という観点だけで学校を選ぶことにした。「5年生になったらどんどん学校説明会に行ってみてくださいね」という宮本先生のアドバイスもあり、いくつもの学校に実際に足を運んでみた。また、できる限り長男を連れて行き、雰囲気を感じさせ、どこが気に入ったか確認していったりもした。学校見学と塾の授業が重なると、相談すれば授業スケジュールを配慮して頂けるのもありがたかった。ネットで評判も確認したが、意外に勤めている会社でも探すと身近に卒業生がいたり、既に子息が通っていたりして、会社の同僚や先輩から実情に近い話を聞けたのは極めて貴重だった。
こうして6年の夏までに志望校が4つ程度に絞られていった。いずれも「面倒見が良い」「しっかり勉強させる」「学校行事が充実している」「文武両道で部活にも力を入れている」といった学校で、6年間は充実したものになりそうだし、まだおぼろげではあるが長男の将来の希望にも応えてくれそうな学校だった。宮本先生から「いいと思います!教員・教育内容・カリキュラム等、多くの点において信頼できると思います!校風もマッチしている部分も多いと思います。」とアドバイスを頂いたのも心強かった。

【中学選びのポイント②~宮本先生のアドバイス「問題の相性」も重要な要素】
「まずは過去問を解いてみましょうか」-宮本先生の指導で、4つ程度に絞った志望校のうち、もっとも長男の性格に合っていると思う中学の過去問にチャレンジしたのが6年の初夏であった。ところが当然とはいえ結果は惨憺たるもの。算数に至ってはほとんどお手上げ状態だった。この時、宮本先生の言葉が強く印象に残っている。「問題にも相性というものがあるんですよ。学校選びで相性の良さは重要ですが、入試問題にも相性があって、相性が悪いと何回やっても絶対に解けない。入試問題との相性の良さも重要な学校選びの要素なんです。」-そんなアドバイスをしていただいたと記憶している。
確かにいくら学校が良くても合格しなければ始まらない。同時に、いくつか回った学校説明会で「入試問題は学校からのメッセージなんです」と言われたことを思い出していた。中には倍率が異常に高く、セレクションをするために難問奇問ばかりを出す学校もあるのかもしれないが、評判の良い学校は「こんな生徒が欲しい、こんな能力に長けた子供に入学して欲しい」という思い、メッセージを込めて入試問題は作成されているという。
基礎学力を問うものから、発想力・ヒラメキなどを問うものまで問題には傾向というものがある。4つ程度に絞っていた志望校のうち、長男に最も問題の相性が良い、フィットしていたのは「巣鴨中学校」だった。

【過去問の徹底】
いくつも回った学校説明会で、巣鴨中学だけは堂々と「我が校の入試問題はあえて傾向を変えません」と宣言。さらには「合格するには過去問を何度も解き込むことです。少なくとも2~3回はやってください」と合格対策まで説明したので少々驚いていた。
すなわち巣鴨中学はあえてゴールを示すことで、「そこに至るまでの努力を見たい。コツコツ努力する子供に入ってきてほしい」というメッセージが入試問題に込められているのだと受け止めた。
気に入った!長男にもそんな学校生活が一番合っているかもしれない、それならば!と巣鴨中学を第一志望とすることを宮本先生に伝え、学校説明会で聞いた内容をお話しした。宮本先生のアドバイスは心強かった。「こうなったら巣鴨の過去問と心中するつもりで頑張りましょう!」こうして秋から、先生とは常にメールで進捗状況をやり取りしながら、毎週末ひたすら過去問を何年も遡って解き続ける日々がスタートした。

【思春期の心的不安との闘い】
長男をめぐっては思春期特有の感受性の強さが心的不安へとつながり、いろいろなタイミングで宮本先生にはかなりのご心配をおかけしたことを記さないわけにはいかない。特に5年生の時は、学校や塾の宿泊を伴う行事の直前になると不安になり、そのことばかりが思い出されて授業にも集中できない、時には自宅で泣きじゃくるという時期があった。何度も先生からは「今日は極めてテンションが低いのですが、何かご家庭であったでしょうか」との心配するメールも頂いた。伊豆大島の合宿では急に体調不良となり、先生に病院に連れて行って頂くなど、多数のご迷惑をおかけしたことと思う。
ただ1つずつ、1つずつ不安を取り除き、行事に送り出し、楽しい体験をすることで自信をつけていく…こうした積み重ねがなければ今の長男はなかったと思う。6年夏の京都・奈良旅行では今までの精神的な不安定さは何処へやら。自ら「旅行が楽しみ」だと出発までの日数を指折り数えるまでになった。先生にはチームリーダーに任命して頂き、これもまた大きな自信につながったと思う。苦しい時期を一緒に乗り越えて頂いたことは感謝に堪えない。

【受験を振り返って】
思い返せば、我が家の場合、6年の夏までが「勝負」だったように思う。当然ながら塾ではここまでに網羅すべき全ての単元の授業がほぼ終了。「頭の中で筆算する」など、宮本先生からは常に「脳をフル回転させる」授業及び指導を頂き、基礎学力そして”地頭力”は十分に身についていたように思う。
そこで6年の夏からは先生にアドバイスをいただきながら、どの中学が最も合うのかを決め、そこに必要な努力、苦手な単元の絞り込みや弱点の把握をしていくことになった。一般的な塾では少し早いのかもしれないが、これらを6年の夏~秋にできたことが大きかったと思う。さらに精神的な不安とも戦い、克服できたのもこの時期だったのは幸いだった。
そこからはまさに「過去問との心中」で、ひたすら過去問を解き、間違ったところを解き直し、弱点を補強していく…この繰り返しが大きく点数を引き上げて行った。年明けには先生から「巣鴨はおそらく十中八九受かります」と太鼓判を頂いたことも、本人にとっては喜びであり、自信になっていったと思う。そして受験当日に「まるで模試を受けているような気分だった」と話していたように、リラックスした状態での受験につながっていった。

【最後に】
合格から1か月。長男は早速、前評判通り巣鴨中学の大量の”宿題”に日々追われている(巣鴨中は「合格しても遊ばせない主義」なのだそう)。そんな中、まだ余裕があるのか長男は「大学生になったら宮本先生のところでバイトさせてもらおうかな」などと随分先のことを話していたりする。微笑ましく聞いてはいるが、まさにこれはアテナが「家庭教師のような塾」だったことを物語っていると思う。
そして私自身のアテナに対する当初の想像は「確信」から、いまや「感謝」に変わったのだった。末尾となるが宮本先生には改めてお礼を申し上げたい。