塾生の受験体験記をご紹介します。(※保護者の方の体験記はこちらから


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2024年度

S・Tさんの中学受験体験記

2024年度 女子美術大附属中・トキワ松学園中・長崎日大中 他合格

私は母の友人からの紹介で3年生の後半から新4年生としてアテナ進学ゼミに通い始めました。5年生から第一志望が決まっていて過去の問題の形式も同じなのでその学校のレベルに合わせた問題をやり続け 、他の子がやっている練習問題や応用問題などはやりませんでした。4年生から6年生の前半はのんびり 勉強していたため、あまり成績も上がらず、社会や理科もあまり覚えていない状態で「自分の志望校の レベルに合わせた問題をやればいいから大丈夫」と思い、そのまま、6年の夏休みに突入し、過去問特 訓の日がやってきました。実際に第一志望の二科目の過去問を解いてみると合格最低点を超え、自分は 有頂天になっていました。しかし、次に過去問を解いてみると点数が下がったり上ったりして不安定な 状態が続き、過去問をやっていくうちに社会と理科が主に足を引っ張っており、国語も上がったり下が ったりの状態、算数の三角形の比と場合の数が苦手だということが見えてきました。

12月の後半になると自分の気持ちもだんだんと本気モードへと切り替わってゆき先生に積極的に質問を したり、自分の苦手なところを書きだして実力アップの苦手なところだけをピックアップして何度もや ったり、先生にコンプリを何枚もコピーしてもらうようになりました。そんなこんなで、過去問をやっ ていくうちに苦手な社会や理科の点数が上がっていき、国語や算数で苦手であった三角形の比や場合の 数なども実力アップやコンプリをやりこんでいたおかげで得意になっていきました。

そして、受験当日になりました。私の場合だと2月1日の午前に第一志望校、午後に第2志望校。2月 2日の午後に第1志望校。2月3日の午前に第一志望校、午後に第2志望校に受ける予定でした。実際 2月2日の第一志望校の作文はなかなか上達しなかったので、もし2月1の第一志望校が受からなかっ たら2月2日の入試は捨てる勢いでやろうと思っていました。私は第一志望校に全てをかけていたので 第二志望校の過去問は4回ほどしかやりませんでした。入試が始まって問題を解いていると緊張で少し つまずいた問題がとても難しく感じ、とても焦ってしまい、過去問で出た問題が入試本番に出たのにも 関わらず、しっかり復習をしていなかったため、空欄のまま時間が終わってしまいました。今思うともう少し丁寧に過去問を復習すればよかったという後悔が残っています。午後の第二志望校を重たい気持 ちで受けるのはよくないので気持ちをリセットし前に進もうと思いました。第二志望校は過去問を解い ていたころからよく解けていたので入試本番でも自信がありました。不安とやり切った気持ちで家に帰 りました。正直な気持ちを言うと、この受験は人生の小さな通過点であり、受かることが人生最大では ないと思っていたので、落ちたとしてももういいという気持ちになっていました。しかし、時間は迫り 合格発表の時間がやってきました。自信がなかった第1志望校は合格。第2志望校も合格をもらうこと ができました。

ここからは私がアテナ進学ゼミに通って、皆さんに絶対に伝えたいなと思ったことやこの受験を通して よかったことをお伝えしようと思います。

まず一つ目は、算数や理科では必ず図・式に単位をつける
図や式に単位をつけることで理科・算数で伸び悩んでいる人は上達すると思います。私も4年から5年生 時は図や式に単位をつけず勉強をしていました。回答解説を読んでも理解できず、算数はいつしか苦手科目になっていました。そんな時、先生が今まで何度も「必ず図と式に単位をつけろ!」と言っていたのに自分は実践していなかったことに気づき、わからないことは一度図を書いて、この式はどこを求め ているのかわかるように単位をつけていくよう体に覚えさせました。そうすることによって、わからな い問題がわかったり、ミスや勘違いを防ぐことができるようになりました。なのでぜひ、図や式に単位をつけていない人は実践してみてください。

二つ目は、実力アップやコンプリをやり込み、社会と理科の場合は語呂合わせと一緒に覚える
私の志望校の国語は物語文、一つだけで、問題のほとんどが記述であったため、5年から6年の実力アップの物語文をやりこみました。たとえ文章の傾向が違うとしても記述を書くことになれることが大切だと思います。算数と理科の社会の実力アップは過去問で間違えたところは苦手意識があるのを自分でピックアップして何度も解き、わからないところや記述は全て先生にみてもらい、コンプリは国算理社の自分の苦手なところや過去問に出るところを先生に何枚もコピーしてもらい何回も復習をしました。社会と理科のコンプリ・実力アップの暗記は語呂合わせを使うととてもわかりやすいです。先生が授業で何回も言ってくれた語呂合わせが身に染み付き、試験当日でわからない問題が出た時、語呂合わせを覚えていたおかげで解けることができました。なので、受験会場や行きの電車の中でみるのにはポイントがまとめてある語呂合わせは必須です。また、宮本先生は生徒一人一人の質問やお願いをしっかり聞いてくださり、LINEや自習室を開け、質問対応をしてくださる先生なので、その絶好な機会を活かし、勉強をしてほしいと思います。

最後は、過去問と本番入試は違う
私も過去問を解いた時は慣れた教室などで緊張せず問題を解いたので合格最低点よりも点数は超えていました。しかし、実際の試験会場では緊張や周りの圧により焦り、時間配分を間違えたり、同じ問題を何度も繰り返し読んでしまう事があります。教室や家で解いていた過去問の点数よりマイナス10点低くなると考えた方がいいと思います。なので、決して気を緩ませず、合格最低点よりも点数が超えていたとしても安心せず、入試は1点のミスだけでも合否が分かれるのでミスや問題文の読み間違いなどを日頃から気をつけることが良いと思います。

まとめ
私はこの受験勉強では勉強だけでなく「自立」「自律」の二つができるようになったと思います。一つ目の「自立」は親に勉強のスケジュールを立ててもらい、親が横について勉強をするスタイルではなく、自分の力でどういう勉強をするかを親に頼らずできたことです。もちろん、初めからそれができたわけでもなく、6年の初め頃からできるようになりました。2つ目の「自律」は自らやるべきことを探し、どのように勉強したら効率よくできるか、苦手なところを克服できるかなどを考え、自分の力で行動する。いわゆる、「自発学習」ができるようになったと感じています。この「自発学習」ができたのも、いつでも質問がしやすく、自習室を開けられていて、勉強がしやすい「アテナ」という環境があったからだと思います。また、宮本先生が連れて行ってくださる、合宿やしゃかりかクラブはとても楽しく、実際に建物や資料館、見て、触り、感じ取ることで自分の中で印象に残ると思います。「アテナ」では勉強以外と触れ合える機会がたくさんあり、この3年間大変だったという思いよりも楽しかったという思いの方が大きかったです。本当に宮本先生、チューターの先生の皆様ありがとうございました。


R・Mくんの中学受験体験記

2024年度 早稲田実業学校中等部・桐朋中・立教新座中・佐久長聖中A特待 他合格

ぼくは、中学受験をする上で経験したことや分かったことなどを4つに分けて紹介したいと思います。

まず1点目は、中学受験で苦しかったこととその克服に至るまでのことです。ぼくが苦しかったのは、勉強以外の自分のしたいことを制限しなくてはならなかったことです。学校で他の子が遊んでいるのに自分は勉強しなくてはならないと思うことがみなさんにもきっとあるでしょう。モチベーションを維持し、目の前の勉強に集中するために、ぼくは常に目標を立て続けました。人間は目標を立てるとそのために努力するようになります。でも、いきなり目標を立てるのは難しいという人もいるでしょう。その時おすすめするのは大きな目標を立ててからそのためにどうするかを細かく決めることです。大きな目標としては、志望校を決めることや成績を上げることなどがあげられます。そのために、すき間時間の勉強を増やすなどの小さな目標を決めてみましょう。

次に2点目は、苦手科目・弱点分野とその克服法についてです。ぼくが特に苦手としていたのは算数です。5年生の最初、ぼくの算数の成績は良いとは言えませんでした。原因は「わかったつもり」だったことです。授業を受けた後、自分で問題を解くと、わからないことが出てくることがあります。でも、それに向き合いたくないので答えを写してわかったつもりになっていました。すると、理解度チェックテストで再テストになってしまいます。克服するためには宮本先生に質問することです。質問することで先生にいろいろな解き方を教えてもらうと汎用性の高い解き方を使ってほかの問題も解けるようになります。抱えている問題の原因をつきとめて解決するという勉強法は非常に有効なので、ぜひ試してみてください。

そして3点目は、中学受験を通して合格以外に得たものについてです。ぼくは、「自発的な学習計画と実践力」だと思います。アテナの教育目標は、自発的な学習の実現です。そのための方法の1つが、講習中に自習室を利用することです。実際にぼくは、暑い日も寒い日も、ほぼ毎日、自習室が始まる時間からみっちり勉強していました。その過程で宮本先生には多くのアドバイスをしていただけました。たとえば、国語の記述でわからないときは答えを見て理想的な構造を知る、理・社は暗記も重要だが、原理や根本を理解することが重要だということなどです。みなさんも、勉強するときには、やるべきこと(タスク)をしぼって集中してやる、実践的な演習に慣れるために時間を測るなど、試行錯誤して自分に合った自発的な学習を確立しましょう。

最後に、入試の心構えについてです。今、自分の第一志望校に偏差値が届いていなくても、問題との相性で点数は大きく変わってくるので心配はいりません。しかし、直前になっても過去問の合格点に届かない場合もあります。実際ぼくもそうでした。でも、人間はあせると必死になるものです。最後まで自分の実力を信じて、行きたい学校を受験するべきだと思います。みなさん不安もあるでしょうが、練習は本番のつもりで、本番は練習のつもりで中学受験にのぞみ、合格をつかみとってください。


M・Yくんの中学受験体験記

2024年度 開智所沢中準特待・東京電機大中・長崎日大中 他合格

僕は5年生の1月月からアテナに通い始めました。僕からは後輩の皆さんの合格に向けて、少しでも手助けしたいと考え、3つのお伝えしたいと思います。

1. 中学受験で一番苦しかったこととその克服物語
僕の中学受験で一番苦しかったことは大手塾のクラス替えです、クラス替えによってクラスメイトが変わり、友達ができにくいため、塾へ行く楽しみがなくオンライン授業を受けることが多くなりました。よって、成績が伸び悩み自分に自信が持てなくなってしまいました。そこで転塾を決意しアテナと出会いました。アテナではクラス替えがなく、友達ができやすく、塾へ行く楽しみとなりました。

2. 苦手科目・弱点分野とその克服法
算数は図をかけ!
算数は図を描くことによって問題をより深く理解することができ、算数が得意となるきっかけとなります。なので、図は絶対に書いてください。

国語は問題文をよく読め!
国語では問題を解く順序は大切です。もし問題を解く順序を間違えたとき最悪の場合漢字等が一つも解けていないということが起こります。「漢字等は配点が低いから大丈夫だろ」と思っている人がいるかもしれませんが、受験では1点の取り合いです。1点足らず志望校に落ちた場合、それは一生後悔すると思います。なので絶対に問題を解く順序を間違えず、自分の解きやすいところから解いてください。

理科・社会では語呂合わせを使え!
理科・社会では宮本先生が出している語呂合わせの本を読むのがオススメです。宮本先生が出している語呂合わせの本は、社会や理科の知識などを語呂合わせで覚えることができ、それを授業に活用することでより深く理解することができます。電車に乗っているときや暇な時に読むことによって知識をつけることができるのでオススメです。

3. 中学受験という体験を通して合格以外に得たもの
僕は合格以外に達成感・根気強さ・競争心といったものを得られました。ぼくの場合受験は3年間やってきました。何度も受験をやめようとしたり、くじけそうになった時もありましたが最後まで続けてきてよかったと思っています。

良い友達にも出会え、宮本先生にも出会え、本当に良かったと思っております。今まで1年間本当にありがとうございました。宮本先生には感謝しかないです。そして後輩の皆さん自分を信じて頑張ってください。


G・Mくんの中学受験体験記

2024年度 桐朋中・成蹊中・都立大泉高校附属中・東京電機大中・聖望学園中B特待 他合格

僕は小学5年からアテナに通い始めました。受験をしようと思った訳は、親に進路について説明をされてチャレンジしたいと考えたからです。初めは算数の式も図も書かずに先生に叱られました。叱られて嫌だったのでその後は授業をしっかりと聴き、図を書くようにしました。そうすると成績が少しずつ良くなりました。このおかげでぼくは、一度注意された事は出来るだけ改善していくことが大事だとわかりました。

夏期講習は課題の量も勉強時間も多く、慣れるまでは苦労しました。特に6年夏の社会のアテナプリンに苦しみました。しかし大変だった分、大きく成績が伸びました。

普段の勉強では、週に一回の理解度チェックテストに合格することを目標にしていました。理解度チェックテストはその週に習った事が身についているか試されるものであり、合格するまで受けられます。

入試の当日は上手くいかなかったらどうしよう、と怖かったです。その時、自分にとって難しいと感じる問題は周りにとっても同じ様に難しいはず、と先生に言われた事を思い出しました。この様に前向きに考えることも大切です。2月1日の受験校は当日に合格発表があり、結果が気になりましたが早寝しました。次の日に備える方が良いと考えたからです。

アテナはテキストの勉強の他に、合宿や日帰りの行事があります。実際に見たり経験する事で記憶に残りやすいうえ、楽しく勉強できました。

僕が中学受験という体験を通して得たものは、精神力と切りかえる力です。上手くいかない時でもくじけずに勉強をすること、習い事と両立する為、後回しにしない様になりました。失敗してもへこみ過ぎずに先に進む力も身につきました。
これはこの先にも役立つ力なので、中学受験に取り組んで良かったです。

宮本先生、チューターの先生ありがとうございました。


M・Iさんの中学受験体験記

2024年度 三田国際中・晃華学園中・開智所沢中準特待 他合格

私がアテナに通い始めたのは3年生の3月でした。周囲の仲のいい友達の多くが塾に通い始めたことを機に、私も母と中学受験を考えるようになりました。4つほどの塾を周った結果、一番授業がおもしろかったアテナを選びました。

4年生の間は模試の結果では上位をキープしていて、特に初めは苦手だった算数がどんどん伸びていきました。しかし小5になり4教科となったことで勉強量が増え、以前の成績がキープ出来なくなりました。それどころかどんどん成績は下がっていき、そのまま小6に突入していきました。自分でもどのように4教科をバランス良く勉強すれば良いのか分からず、苦しむ日々でした。私は特に理科を苦手としていたので、毎回月例テストの後は結果がどうであろうと、母と二人でノートにポイントなど(「ゴロ理」を活用すると良いです)をまとめ、復習していきました。また、4教科の取り組む課題も宮本先生にピックアップしてもらい、量より質を意識して勉強することに方向転換しました。それが良かったのか、模試でも偏差値60を超えることが徐々に増えてきました。

小6に夏期講習からは過去問演習が始まりした。第一志望の三田国際学園は当時の私には信じられないほど記述が多く、初めて過去問を解いた時の結果はマイナス80点でした。その後何度か三田国際に挑みましたがあまり状況は変わらず、志望校を変えるべきかとても悩みました。別の学校の文化祭に行ったりしてみましたが、中高生活6年間を過ごしたいと思うのはやっぱり三田国際だったので、挑戦することを決意しました。

一月受験校の開智所沢の過去問演習は合格最低点を前後してばかりで、心の中では本当に受かることができるのか不安でした。そして迎えた1月9日、その日の朝はすっきりと起きることが出来、軽やかな気持ちで試験会場へ向かいました。しかしその気持ちも束の間、私は試験会場の人の数に圧倒されてしまいした。それでも「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせながらなんとか平常心を保ち、4回の試験のうち3回で合格をもらうことが出来ました。

一月入試が終わり、二月入試までの間は学校を休んでほぼ毎日アテナで過去問演習をしました。一月に受かった開智所沢の志望度が高かったことで、二月は三田国際と晃華学園の二校のみの受験となり、一つの学校の対策に多くの時間を費やすことが出来ました。晃華学園の問題はあまり苦戦することがなかったので、第一志望の三田国際に集中することができました。一月は苦手としていた記述問題の対策に力を入れ、宮本先生にピックアップしてもらった実力アップの問題をこなし、その結果過去問演習でも合格最低点を前後できる様になってきました。

2月1日の試験当日は落ち着いて試験会場に向かいました。試験直前まで、宮本先生からももらった受験の心構えについてのプリントを眺めていました。試験は過去問よりも難しく、焦ることも多くあったので手応えはあまりありませんでした。お昼ご飯に好きなものを食べて少しゆっくりすることで気持ちを落ち着け、午後の晃華学園はいつも通り受けることがでました。両校ともにその日の夜に結果が出るのですが、三田国際は絶対落ちていると思ったので、敢えて結果を見ることにしました。結果は不合格でした。絶対に泣かないと決めていましたが、結果を受け入れようとすると涙が溢れてきてしました。その日は家族に見守られながら晃華学園の結果を待たずに寝ました。翌朝、晃華学園の合格を知らされましたが昨晩のショックが残っていてあまり喜ぶことが出来ませんでした。その日の午後も三田国際の試験に向かいました。自信がないまま試験に挑みましたが、「図を書くこと」「計算で単位をつけること」など直前でも出来る基本的なことを意識するようにしました。しかし今回も手応えがなく落ち込んだ気持ちのまま帰宅しました。次の日も三田国際のMSTコースを受けに行きましが、行く途中の気持ちは疲れ切ってどん底でした。その時、一緒に行っていた父が私の肩をトントンと叩きました。スマホの画面を見せてきます。不思議に思いながら画面を見ると、そこには昨日受けた三田国際の合格の通知が写っていました。私は目の前のことが信じられませんでした。嬉しすぎて、電車の中で父と何度も握手しました。一度は諦めかけた第一志望校でしたが、最後まで諦めずに挑んで本当に良かったと思います。

私がアテナに通い、重要だと思ったことは5つあります。
 1 . 図を書くこと
 2 . 計算に単位をつけること
 3 . 月例テストのあとは一科目ずつ振り返りを書くこと
 4 . 分からない問題は先生に徹底的に聞くこと
 5 . 自分を信じて諦めないこと
宮本先生、チューターの先生方、3年間本当にありがとうございました。中学校でも頑張ります!


2023年度

H・Nさんの中学受験体験記

2023年度 恵泉女学園中・晃華学園中・光塩女子学院中 他合格

私は5年生の11月にアテナ進学ゼミに入塾しました。それまでは大手塾に通っていましたが、授業の教え方が全く自分に合っておらず、成績も落ちていたため、私はもうどこの中学校も行けないかもしれないと落ち込んでいました。そこで私は転塾を決意しました。
私はアテナに入り始めた頃、月例テストでなかなか成績が伸びず、先生に何度かテストへの取り組み方について指摘された事がありました。そこで私はなにがいけなかったのかを考えてみました。そこで私は思い当たったことがありました。自分は、今までわからない問題を解答解説を読んだだけで終わりにしており、本当は頭でわかっていない内容を分かった気になって満足していました。また、私は誰かに怒られることに対して恐怖心を抱いてしまう短所があり、先生のところに全く質問に行っていなかったため、月例テストで成績が伸びていなかったのだと自覚しました。その日から私は先生のところに質問に行くようになり、月例以外の首都圏模試などでも成績が伸びるようになりました。ここで、私が受験に必要なアテナでの5つのポイントを述べていこうと思います。

1.どんなに文字数が少ない記述でも必ず宮本先生の所に持っていく!
記述は国・理・社の三教科、また学校によっては全ての科目の中で出てくるものなので苦手とする人が多いかと思います。そんな記述こそ宮本先生に持っていき採点をしてもらってください。宮本先生は小学生の頃から記述が得意だったと聞いており、また本も出しているため20字以内・30字以内などという文字数の少ない記述でも、必ずチューターの先生ではなく宮本先生のところへ持っていってください。

2.「ゴロ合わせ」シリーズを使って理科・社会は覚える!
入塾した際に「ここで差がつく!語呂合わせで覚える 理科・社会 100」という暗記本を買われると思いますが、その本を使いながらなるべく理社は覚えたほうがいいと思います。ゴロ合わせシリーズは覚えたい単語をおもしろ楽しく覚えることができる上に、短い文で知りたい内容を全て知ることができるため絶対にゴロ合わせシリーズを使いながら覚えた方がいいと思います。またゴロ合わせの下に、ゴロ合わせの中に出てくる人物や物の名前の詳細、受験に出やすい単文記述などが書かれているためゴロ合わせの本一冊で理科・社会を覚えることができます。そして、友達と問題を出し合う際も役に立つため、ぜひ理科・社会を勉強するときはゴロ合わせを片手に勉強してみてください。

3.漢字日記・計算日記はサボらず行う!
入塾・進級した際に配られる「漢字日記・計算日記」は1日1ページ必ず行ってください。「今日の分は明日まとめてやればいい」と思い始めるとだんだんサボるようになり、20ページ・30ページと溜まっていってしまいます。だから漢字日記・計算日記は必ず1日1ページ行ってください。もし前期の方で何ページか溜まってしまったという失敗をしてしまったら、後期にその失敗を繰り返さないよう1日1ページ行っていった方がいいと思います。また、漢字日記・計算日記で出てきた単語や問題は私の経験上、本番の入試問題で出てきたことがあるためなんとなくやるのではなく、その日にでてきた問題はその日中に覚えるということを肝に銘じながら問題を解いていってください。

4.実力アップ問題集・コンプリーションは積極的に行う!
入塾・進級した際に配られる「実力アップ問題集」、6年生へと進級した際に配られる「コンプリーション」は積極的に行いましょう。実力アップ問題集・コンプリーションで出てきた問題はこれも私の経験上、本番の入試問題で出てきた事があるためしっかりと行ったほうがいいと思います。また、もし問題集の中で出てきた苦手分野の部分をもう一度解きたいと思った際は宮本先生、またはチューターの先生にお願いをしてコピーをもらいもう一度行ってください。

5.算数では必ず図・線分図・単位をつけて解く!
算数では必ず図・線分図・単位をつけて解いてください。分からない問題でも図や線分図を書いたら分かったという問題もあるため必ず図や線分図を書いて算数の問題には挑んでください。また式には必ず単位をつけてください。単位をつけずに式を書き、聞かれている問いの単位とは違う単位をつけて間違えてしまうこともあるため式には必ず単位をつけてください。そして問題文もよく読みましょう。聞かれてる問いとは違う答えを書いて間違えてしまう事もあり、その1点、2点で合否が分かれてくるのが受験なので、どんな科目でも必ず文章をよく読みましょう。

ポイントはこれで以上です。
次は受験当日の時について述べようと思います。

<受験当日>
私は埼玉受験を含め全部で8つの学校を受験させてもらいました。
2月1日の午前・2月3日の午前に第二志望の学校を受け、2月2日の午前・2月3日の午後に第一志望の学校を受けました。2月1日に受けた第二志望の入試問題の出来は自信がありましたが、補欠候補となってしまいました。そして2月2日に受けた第一志望の学校も不合格となってしまいました。私は不安な気持ちで胸が一杯になりました。しかし翌日の2月3日は、午前に第二志望の学校を、午後に第一志望の学校を受ける予定であったため「それが本当の最後の勝負なんだ」と思いながら入試問題を解きました。午前の第二志望の学校はかなり自信があり、午後に受けた第一志望の学校はかなり難しかったため自信がありませんでした。結果、自信があった方の受験結果は残念ながら不合格。自信があった分、とてもショックでその時点で私の心はボロボロでした。しかし奇跡が起きました。なんと午後に受けた第一志望の学校が受かっていたのです。私は正直自信があった方の学校が落ちていたため午後は絶対に落ちていると思っていました。私はまさかの展開に涙を流してしまいました。数時間前までボロボロだった心が、まるで羽が生えたかのように軽くなりました。最後に受けた学校も合格し、埼玉受験も含め、受けた全ての学校から合格をもらいました。

私は、受験というものは本当に残酷なもので、本当に1点・2点の差で合否が分かれるということを実感しました。そして私は無事第一志望の学校に行けることになりました。本当に辛い三年間でしたが、今までの努力が報われてとても嬉しく思いました。私が第一志望の学校に合格できたのは宮本先生がいたからだと思います。本当に宮本先生には感謝の気持ちでいっぱいです。

<まとめ>
私は本当にアテナに転塾してよかったと思います。私が最初に通っていた大手塾に通い続けたまま受験に挑んでいたら多分どこも受かっていなかったと思います。そして何度も言いますが受験というものは本当に残酷なもので、1点・2点で合否が分かれるので、分からない問題がたとえ出てきても時間が余ったらあきらめずに解き続けてください。そしてわかる問題から解いていってください。時間配分をミスってしまい解ける問題が解けなかったという展開は最悪なので時間配分にも十分に気をつけてください。また年に2、3回ほどあるスキーや合宿などのイベントも受験に役立つためぜひ参加してください。私は本当に宮本先生・チューターの先生のおかげで第一志望に合格できたと思います。これから受験を控える方、入塾をご検討されている方はぜひご参考にしてみてください。

宮本先生、約一年間わかりやすく丁寧な授業を行ってくださり本当にありがとうございました。


Y・Kくんの中学受験体験記

2023年度 芝中・国学院久我山中ST・早稲田佐賀中 他合格

僕は小学5年生の途中からアテナに通いました。アテナは宮本先生の授業が楽しかったことが記憶に残っています。僕からは、中学受験の勉強法や二月一日のアドバイスをします

⒈算数は基礎や図を磨け!
算数の基本問題〜応用問題まですべて基礎知識や図さえ整っていれば解けます。
計算日記を毎日解けば、基礎知識なんてすぐにみにつきます!また、算数の宿題を解くときに解説を読んだだけで終わりにせず、自分でもう一度図を書くという解き直しの方が絶対に身につきます!
是非実践してみて下さい!

⒉国語は問題文をよく読んでください!
まぁ全科目、よく読んでほしいのでさが、特に国語では問題文に解答の答え方が書かれています。僕自身もよく先生に「文末が違うぞっ!」などと叱られた苦い思いでがあります。問題を読み間違えないようにする事で国語の正答率は結構上がると思います!

⒊暗記は工夫しろ!
僕はとても暗記が苦手で苦労しましたが、宮本先生のゴロ合わせの本を電車で読むことでどんどん知識量があがって行きました。アテナという塾に通ったなら、アテナの利点を使うべきです!みなさんも語呂合わせでどんどん知識を増やしましょう!

⒋睡眠は大切!
「受験生は睡眠時間まで削ってまで勉強しろ!」の様な考えがありますが、絶対に睡眠を疎かにしてはいけません。睡眠不足になると、思考力・記憶力・集中力・注意力などの低下を招くことが医学的に証明されています!僕自身もワールドカップの試合を見て睡眠不足になり、授業に身が入らないことが多々ありました。

⒌受験は巡り合わせ
これは、僕の第一志望である芝中学校と出会ったきっかけが6年生の春頃の朝、宮本先生から「説明会の空きがあるかもしれません」というLINEが来て、説明会に行ってみたところ、芝の校長先生のお話しがとても面白かったという巡り合わせがあったため、僕自身とても実感しています。結局どのような結果になろうとも、受かった学校が自分の巡り合わせなんだと、思って下さい!

⒍自信をなくしてはならない!
僕は成績が全然上がらなかったり、算数しか取り柄がないのに勉強ができない自分は最低だと思ってしまうことがありました。ですが、自分を鼓舞することで自分の自信を保ったら、いい成績がとれるようになったことがあります!なので、みなさんも二月一日の試験会場に向かう際に小声で自分を鼓舞して下さい。スラムダンクの安西先生も「諦めたらそこで試合終了」という名言を残しています!
ちなみに、僕は「首席で受かる」といいながら試験会場に、向かいました!

最後に
アテナは、人間性も磨けてとてもいい塾です!
中学受験は一生に一度しかできないものなので是非、楽しんで乗り越えてください!
僕に勉強や人間性を教えてくれた宮本先生に感謝しかないです!ありがとうございました!


K・Hさんの中学受験体験記

2023年度 都立三鷹中・富士見中・山脇中 他合格

友達が中学受験をすると聞き、自分も受験に興味をもったことがきっかけで3年生の2月にアテナに入りました。
アテナに通い始めた当初は宿題をあまりやらず、小テストでは再テストが多く、成績が伸び悩んでいました。5年生になると授業時間が長くなることを母が嫌がったので、4年生の2月でアテナを一度退塾しました。しかし受験をしたくなったので、5年生の9月からアテナに戻りました。
社会と理科の受験勉強はしておらず、全くできませんでした。習っていない範囲の社会と理科について先生がテキストのコピーをくれました。また、算数の重要単元は先生が個別で補習してくださったおかげで追いつくことができました。
6年生になってからも宿題をしっかりやっていませんでした。夏期講習で自分の志望校の過去問をやると、社会があまりにも出来ていなかったので、社会のコンプリを9月までに終わらせるという目標を立てました。秋には日曜日や祝日に過去問をやっていましたが、過去問の直しを全然やっておらず1月の後半に解き直しをまとめてやることになってしまいました。1月からは私立の第一志望校をひたすらやりました。都立中の過去問は10年分やり、すべての答案について、先生に添削してもらって間違えたところの解き直しをすることによって、作文力がかなり上がったと思います。逆に私立の第二志望以下の学校の過去問は1、2回しかやりませんでした。
結果、都立の第一志望には合格することができました。私立の第一志望校には落ちてしまいましたが、第二志望以下の学校すべてに合格できたのは私立の第一志望校の過去問をやり込んだおかげだと思っています。

私の経験は反省点ばかりですが、受験をする上で大切だと思ったことは、毎日コツコツ勉強し、過去問の解き直しをしっかりやるということです。
アテナは先生との距離が近く、LINEでも質問できる、質問がしやすい環境です。また友達とも仲良くでき、一緒に頑張ろうという雰囲気があるので、楽しく勉強ができました。
宮本先生、チューターの先生方、ありがとうございました。


M・Sさんの中学受験体験記

2023年度 国学院久我山中・ 宝仙中理数インター 他合格

私は、宮本先生の指導のもとアテナ進学ゼミに通ってみなさんに絶対伝えたいなと思ったことを3つお伝えしたいと思います。

1つ目は、絶対にあきらめるなということです。私は試験会場に移動している時、初めての時など特にとても緊張していて本当に心が折れかけていました。ですがその後宮本先生の記事やツイッターを見ていて、先生もとても緊張しているはずなのに出来る限りの事をして、私たちを応援してくれていることがうれしくて本当に安心しました。5年生や4年生の授業もあるはずなのにわざわざ試験会場に来てくれたりした事には特に感謝しています。

2つ目は、合格以外に私が得たものです。私は合格よりも1つ目に言った根気強さ、そして一生懸命やった人だけが得られる達成感を感じられると思います。なぜなら、私は天才と呼ばれる人たち以外のプロと呼ばれる人たちは、日々の努力が積み重なって達成感というものを感じられる人々だと思うからです。私はその達成感を得るために自律することがとても重要だと思います。これからも自分で計画を立ててちゃんと実行できるよう頑張りたいと思います。

次に3つ目は、中学受験で一番つらかった時のことです。5年生の前半頃がとても苦しかったです。4年の時は結構一人でいて一人に慣れていたため、とても勉強に集中できる環境でしたが、5年のスキーのイベントで初めて友達と話せてすごく興奮してしまい、成績がすごく下がって母からも怒られて、本当にストレスがたまっていました。なので私はその状況を打開するためにとにかく苦手な科目をやりまくりました。私は得意なものが増えるほど自主的に物事をやれるはずだ、と考えているのでとにかく苦手な理科・社会を母にスケジュールを管理してもらいながら克服していきました。そのおかげで今は社会だったら近代、理科だったら月や星座についてだいぶ覚えることができました。とにかく家族で協力して勉強をすることが一番いいと思います。遠慮せず、ぜひ家族に何か頼んでみてください。

最後に、宮本先生、そして私にとてもやさしく教えて下さったチューターの先生、4年生から6年生までの3年間本当にありがとうございました。宮本先生には特にたくさん迷惑をかけたのにいつもニコニコしてどんな時でも対応してくれてとても感謝しています。
みなさん、これからも勉強頑張ってください!!


S・Tくんの中学受験体験記

2023年度 成城中・ 多摩大聖ヶ丘中 他合格

僕がアテナに通い始めたのは小4の⒓月でした。もともと、アテナの近くにあるサピックスに通っていました。鉄道が好きで地理だけは出来ましたが他の3教科ができませんでした。それで組分けテストの点数が低くいつも下の方のクラスでした。それで母がアテナを見つけてくれて、アテナの体験授業とサピックスの授業を比べ、宮本先生の分かりやすい図で解く算数が印象に残りアテナに入ることにしました。5年では受験の意識が無く、月例テストでも社会しか良くないことが続いたりしました。後半になると、少しずつ算数と理科ができるようになりましたが、ずっと不得意だった国語が足を引っぱった事と、今まで地理だった社会が歴史になり覚えることができず、社会の点数が落ちてしまいました。

6年になって春からは自習室に行くようになり、そこで宿題をやったりしました。歴史も特徴のあるゴロ合わせで覚えました。たとえば『無難に勝ったよ 大海人』『何と元気な 平城京』『泣くよ感動 平安京』『よし! 摂政になるぞ! もっとつねって! 関白様!』などの語呂合わせが特にお気に入りです。。
また歴史だけではなく理科もゴロ合わせで覚えました。『セリ ナズナ ゴギョウ ハコべラ ホトケノザ スズナ スズシロ 春の七草』『新幹線はゆっくり通る』など沢山あります。また、このことは4、5年生で習うことも含みますが、宮本先生が特に力を入れている月の満ち欠け、食塩水、まる1算、この3つに関しては得意でこの3つには、宮本先生が考えてくださった簡単で分かりやすい図があります。この3つ以外にもたくさんの図があり、サピックスの時と比べると、授業が分かりやすいと僕は何度も思いました。今、アテナに通っていて算数や理科が苦手な人は絶対に図を書いて解いた方がいいです。得意なことが増えるし、解くスピードがものすごく速くなります。

6年生の夏、過去問をやり、やっとエンジンに火がつきました。いろいろな学校の過去問をやって思ったことは、偏差値も大切ですがそれより相性だと思います。偏差値が同じくらいの学校でも差がありました。それで少しずつ志望校も決まってきました。このころから日曜日に家で過去問をやる日ができ、午前に過去問をやり、午後に直すという感じになります。塾ではまとめの授業も始まり、いろいろなテストをやりどこを復習したり直せばいいのかが分かってきます。冬期講習ではまとめのまとめをやる感じで、難しい問題も多かったです。

そして西武文理の受験の日がきました。人によって違うと思うけれど、僕はいつも通り寝ることができました。試験では宮本先生から教わった方法を使い、自分のできることを出し切りました。そして結果は合格できました。志望校より難しい立教新座も受けましたが不合格でした。
僕は2月1日から4日まで受験しました。第一志望校の巣鴨中学は不合格でしたが、諦めず第1回から3回まで受けられて良かったです。

最後に僕が思うアテナで大切だと思うことを挙げます。
  ①先生の話を聞く
 ②図と式を書く
  ③分からない所は聞く 
 ④ゴロ合わせは暇が合ったら見る
このことをやれば必ず行きたい学校に行けると思うので頑張ってください
宮本先生、そしてチューターの先生今まで本当にありがとうございました。
中学校でも頑張ります。


2022年度

T・Yさんの中学受験体験記

2022年度 恵泉女学園中・晃華学園中・大妻中野中・東京女学館中・西武文理中 他合格

私がアテナ進学ゼミ入塾したのは5年生の12月頃でした。それまでは大手の塾に通っていましたが、成績が全く伸びず、もう限界というところでアテナに転塾しました。少人数ということもり、周りの友達はみんな仲が良く、先生が一人一人をしっかりとみて対応してくれるところがいいなと思いました。ですが、月例テストや合不合判定テストの結果は悪く、はじめは「アテナでも、もうだめなのかも…」と中学受験をあきらめかけたこともありました。でも、何度も怒られても、成績が今は伸びていなくても宮本先生の言ったことをしっかり守ろうと決心してからは自然と成績は上がっていきました。
ここで、教科ごとに私自身が気を付けていたポイントをお伝えします。

【国語】
国語は、練習を積めば必ず出来るようになります。すぐに成績は伸びなくても、説明文や物語文では本文に書いてあることをふまえて記述を書けば必ず点数は取れてくるはずです。さらに、本文を丸写しするのではなく自分の言葉で書きかえると国語はほぼ完成になるので、そこまでいけるとよいと思います。

【算数】
私の一番の苦手科目は算数でした。やはり成績が上がってきた理由は、図を書いたことや式に単位をつけたことだと思います。苦手科目は苦手だからといってあきらめず、テキストや実力アップで苦手をなくしていくことが大切だと思います。

【社会・理科】
二つの教科は入試直前で伸びる教科です。しっかり基礎を固めて,ゴロ社会・ゴロ理科で確認しながら学習を進めるとよいと思います。さらに、理科では化学反応式は必ず書いてください。時間がなくても書けば必ず正解をみちびきだせるはずです。

最後になりますが、宮本先生やチューターの先生方、本当にありがとうございました。これから受験するみなさんも、本当にあっという間の受験生活を大切に、最後の最後まであきらめず頑張ってください。


I・Yくんの中学受験体験記

2022年度 世田谷学園中・東京都市大中Ⅰ類・早稲田佐賀中 他合格

ぼくは3年生の終わり、新4年生としてアテナに入りました。中学受験のきっかけは、小学受験で入った学校が、受験校だったから自然に決まっていたのです。最初の頃は、もう小学受験の緊張感などを忘れ、軽い気持ちでした。そのせいで4年生では成績が好位置だったのに、社会理科が増えた5年生から成績が落ちていきました。理由は多分、漢字日記や計算日記をサボったり、一番大きいのが社会の宿題をサボったりしていたことです。そのせいで5年生では一度、社会の月例テストで50点満点中9点というひどい成績をとったことがあり、6年に入ってから流石にこのままではやばいと思いまず歴史を覚え直していきました。やはり時間がかかり、数ヶ月で覚えられたものの、社会では知識にムラができてしまいました。そこから社会の地理、公民を覚えようとしましたが間に合いませんでした。でも、コンプリなどは夏にしっかり終わらせていきました。

そして6年の12月、付属の東京都市大学付属中学校へ行く事ができる推薦(本番の試験は受けなくてはならない)をもらいました。そのため、それまで少しずつ勉強していたのが実を結んだと思い、喜びました。外部受験もできる推薦だったので、それによって、「もう全部落ちても私立に行ける」と思ったのがだめだったのでしょう。今思うとそれが油断につながったと思います。過去問はたくさんやりましたが、解き直しは少し甘くなり、そのために成績は合格点の下の方から上にあがりません。そして1月、練習校の早稲田佐賀に受かり、今考えるとその油断はまたおおきくなってしまいました。

2月に入って本番が始まり、まず1日に本命武蔵を受けました、一応ほぼほぼすべてうめたので、それなりに自信はありました。午後、東京都市大学付属中学校を受けました。東京都市大学付属中学校では問題は簡単に思えたものの、お弁当を食べ忘れたので激しい空腹に襲われ、本来の力が出せなかった気がします。希望していたII類合格ではなくI類で合格となりました。2日は万全の態勢で世田谷学園を受けました。3日、第一志望と同じ程度の偏差値の中学校をうけましたが、なかなかうまく行きませんでした。答案用紙を全部は埋められませんでした。その帰り、武蔵の不合格を親から聞き、とても悲しみました。

4日も高いレベルの中学校を受け、ここでも全問回答に間に合いませんでした。帰り、3日受験の中学校の不合格を聞きました。もう悲しんでも終わってしまったのだからどうしようもないと思いました。その夜、4日受験の学校の不合格も聞きました。

6日、もう都市大は受かっていましたが最後に決まりをつけるために、仲間とともにII類を目指してもう一度都市大を受けました。倍率も高く難しくなっていたのもあって、結果はまたI類となりましたが決めたことをやりきったから不思議と悔いは残っていません。

最後に、受験生のみなさんに伝えたいことは次のみっつです。
・最後の最後まで油断はしないでください。
・宮本先生の言うことを素直に聞いてください。
・空腹状態で受験に挑まないでください。

宮本先生、図を書くことや噴水作戦などわかりやすく解きやすい解法や、日本近海のメタンハイドレートなどの雑学もたくさん教えてくれてありがとうございました。


Y・Tくんの中学受験体験記

2022年度 成城中・明治学院中・武蔵野大附属中・西武文理中 他合格

僕がアテナに通い始めたのは小4からで、最初は塾に行き勉強することへの好奇心があり楽しく学習できたため、成績は上位に入るが、そこからは調子にのり宿題も雑に解き成績がどんどん落ちていくなか、先生との面談で「はっきりとちゃんとやってないよね」、「このままでいいの」と言われ、そこから自分の情けなさに気づき少しずつ勉強への姿勢が変わり、また最初から言われる「図を書く」、「式に単位をつける」ということを意識しなくても出来るようになりました。今思えば先生に図を書く式に単位をつけるということを散々言ってもらったからこそ自然に書けたのだなと思います。

小5になり理科、社会が入り、時に確認テストで自分は再テストになったりならなかったりとくり返していたが先ほどのように今思えば確かに満点目指して努力していってほしいが再テストは自分の弱点に気づき向上させるチャンスなのでマイナスに考えすぎずプラスに考えてほしいなと思います。そして夏、塾の友達と自習するようになりそこで出された課題以外にも手を出し、また、たくさん勉強した後の達成感にも気づき、そこで一気に勉強への姿勢が変わりました。六年になり、家よりはるかに集中力が出て先生にもたくさん質問できると気づき塾にたくさん通うようになりました。でもだからといって無理して通うのではなく重要なことは自分にあった学習環境を探すことだと自分は思います。

そして夏の途中から過去問に取り組むようになりそこで第一志望校であった城北中学校の国語の結果がひどく自信がなくなりながら難関講座に入りそこでも問題が難しく解けないときもあったため今思えば受験の中で一番苦しい時期だったと思います。でもくじけずに国語も実力アップを使って特訓し1月もほぼ毎日行っていたため、これまでの努力が自信に変わり受験に挑めました。初日の午前の不合格はショックでしたが午後は合格をもらい、また親や先生もきりかえが早く自分もそのきりかえを大切にしたため最後まで力を出し切れたのかなと思います。

結果的に第一志望校には合格できませんでしたがこのアテナに入り勉強の楽しさ、政治への興味、いろいろなことを学び特に記述がまったく書けなかった自分が長文記述もこの体験記も書けるようになるくらい成長しました。なので受験がうまくいかなくても中学受験によってアテナに入ったことによって成長したことをぜひ考えてほしいなと思います。そしてチューターの先生、友達、宮本先生、本当にありがとうございました。またアテナにいるみなさんも宮本先生を信じてがんばってください応援しています。


M・Rさんの中学受験体験記

2022年度 国学院久我山中ST・淑徳与野中・武蔵野大附属中B特待・浦和実業中A特待 他合格

私がアテナに入ったのは三年生の冬でした。通い始めた当初は女子が私一人でしたが、宮本先生やチューターの先生が気を遣ってくださったので安心して通うことができました。四年生のころは、国語と算数の二教科のみだったため、重点的に勉強ができ基礎力を養うことができました。また、アテナでは理科社会が五年生から始まりますが、四年生のうちから理科社会に興味が湧く合宿や、様々な体験型のアテナのイベントの参加、科学技術館や美術展などで楽しく理科や社会とふれ合っていたため、五、六年生では理科と社会が得意科目となりました。特に社会は、探究心や好奇心から歴史まんがや人物辞典をひたすら読み、算数で息詰まったときの気晴らしになったほど好きでした。

そして受験を終え振り返ってみると、入試に置いて大きな鍵を握ったのが国語だと感じます。私が四年生のときから力を入れていたことは、漢字テストで毎回百点を取るため練習を怠らないことや、短文日記で語彙力を高め、わからない言葉は辞書で必ず調べふせんを貼ることなどです。さらに、私個人が直接宮本先生にお願いしていた、天声人語の影響力は大きいと思います。天声人語は、大人用の新聞から切り抜き、書いた感想文や要約を先生に添削してもらうことで記述力が高まったと感じています。

五年生になると、新たに理科と社会が加わったうえ、算数の内容も難しくなったので、苦しさを感じていました。しかし、投げ出さずに演習を続けたことで、十月頃になると算数がかなり理解できるようになりました。また、コロナ禍では先生が早めにオンライン授業に切り替え、まめに連絡をくれたため心配はあまりありませんでした。

六年生になると、勉強をしないと気持ち悪くなる感覚が身に付きました。コツコツと努力を重ねていったため、夏前には土台が築けました。夏期講習後半では、実際に過去問演習に取りかかり、自分に相性の良い入試問題の学校が分かりました。九月に突入し志望校に向けた特訓が始まるにあたり、自分が通いたい学校を改めて考えました。そこで私は、なるべく近隣の共学に通いたいと思い都立を併願することにしました。私立と都立との併願は大変でしたが、都立の問題は主に思考力型の傾向にあったので粘り強く考え問題とじっくり向き合えるようになりました。実際に私立の入試においても思考力型の問題は多かったため、都立の勉強は役立ちました。

迎えた入試初日は埼玉県の淑徳与野でした。緊張と興奮が入り混じっていましたが、宮本先生から直前にもらった合格カイロのおかげでリラックスして臨めました。あまり得意ではないと思っていた算数が予想以上にできていたため、自己採点と共に合格の通知はとてもうれしかったです。また、一月にはもう一校都立の適性検査型で埼玉の浦和実業を受けました。問題は難しかったですが、適性検査Ⅰの作文では受験者最高得点をとり特待Aで合格でした。

そして本命の二月一日。緊張はしていましたが達成感や今までの努力に対する自信が大きかったです。午前は国学院久我山CC、午後は武蔵野大学をうけました。国学院久我山のCCは英語に力を入れていたため興味を持ち受験しましたが、高得点が取れ特進クラスのSTにスライド合格でき、武蔵野大学では特待Bで合格を頂きました。

中学受験を終え、私は今楽しい中学校生活を送っています。中学受験での勉強が今の学校生活に直結していると思うと日々の努力の大切さが身に染みて分かります。これから受験を控えている受験生は、勉強が嫌になったり、つい遊んでしまったりすることがあるかもしれません。また、勉強をしているのに偏差値が思うように伸びないことや、苦手な分野、科目を克服できないことも辛いことだと思います。しかし、日々の勉強が自分の人生を決めること、そして真剣に前向きに机に向かう姿勢、勉強は自分の背中を後押ししてくれることを忘れないでください。一日の生活時間の中に勉強の時間をたくさん費やし、効率よく勉強することができれば、おのずと力はついていきます。模試、テスト、入試で高得点を取れたとき、自分の満足する点が取れたとき、偏差値が伸びた瞬間の喜びは、どんなごほうびよりもうれしいものです。

私は、中学受験を通して成長でき、良い経験になったと思います。そして、様々なことを教えて下さった宮本先生に心から感謝しています。
宮本先生、チューターの先生、今まで本当にありがとうございました。


2021年度

Y・Kくんの中学受験体験記

2021年度 桐朋中・国学院久我山中ST・西武文理中A特待 他合格

僕は三年生の終わりごろにアテナに入りました。きっかけは姉が中学受験をしていたことでした。最初は「俺もやってみようかな」程度の気持ちでした。つまり中学受験をなめていたのです。そのせいで塾の月例テストでも、最初は一位が取れていたのに段々と順位を落とし、五位以内に入ることも危うくなってしまいました。金曜日の難関中特訓講座の授業でもわからないこと多く、「難関特訓をやめれば」と親に言われることもしばしばありました。また、六年生のはじめくらいから算数がスランプへと陥ってしまい、問題を解いても解いても成績は落ちるばかり、月例の後はよく泣いていました。すると宮本先生から授業の時、「わからない問題は質問をしに来なさい」と言われました。そしてさっそく質問しに行くと「図を書け!」「式に単位をつけろ!」と言われました。そしてその通りにやるとわからない問題もすぐにわかるようになっていきました。それを続けていくと成績も伸びました。改めて「図を書くことに大切さ」「式に単位をつけることの大切さ」が身に染みてわかりました。

そして過去問演習。第一志望の桐朋中の過去問では、合格と不合格を行き来していました。母に、「受かるとしてもぎりぎりで受かるだろうね」などと言われるほどの出来でした。そして西武文理中の入試の日がやってきました。100%合格できるという自信はあったものの「西武文理に落ちたら中学受験をやめよう」とか「特選特待Aに落ちたら桐朋は無理だな」などと両親から脅されていたせいか、とても緊張していました。しかし受けてみると算数がとても簡単で満点の自信がありました。翌日、発表を見てみると特選特待A合格と書いてありました。ホッとしました。そして、残り3週間、ひたすら過去問演習をやりました。久我山STや東京農大第一中などの過去問もやってみましたがうまくいかず、桐朋は不合格が最後まで続きました。そのため緊急三者面談をして志望校の受験する日の計画を練りました。また、母と桐朋、久我山、農大以外の学校を受けることを考えたり、都立高校がどんなところかなどを話したりしました。僕は「希望の学校に受からなかったら公立中学へ進学しよう」と覚悟を決めました。すると不思議なことにあまり緊張しなくなりました。第一志望入試当日はさすがに『きんちょう』の『き』の字くらいはありましたが、すごく緊張しているというほどではありませんでした。でも、桐朋の校門につくとすごく緊張していることに気が付きました。そこで、先生に電話をして先生から「絶対に大丈夫。自信をもって入試を楽しんできなさい」と言われ、緊張が少しほぐれました。国語はいつも通りうまくいきましたが、算数は全然できませんでした。そのせいでいつもはすごくよくできる社会で、できなかったムードを引きずってしまいました。が、どうにか理科では気持ちを立て直して最後まで説き切ることができました。校門を出たとき「もし万が一今日不合格だったとしても、明日また桐朋を受けに来るぞ」と思いました。午後の久我山STでも算数をしくじってしまい、もう苦しくて泣きそうになってしまいました。もう「恐らく不合格だろう」と思っていたので、発表の10時まで算数をやりました。そして発表。なんと第一志望の桐朋中が「合格」していたのです!お母さんは大変な騒ぎようで、「ギャー」「ヤッター」「嘘じゃないよね?」など叫んでいました。午後に受験した久我山STは不合格だったので、このままでは終われないと思い、第一志望は合格していましたが、翌日久我山一般を受けることにしました。結果は逆スライドでSTに合格!東京農大は二日の午後と四日に受けましたが、不合格でした。しかし農大は過去問との相性がすごく悪かったので納得の不合格でした。

{最後に}
僕はアテナに入ってよかったと思っています宮本先生はすごくいい先生です。ですから宮本先生の言うことをきちんと守りましょう。また、僕のアドバイスを挙げておきます。

・面倒でも必ず図を描く
・計算では必ず単位を付ける
・文字はだれが見ても美しく見えるように心がける
・国語の文章は線を引いて読む
・心の切り替えを速くできるようにする
・努力はうらぎらない

宮本先生チューターの先生、三年間ありがとうございました。中学でも頑張ります。


F・Mくんの中学受験体験記

2021年度 武蔵中・東邦大東邦中・城北埼玉中特待 他合格

僕がアテナに通い始めたのは小4のときの算数パズル教室がきっかけでした。宮本先生の印象がとても良く、授業もとても楽しかったことを今でも鮮明に覚えています。今日は僕からの4科目の勉強のアドバイスを記載したいと思います。納得頂ける点だけでも参考になればと思います。

【国語】
国語の読解問題において僕が最も重要だと考えるのは、答えは全て本文にあるということです。記述の問題で本文から読み取れないことを解答として書いても、それは本文を書いた筆者の考え、もしくは登場人物の心情や問題作成者の考えではありません。このような解答を書いてしまうと点数があまりもらえなくなります。選択式問題も同様で、本文から読み取れないことが書かれている選択肢を選んでも×になるだけです。選択式問題の特訓では東邦大東邦の過去問(国語)をおこなうことがおすすめです。選択式問題も必ず根拠が本文にあります。感覚で解いて正解するというのは、一部の特別な能力を持った受験生でない限り、たまたま正解しているだけだと思います。記述問題は実力アップや長文読解問題集の国語を行い、宮本先生に添削してもらうことをお勧めします。

【算数】
算数では基本的な解法を身に着けることが最優先です。基本が身についているかどうかは、新演習の基本問題で確かめられると思います。また、5年生からおこなわれる確認テストでは、毎回再テストにならないように(できれば満点になるように)授業中も復習の時も集中して頑張ってください。これはかなり重要なことです。なぜなら、4・5年生からの積み上げが6年生の学習・入試に深く関わってくるからです。入試直前になったら何とかなる、といった考えは絶対に持ってはいけません。もちろん、4・5年生のときからガリ勉をしろ、と言っているわけではありません。今のうちから基本的な解法や図の描き方など、身につけておくべきことを、しっかりこつこつと覚えるようにしてください。

【社会】
アテナでは社会の授業が5年生から始まります。社会も算数と同じように5年生から基礎力を高めていくことが大切です。社会科で基礎力を上げるには、知識を身に付けていかなければなりません。その時に役立つのは「ゴロ合わせ社会」です。僕は「ゴロ合わせ社会」で「泣くよ感動平安京」や「人は串刺し、交互に縛るよ」といったゴロ合わせがお気に入りでした。また、友達が「吐くよ、道真、遣唐使」と言っていたのも記憶に残っています。入試合格のためにも「ゴロ合わせ社会」を使って勉強することをお勧めします。話は戻り、社会科の基礎力についてです。社会科の問題では近年、記述形式の問題が多く出題されていますが、そのときに基礎知識がなければ記述問題ではまったく得点できないと思います。

【理科】
アテナでは社会と同じく理科も5年生から始まります。理科についてですが、暗記系は社会科と同じように「ゴロ合わせ社会」の姉妹書の「ゴロ合わせ理科」を駆使して、学習に役立てることをお勧めします。また、理科の学習で社会科と大きく異なる点は計算問題が出る点です。ですが、この点に関しては宮本先生の解き方をまねして攻略していけば大丈夫だと思います。また、算数と同じように確認テストで再テストにならないように復習をしっかり行って下さい。

最後に過去問と解き直しについて記載します。

【過去問】
過去問ですが、偏差値に関係なく相性が重要です。実際、偏差値的には安全校であったものの、過去問との相性が悪かった学校や、偏差値的には安全校ではなかったものの相性が良かった学校が僕にもありました。その結果、相性の悪かった学校の対策にかなりの時間を費やすこととなりました。相性は受験校選びに非常に重要です。

【解き直し】
解き直しは、本当のケアレスミスを除いて、2回、3回と繰り返すことが重要です。なお、科目を問わず、漢字の間違いはケアレスミスではなく定着不足だと思います。間違えたり解けなかったりした算数や理科(特に計算問題)の問題を1回の解き直しで身に着けることは不可能だと思いますので、繰り返し解き直すことが重要です。ただし、捨て問に時間をかけることは時間がもったいないですので、本当に解き直す必要があるかは、宮本先生に相談してください。

これから入試を迎える皆さん、頑張ってください。努力をして志望校合格を目指してください。


H・Mさんの中学受験体験記

2021年度 富士見中・恵泉中・西武文理中選抜 他合格

私はアテナ進学ゼミに通い、宮本先生の授業を受けて、中学受験で大切なことを学びました。ひとつ目は算数や理科で、絶対に図を書くことです。小学4年生のときには「そんなに重要なのかな」と思い、半信半疑でした。5年生になると図を書いた方が解きやすい問題や、図を書かないと解けない問題をやり、図を書くことの大切さを知りました。

ふたつ目は式に単位をつけることです。式に単位をつけないと何を求めているのかがわからなくなって途中で問題を解く手が止まってしまうことが多いのですが、式に単位をつけるとそうしたことがなくなり、最後まで問題を解き切ることができるようになります。

みっつ目は宮本先生に分からない問題を質問にいくことです。私は最初、あまり質問にいきませんでした。ずっと悩んだり、わからないままにしたりして放置していました。でもそれではだめだと思い、質問にいくと、わからない問題をすぐに解決することができるようになりました。もっと早くから質問をするようにしていれば、きっと成績も伸びていたと思います。

よっつ目は宮本先生から与えられた課題をきちんとやることです。私は5年生の社会の宿題のプリントをさぼったりしたため、月例テストの社会の点数は20点(満点は50点)などと、ひどい点数をとっていました。6年生の夏休みになり、さすがにこのままではやばいと思い、コンプリなどの問題集をやりました。すると月例テストで平均点以上の点数を取れるようになりました。5年生のときからもっと社会をやっておけば良かったと後悔しています。

アテナに通っている人に伝えたいことをまとめるとこうです。

1・図を書くこと
2・式に単位をつけること
3・分からない問題は質問にいくこと
4・宮本先生に言われたことは必ずやること

私はアテナに通うことができ、そしてアテナで中学受験をすることができ、良かったと思っています。宮本先生はいつでも丁寧に、細かく教えてくださいました。叱られることや、悔しい思いをしたこともありましたが、本当にアテナに通い、アテナで中学受験をすることができてよかったです。

宮本先生、チューターの先生、家族、一緒に学んだ友達のみんなに感謝の気持でいっぱいです。ほんとうにありがとうございました。


K・Tくんの中学受験体験記

2021年度 芝中・東京都市大中Ⅱ類特待・巣鴨中・立教新座中・東邦大東邦中 他合格)

僕は小3の2月にアテナに入りました。最初は成績もよかったのですが、小4の月例テストの3回目くらいから国語の成績が下がっていました。しかしそのまま放置していたので、小5になっても国語が足を引っ張っていました。小5の終わり、先生が「個別に添削するから、国語の実力アップ問題集をやっていこう」と言ってくれたので、「5年の上」から取り組みました。記述は先生がすべて採点し、都度アドバイスをしてくれました。はじめは説明不足の記述になってしまいがちでしたが、小6の前半あたりから段々と記述が書けるようになりました。

そうしているうちに、今度は算数の成績が下がっていくようになりました。僕の第一志望校は算数で差がつきます。いまのままでは太刀打ちできません。なんとかしようと取り組んだのは「中学への算数(東京出版)」です。分からないところはすべて先生に質問しました。結果、算数の難問で粘れるようになりました。

僕は併願校の対策にも力を入れました。特に第二志望校の理科は難しく、過去問演習ではいつも半分以下しか点数が取れませんでした。そこで宮本先生からアドバイスを受け「実力アップ問題集」の発展問題をやるようにしました。すると理科で点が取れるようになり、2月4日の入試本番では解答欄を全て埋めることが出来ました。

最後に社会についてです。僕は社会を得意科目にしており、月例テストで満点を取ったことが何回もありました。しかし志望校の社会では記述の配点が高いため、過去問演習では思ったよりも点数が伸びませんでした。そこで過去問の記述問題を意識して取り組み、採点は全て先生にお願いしました。その結果、記述に不安がなくなりました。

ここからは受験に向けて頑張るアテナの後輩達に、絶対に取り組んで欲しいことを伝えたいと思います。

①国語は音読すべし
僕は最初、音読をせずに授業を受けていました。しかし先生からそのことを見抜かれ「音読したか」と突っ込まれ、僕は顔が真っ青になりました。音読は問題を解く上で読み飛ばし防止となるものです。絶対にしましょう。

②算数は先生から習った通りに解くこと
「まるいち算」はとても応用範囲が広く、僕はほとんどの文章題を「まるいち算」で解きました。先生が教えてくださった解き方は色々な問題で応用することができます。必ずマスターしましょう。

③理科の化学の問題は、化学反応式を書いて解くこと
僕は化学の問題が大好きで、毎授業時におこなわれる理科の確認テストは常に合格点を取ることができました。その理由は「化学反応式を書いたことにある」と思います。まれに時間が無くて書かないこともありましたが,後になると「書いておけばよかった…」と後悔することになったので、みなさんは必ず書くようにしてください。

④先生を信用し、言うことには必ず従うこと
先生は問題の解き方だけではなく、今後の人生において必要なことも教えてくれます。先生の言うことには必ず従いましょう。

僕は残念ながら第一志望校には届きませんでしたが、第二志望である芝中には難関の2回目入試で合格することができました。これも先生のおかげだと思っています。中学校に行っても先生が教えてくださったことを武器に、頑張っていきたいと思います。

宮本先生、今まで本当にありがとうございました。


I・Sさんの中学受験体験記

2021年度 富士見中・山脇学園中・西武文理中選抜 他合格

私は小学三年生の終わりころからアテナに通い始めました。兄二人も通ってたので、自分も通うんだろうなあと思っていました。アテナでは友達もできて、先生は面白く楽しく過ごしていました。が、その頃の私はあまり勉強が好きではなく、苦手な算数はほったらかしにしていたままでした。

五年生になると社会と理科が入ってきて、社会の授業は面白く、とても楽しく受けることができました。理科は暗記がどうしてもできず、家ではゴロ理科でお母さんとクイズを出し合ったりして、頑張って暗記していました。

そして六年生の夏休み、初めて第一志望の富士見の過去問をやりました。結果は合格最低点マイナス43点でした。先生が「算数は伸びている。国語はもっとスピーディーに解けるようにしよう!」とアドバイスをくれました。その頃の私は特に危機感も持たず、マイペースでいました。

家で過去問をやると、(合格最低点より)プラスの点数が取れるようになり、気が緩むようになってしまいました。そのため銚子を落としてマイナスが続き、悪い時にはマイナス35点(!)もとってしまいました。私は気持ちを入れ替えて勉強に励みました。するとその後は一回もマイナスをとらなくなりました。

宮本先生から「富士見の算数1教科も受けてみたら?」と勧められたので過去問をやってみると余裕でプラスでした。

一月の一週間くらいは宮本先生に勧められた吉祥女子の過去問をやりました。「難しい学校をやると富士見が簡単に思える」作戦だそうです。1月30日は最後の富士見の過去問をやり、プラス43点という過去最高点をとることができました。先生には「いやー、取れすぎ。吉祥女子受けたら?」と冗談で言われたくらいでした。かなり安心でき自信も持てました。

そして本番。富士見は落ち着いていつも通り受けることができ、心の中では「受かった」と思っていました。午後は第二志望校の山脇学園を算数1教科で受けました。最後の問題は難しかったのですが、「自分が難しいと感じた問題は周りもそう感じている!」という先生の言葉を思い出し、頑張って解きました。結果、どちらも合格することができました。とても嬉しかったです。四月からの富士見での学校生活が楽しみです。

最後に、宮本先生、三年間本当にありがとうございました。


S・Aさんの中学受験体験記

2021年度 三輪田中・西武文理中選抜 他合格

わたしがアテナに入ったのは4年生の末のことです。最初は大手の塾に通っていたのですが、成績が今一つ伸びず、お母さんが探してきてくれました。最初の保護者会や授業はとても熱がこもっていて、おどろきましたが、授業がとってもおもしろく、楽しかったので、この塾に通うことにしました。

しかし月例テストの結果は全体的に成績が悪く、特に国語などは偏差値が30程度でした。また算数は計算ミスが多く、いい点数が取れませんでした。それでも国語の実力アップ問題集をやり、宮本先生に添削してもらうことによって、国語の成績が少しずつ上がっていきました。また算数は計算日記を毎日やることを決め、テキストの基本問題を復習することで、算数の成績も少しずつ上がっていきました。たまに成績優秀ランキング表に載ることができるようになりました。とてもうれしかったです。

私はわからない問題をあまり質問に行かなかったのですが、宮本先生に質問すればすっきりと理解することができたので、もっと早くから質問に行くようにしておけば良かったと反省しています。そうすれば算数はもっと伸びたかなと思います。

5年生になると、国算に加え理社も加わります。社会は「ゴロあわせ社会」を活用しながらやっていたので、結構成績は良かったですが、理科は、計算問題が難しく苦手とするようになってしまい、そのまま克服することなく6年生まで続いてしまいました。

6年生の2学期に入ると毎回過去問をやるようになりました。最初は富士見中学校をやりました。合格最低点に比べて、とてもマイナスが大きかったのですが、過去問の復習をしているうちに、だんだんマイナスが小さくなっていきました。そしていよいよ入試1か月切りました。そこで私は第一志望だった三輪田学園の過去問を始めました。

先生にはこの学校は余裕だと言われていましたが、あまり結果がよくなく、落ち込む日々が続きました。しかし、三輪田学園に絶対受かりたかったので、あきらめず、分からない問題を宮本先生やチューターの先生に質問することにより、最終的には合格最低点+60位まであがり、合格最高点を上回ることもできました。また三輪田学園と傾向が似ているという恵泉女学園の過去問も最初は+3程度でしたが、苦手な分野をコンプリーションなどで徹底的に復習することにより、最後は+30まで上げることができました。

そして迎えた2月本番。第一志望の三輪田学園の受験です。やるだけやったと合格する自信があったので、リラックスして入試に臨むことができました。結果は、合格!とてもうれしかったです。

私がアテナに通い、大事だと思ったことは、次の3つです。

1.図・式・単位をしっかり書くこと。
2.わからない問題は、先生にすぐ聞くこと。
3.最後まであきらめないこと。

宮本先生、チューターの先生、今まで本当にありがとうございました!


W・Rくんの中学受験体験記

2021年度 成城中・西武文理中選抜 他合格

僕は、小学3年生の2月からアテナに入りました。最初は月例テストの点数がひどく、塾に行くのもためらっていました。さらに僕は私立の学校に通っていたため、内部進学を選択する人がほとんどだったので、友達はみんな遊んでいるのにもかかわらず、自分だけ塾に通わなければならなかったので辛い気持ちが強かったです。でも、アテナの友達もみんな目標に向かって努力しているのを見て、僕も頑張ろうと思えました。

それでも月例テストではなかなか「成績優秀者一覧」に名前がのることはほとんどありませんでした。そのまま5年生に突入して、第1回の月例テストで、初めて「成績優秀者一覧」に名前がのりました。そして調子に乗って少し勉強をさぼったら、すぐに成績は落ち、確認テストでは再テストの嵐に見舞われました。そして塾の宿題をやるので精一杯だったので、テストの予習もできませんでした。

ところが、6年生になると少し成績が上がり、夏ぐらいにだいぶ良くなりました。しかし12月の最後の月例テストでも、四谷大塚のテストでも全て第一志望の成城中には程遠い成績でした。最後の1月に入ると僕は少し焦りましたが、宮本先生からの指示を受け、自分の苦手な理科では実力アップ問題集を使って知識を身につけ、国語であれば同じく実力アップの問題を毎日一題ずつ必ず解くようにしました。ラスト一ヶ月でようやく読解力がついてきたように思いました。計算のケアレスミスは毎朝2題だけ、時間をセットして解くのが効果的でした。それをやったおかげで、本番でも計算問題を速く的確に解くことができました。粘り強く最後まであきらめずに頑張ったことで、僕は第一志望の成城中に合格することができました。

宮本先生の言うことを素直に聞いて実行すれば、たとえ模試での偏差値が上がらなくても志望校に合格する確率は高くなるのだなあと思いました。それから睡眠は本当に大事にしてください。本番中に眠いと集中力がもたないので、それだけは気をつけてください。最後は過去問との相性と直感が重要だと思います。必ず志望校に合格できると信じて、受験生の皆さん頑張ってください。

今まで3年間アテナに通うことができて本当に良かったです。宮本先生、ありがとうございました。


U・Kさんの中学受験体験記

2021年度 三輪田中・跡見学園女子・十文字女子・宮崎日大 他合格

私は、五年生の二月にアテナ進学ゼミに転塾しました。もともと、私は栄光ゼミナールという塾に入っていましたが、苦手科目である算数の授業のペースについていけませんでした。家に帰っても、宿題をこなすことで精いっぱいで、その日習ったことの復習は、あまりできていませんでした。その影響で、月例テストでは算数が足をひっぱり、いくら得意科目である国語の点数がよくて、他の科目もそこそこできたとしてもなかなか偏差値が上がりませんでした。そんなある日、母の知り合いがアテナを勧めてくれたので、ためしに体験授業を受けることになりました。いざ授業を受けてみると、算数の解説がとても分かりやすくて、前の塾よりいいかも、と思いました。そしてアテナに入ることを決意し、転塾が決まりました。

アテナの授業では毎回、一行問題チェックテストという小テストを行います。私は一行問題チェックテストの点があまりよくなかったので、毎週、塾のない木曜日に自習室に行き、分からない問題を何問か質問することを日課にしていました。すると、今までできなかった算数の問題が、少しずつ解けるようになりました。

やがて、六年生の二学期になると過去問演習が始まりました。私の第一志望である三輪田学園の結果はマイナス五十台。先生は「マイナス六〇までの範囲なら合格できる可能性はまだ残されている。頑張ろう」と言っていたので、何とか合格ラインに入ることができたと安心していました。しかし十一月に入ると、先生は「この時期になってくるとマイナス三〇以下だときびしい」と言っていました。私はその時やっていた三輪田の結果がマイナス三十三点くらいだったので、不合格ゾーンに入ってしまっていました。その日、先生との個人面談で、「三輪田は今のままだと厳しいから、算数を頑張って何とか伸ばしていこう」と言われました。そこから私は、今まで以上に、努力するようになりました。ですがその後も不合格ばかり。やっと合格最低点をクリアしたのは入試の三週間前くらいでした。しかも第一志望の三輪田で初めてのプラス。その後の過去問ではマイナスよりプラスの方が多くとれるようになりました。宮本先生からも「ずいぶん伸びてきたね。算数もかなりできるようになってきたからきっと大丈夫だよ」と言われ、自信をもって入試に臨むことができました。そして、晴れて第一志望の三輪田に合格することができました。

これから受験へ挑む皆さん。宮本先生に言われたことは、きちんと実行に移しましょう。例えば、図をきちんと書いたり、式をきちんと書いたり。そして、努力は絶対に裏切らないので、一生懸命努力してください。これから先、苦しいことがあってもそこから逃げずに合格目指して頑張ってください!


U・Hくんの中学受験体験記

2021年度 中央大学附属中・立教新座中 他合格

ぼくは努力がきらいでした。運動や人間関係でも努力がきらいでした。

そんなぼくがアテナに入ったのは、小学四年生の2月ごろでした。入った時期が小学五年生の初めだったということもあり、覚えなければいけないことがたくさんありました。けれど、ぼくは内心大丈夫とでも思っていたのでしょう。チェックテストは再テストが当たり前、月例テストもランキングにのったら良い方だという認識でした。この甘い認識のせいで、五年生の一年間の成績は悪い方へどんどん下がっていきました。

六年になってからは、やる気がでたりでなかったりのくり返しでした。五年生よりかは再テストも減り、月例テストの成績は良くなっていたものの、まだまだという感じでした。特に算数がダメでした。月例テストの算数の成績がなかなか上がりませんでした。

そして、6年生の二学期になり、過去問が始まりました。第一志望の中央大付属中は国語の文章が特別長く、読解に時間がかかりました。先生はマイナス60点以内なら希望があるといってくれました。結果はマイナス44点。初めてにしては良い結果で安心しました。その後もやる気が出たり出なかったりと、もやもやしているうちに、受験まであと一ヵ月というところまできました。学校を休み、毎日アテナへ行き、過去問ややる課題をやりました。そうして向かえた1月25日の立教新座中。やってみたら過去問より簡単だなぁと思いつつ、真剣に問題に取り組み、自信満々で家に帰りました。結果は合格。このことを先生に報告しました。喜んでくれるものとばかり思っていましたが宮本先生からは「第二志望が受かったからといって油断してはいけないぞ」と言われ、少しだけ浮かれていた僕は「確かにその通りだ!」と思い、気持ちを引き締め直しました。そして訪れた2月1日第一志望の中央大学付属中。立教新座中と同じく手ごたえがあり、そして合格。すごくうれしかったです。

ぼくは、宮本先生からの教えを受けなかったら合格できなかったろうと思います。先生が授業で教えてくれた問題の解き方、授業外で教えてくれた人間としてのマナー、気持ちを高める方法などなど…全て忘れられません。

今アテナへ通っている人へ宮本先生の言うとおりに努力すれば必ず結果はでます。先生のことを信じて受験がんばってください。

宮本先生、2年間いろいろ迷惑をかけましたが、ありがとうございました!


M・Rさんの中学受験体験記

2021年度 富士見中・晃華学園中・武蔵野大中・西武文理中選抜 他合格

私は三年生の2月から塾に通いました。きっかけは三年の12月ごろ、親から中学受験のことを教えてもらい、興味を持ったので塾の体験や見学に行きました。行ってみた中で一番印象に残ったのがアテナでした。ソーマキューブを使った体験授業を受けて、ここなら楽しく勉強できそうだなと思ったのでアテナに通うことを決めました。塾に通い始めて最初のころは、成績はあまりよくなくて、成績優秀者ランキング表に載ることが全くありませんでした。その原因を分析してみて、自分は宮本先生に言われたことをきちんとやれていない、と気付きました。

そこで考えたのが家族でカレンダーを共有して、課題の内容とスケジュールを細かくカレンダーに書き込んで、終わったらチェックを入れるという方法です。そうすることで、やり忘れていることが大分なくなりました。きちんとていねいに課題をすることで段々と成績がアップしていったのです。他に夏休みに算数の練習問題の2回目もやっていきました。地道に問題の数をこなしたことがよかったのか、夏休み明けの月例テストでは国語、算数、総合のすべてで偏差値60をこえました。このときに頑張りが結果につながることがわかり自信にもなり、先生にも3年間のアテナの記憶の中で一番褒められました。この経験が受験勉強を続ける意欲にもなりました。

六年生になり志望校をしぼる時期にさしかかりました。私は富士見中学校と晃華学園を特に気に入っていて一校に絞ることができなかったので、両方第一志望として受験することにしました。受験のスケジュールをよく考え先生に相談して作戦を決めました。初日は晃華学園と武蔵野大附属中受験し両方合格できました。二日目はレベルの高い学校だったので一度はあきらめていた吉祥女子に悔いの残らないようにチャレンジすることにしました。午後は得意だった算数で勝負することにし、富士見の算数一教科入試を受けることにしました。結果は残念ながら二校とも不合格でした。三日目の富士見の試験は難しいことが予想されていましたが「絶対に合格するんだ」という強い気持ちをもって三日目に臨みました。試験終了時にはあまり手ごたえがなかったこともあって、不合格だと思い前日、富士見を受験する代りに吉祥女子を受けたことを後悔しました。不合格を覚悟して、合格発表をみましたが、なんと結果は合格でした。心臓が一瞬止まりました。何度も受験番号と合格番号を見比べました。結果的には晃華学園も富士見中学も合格できました。吉祥女子にチャレンジできたので悔いの残らない中学受験ができたと思います。


2020年度

R・Hさんの中学受験体験記

2020年度 武蔵野大中・東京農大一中・西武文理中 他合格

2月4日「東京農大一中」3日目。
私の最後の受験日。しかし、緊張は感じませんでした。

この時、第三志望校の三田国際中が不合格。第一志望校の武蔵野大学中も、合格はしましたが目標の「特待」をとることはできませんでした。そんな中、志望校の中で一番偏差値が高い東京農大一中を受けるのに、なぜ緊張を感じなかったのか。それは私が自分の実力をよく知っていたからだと思います。

私は3年生の秋から受験を始めました。当初、サピックスという塾にはいっていましたが、苦手な算数の授業についていけませんでした。また家に帰っても宿題をこなすことで精一杯。授業の復習もまったくできませんでした。それが反映され、成績も算数が足を引っぱり、どんどん落ちていきました。得意な国語との偏差値の差は20以上。このままではさすがにマズいということになり、家族と相談した結果、5年生の秋に転塾を決めました。

「アテナ進学ゼミ」を勧めてくれたのは母でした。最初はあまり乗り気ではありませんでしたが、いざ、体験授業に参加してみると質問が気軽にできる環境で、苦手な算数の授業もとてもわかりやすかったので、入塾することに決めました。
算数の成績を上げるためにアテナに入ったようなものですが、思うように成績は上がりませんでした。なぜなら、問題の解き直しをきちんとしていなかったからです。そのせいで、凡ミスがものすごく多く、取れるであろうはずの問題が、もったいないミスで取れないということが多くありました。しかし、『解き直しをしない』。この大きな欠点が分かっていてもなお、私は解き直しの重要性に気づきませんでした。今思えば、解き直しが面倒だったり、なにより『解き直しをしなくても点数はとれる』という大きな過信があったからだと思います。特に行きたいという学校があるわけでもなく目標もありませんでした。気持ちですでに負けていたのだと思います。

そんな中、武蔵野大学中学校の見学に行きました。説明会で校長先生の話を聞いて、「海外で活躍する人材を育てる」「生徒と教師で学校を作っていく」というところに特に感銘を受け、この学校に入りたい!と強く思いました。その後も何度か見学をし、入りたいという気持ちはより強くなっていきました。もちろん、他にも良さそうな学校はいくつかありましたが私の中では武蔵野大学中が第一志望となっていました。
しかし、最初は、第一志望校と考えているのは私だけで、両親は、ちがう学校を第一志望にしたいと考えていたようです。「もうちょっと上の学校を目指してほしい」「第一志望校が合格圏内の学校だと、勉強に対してのやる気が出ないんじゃない?」「別に第一志望にしなくても…」と両親に言われました。しかし、私はどうしてもここを本命校にしたいと考えていたので、武蔵野大学中の特待を目指してがんばるという事で話がまとまりました。武蔵野大学中は最近人気が上がっており、去年、吉祥女子中学に受かった先輩でも武蔵野大学中を受けたところ特待Bだった、という事だったので、特待は私の中で結構ハードルが高いものでした。最低でも一教科の点数、90点以上を目指さなければならない。この事実に私の緊張感は一気に高まりました。
一つの問題も落とさないという気持ちでいかないと90点以上はとれません。特に解ける問題、簡単な問題というのは絶対に落とせない。「特待を目指す」と言う事は、自然と私の弱点の一つ、「解き直しをしない」ということを直すきっかけになりました。解き直しをするようにするとだんだんと計算ミスや、凡ミスが減っていき、本当に解き方が分からないところや、苦手なところが見えてくるようになりました。

第一志望の武蔵野大学中は2科受験だったので、過去問で点数が良かった算数と社会で受けることにしました。なんと苦手な算数が、過去問を解いた中で1番点数が良かったのです。この時はまだ「算数苦手意識」が残っており、大丈夫かなあ、とちょっと不安になりましたが、それと同時に点数となって私の努力があらわれたとうれしくなりました。社会は歴史が好きで得意でしたが、公民が苦手でした。なので、ゴロ社会とテキストを読みこみました。社会はとにかく暗記の分野。私はみんなが1聞いて覚えることを10聞いてやっと覚える子だったので特に大変でした。とにかく書いて覚えました。

そしてむかえた2月1日。緊張はありましたが、午前も午後も悔いなく全力を出し切ることができました。結果は午前受けた三田国際中が不合格。それでも2日にリベンジ、と気持ちを奮い立たせて試験に挑みました。結果やっぱり不合格。また、第一志望の武蔵野大学中の特待も最後までとることができず、とても落ちこみました。それでもくじけなかったのは、私が自分の努力を信じよう、という気になったからだと思います。
次の日の2月3日は試験が何もなかったので、ひたすら4日に受ける第二志望校の東京農大一中の対策をやりました。

そして2月4日。私は真っさらな気持ちで受けることができました。落ちたらどうしよう、緊張するなあ、などという邪念がありませんでした。とにかく全力を出し切ろう、とそれだけしかありませんでした。試験が終わった後も、なんだかスッキリしていました。そして合格発表。19:00に発表がありました。母とおそるおそるスマートフォンを見てみると、「合格です。おめでとうございます。」と画面に書かれてありました。その瞬間、ああ、終わったなあ、という思いが心を満たしました。受かった時最初に感じたのは「うれしい」よりも「安堵」でした。

こうして私の中学受験は幕を閉じました。私が最後の最後に合格できたのは、自分の苦手と向き合い、過信を改めて努力したことに自信を持っていたからだと思います。

最後になりましたが宮本先生。ずっと算数が苦手だった私を見捨てずに、毎回ていねいに質問に答えてくださり本当にありがとうございました。中学でも、先生に教わったことを糧にしてがんばります。そして今、中学受験をがんばっているみなさん。「過信」を「自信」に変えてがんばってください。


R・Mさんの中学受験体験記

2020年度 晃華学園中・光塩女子学院中・大妻中野中・西武文理中 他合格

私は、4年生の春にアテナに入りました。アテナに入ったのは、私の知り合いに「宮本先生という面白い先生がいる」と聞き、体験授業に行ったことがきっかけです。そこで学校の先生の何百倍も面白く、分かりやすい授業に衝撃を受け、他の塾は見ずに入塾を決めました。

4年生の時の月例テストでは、偏差値55以上をとっていたのですが5年生になってからは成績は下り坂。宮本先生が作ってくださっていた確認テストでは、たいてい再テスト。母にもいつも叱られていました。しかし、私はまったく焦りませんでした。元々あまり焦らない性格だったのもありますが、「自分は、第一希望が高くないから大丈夫」という考えでいました。

そして、6年生2学期の過去問演習が始まりました。私の第一希望である晃華学園の一番最初の結果はマイナス69。先生には「頑張ればいける」と言われました。しかし私はもう少しできるていると思っていたので、ここで大きなショックを受けました。それからは気合を入れ直し、もともと苦手だった算数については毎日計算問題集をやり、理社は先生に出してもらった課題をこなす日々を送りました。するとひどかった成績は少しずつましになっていきました。

しかし過去問ではなかなか合格点に達しません。過去問との相性が悪かったのでしょうか?先生にも「なかなか厳しい状況だね」と言われました。第二希望の光塩の過去問では、何度か合格が取れていたので自信があったのですが、なぜか晃華になるといつも不合格。少しずつ自信を失っていきました。

そんな中迎えた西武文理の受験。これまで2回過去問をおこなっていていつも合格ラインぎりぎりでした。入試の時もいつもと同じくらいの手ごたえでした。結果は一般クラスでの合格。私は特選クラスを受験しましたが、スライドして一般になりました。私はスライドしたもののその結果に満足していましたが、先生からは「一般合格で満足するな。第一志望はもっと上の学校だぞ!」と気合を入れられました。そこから私の1月の猛勉強がスタートしました。インフルエンザなども怖かったので学校をお休みして、朝一番にアテナに行き、8時間勉強し、夕方に自宅に帰る。そんな毎日を送りました。

そうしていよいよ2月1日がやってきました。入試本番では、私は思ったよりも緊張せずに、まるで模試を受けに行く感覚で入試に臨みました。私はここまでで晃華の過去問で3回しか合格ラインをクリアしていませんでした。入試での手ごたえは、いつもと同じくらいでしたので、受かったとは思っていませんでした。2月1日は確実に合格を取るように宮本先生から言われていたので、私は午後に大妻中野を受けました。大妻中野は、過去問演習で何度も合格点にしていたので自信があり、午前中よりさらに余裕を持つことができました。そして夜の合格発表。結果はなんと両方合格。とてもうれしく信じられなかったです。第1志望の晃華には受かりましたが、出願していたので2日目の光塩も受けました。面接もあり、緊張しましたがこちらも合格して良かったです。

最後に、これから受験へ挑む皆さんに私が大切だと考えることが2つあります。一つ目は、宮本先生の言うことはしっかり聞き実行する。例えば、図を描くや式に単位をつける。など普段宮本先生が授業中におっしゃっていることです。二つ目は、自分の行きたいと思った志望校を絶対に諦めず、最後までその志望校を目指す。この2つが一番大切だったと思うことです。

それでは皆さん、これからたくさんのつらいことがあるかもしれないけれど、合格目指して頑張ってください!


M・Mさんの中学受験体験記

2020年度 浦和明の星女子中・晃華学園中 他合格

私がアテナ進学ゼミに通い始めたのは兄の同級生が「すごく楽しい塾だよ」と言っていたのがきっかけでした。入塾した当時、私は3年生でしたが、英語・ピアノ・水泳と様々な習い事をしていました。でも、その中でもアテナの授業、宿題をしている時が一番楽しかったのを覚えています。当時は受験についてよく知らなかったため、まるで遊びに行くような感覚で塾に行き、月例テストもアテナ内での順位に一喜一憂していました。勉強もそこまでしていなかったので成績は良くありませんでした。5年生になり、人数も増え段々と受験勉強の大変さに気付き始めました。新しく入ってきたクラスの頭のいい子たちに追い越され、授業もついていけず、今まで楽しかった授業や勉強がつらくなっていきました。いやいや勉強して成績がいいはずもなく、首都圏模試の偏差値は50後半から60前半ほどでした。兄も高校受験を控えていてダブル受験でしたが、兄は中学1年生の時から成績が良く、母はよく成績が悪い私と比べていました。でもあるとき、クラスのみんなが間違えていた確認テストで満点を取りました。エレベーターの前で待つ母に、宮本先生が花丸をつけてくれた確認テストをひらひらさせながら見せ、「満点だったよ」と報告したときのうれしさは今でも忘れられません。それから私は変わったと思います。確認テストの前には必ず範囲の問題を何度も解き、満点でなかったときは家に帰って泣きながら悔しがりました。

6年生になり、早稲田実業を第一志望校としました。受験まで残り二ヶ月を切った頃には、いままでにないくらい勉強したと思います。勉強時は常に早稲田実業のパンフレットを隣に置き、疲れたときはそれを見てやる気を奮い立たせていました。最後の首都圏模試では偏差値二科目77、四科目76と、70を超えることが普通になっていました。しかし残念ながら結果は、不合格。第二志望の浦和明の星女子中学校に進学することになりました。浦和明の星女子は宮本先生がすすめてくれたことがきっかけだったのですが、両親が説明会に行っただけで私自身は受験時に初めて明の星に行きました。

第一志望の早稲田実業に落ちたときはショックも大きかったのですが、今はこの結果にとても満足しています。入学して、新しい友達ができて、毎日が信じられないくらい楽しいからです。結局は、ご縁のある学校に行くのだと思います。

今私が言えることは、受験は第一志望に受かることが全てではないということ。でも、それは努力をしなくてよいというわけではありません。第一志望に受かろうと努力することが大切だと思うのです。受験生の皆さん、今は苦しくても、受験を終えて今までを振り返ったとき努力してよかったと思える日が、努力を続ける限り必ず来ます。その日を信じて頑張ってください。宮本先生はとてもいい先生です。あんなにも生徒一人一人を考えて指導してくださる先生はいないと思います。先生への最大の恩返しは自らが努力をして勝ち取った学校生活を心から楽しむことだと思うので、皆さんも宮本先生に恩返しができるよう、日々努力を積んでください。私はアテナでよかったです。今の学校が楽しいと思えるのはアテナの、宮本先生のおかげです。今までありがとうございました。


W・Kさんの中学受験体験記

2020年度 学芸大国際中・恵泉女学園中・富士見中 他合格

私は中学受験を通して、たくさんのことを学ぶことができました。特に大切なことを三つ挙げたいと思います。

一つ目は、「努力することの大切さ」です。私は最初、算数の図形問題が苦手でした。宮本先生から「図を書く」ことの大切さを学び、ペンを使って色を分けることに注意しながら、ノートに大きく図を何度も書く訓練をしました。するとその努力量に比例して、図形問題がだんだんと苦手ではなくなり、むしろ得意分野になっていきました。

二つ目は、「あきらめないことの大切さ」です。宮本先生は最終授業の時に、「終わりの合図が鳴るまで、ペンを置いてはいけない」とアドバイスをくれました。私は第一志望の学芸大国際中の入試の時、一字でも多く書こうと、合図が鳴るまであきらめませんでした。そのことが合格につながったのだと思っています。入試やテストのときだけでなく、家庭学習の時にも、1日1分1秒を大切にして、最後まであきらめない姿勢を身につけてください。

三つめは「常にポジティブに考える」ということです。例えば間違えた問題があったときに、落ち込むだけではなく、次は絶対に間違えないぞと考え、間違えた問題をしっかりと復習して欲しいと思います。「間違えた問題がある」ということは「まだ自分には伸びていく余地が残されている」と捉え、どんな時でもポジティブに考えることが大切だと思います。

今後過去問で合格最低点に手が届かなかったり、宮本先生に叱られたり、苦しいことがあると思いますが、自分を信じて、宮本先生を信じて、頑張ってください。宮本先生、チューターの先生、先輩、そして一緒に学んだ仲間、家族、本当にありがとうございました。


2019年度

M・Yさんの中学受験体験記

2019年度 富士見中・山脇学園中・国府台女子中・大妻中野中特待・西武文理中特待 他合格

私は、小学校三年生の終わり頃からアテナに通い始めました。
今は、文系で算数の全くできない私ですが、四年生の一年間私は算数が超得意でした。月例テストでもだいたい上位に入っていました。ですが、調子に乗ったため五年生の時に、成績はガタ落ち。皆に抜かれていきました。月例や首都模試でランキングに乗れない時さえ出てきました。普通ならば緊張感を持つはずなのにマイペースな私はいつも通り。おそらく「なんとかなる」とずっと思っていたのだと思います。私はチェックテストでも常に再テスト組にいました。再テストになって先生に怒られるのが嫌だった私は再テストにならない方法をお母さんと考えました。考えた結果その日の授業でやった類題をチェックテストの前の日にもう一度やるというものでした。やってみると見事に再テストの回数が減っていき、先生にほめられることも多くなっていきました。

私は、月例や首都圏模試で私なりの目標をたててテストに挑むことにしました。それは「前に受けた時の偏差値より上を狙う」というものです。月例テストではうまくいかなかったですが、首都圏模試ではぐんぐん偏差値が上がっていきました。
その他に私が取り組んだことは苦手なところをつぶしていくということです。私の嫌いな科目は算数(全部)、理科(全部)、国語(慣用句、ことわざ、説明文)、社会(公民)でした。絶望的な苦手の多さです。でも頑張っているうちに「国語の説明文」「社会の公民」「理科の生物」「算数の速さ」などは少しずつ得意になっていきました。

そして、ついに六年生の二学期に過去問が始まりました。私の第一志望の吉祥女子は理科が絶望的に難しかったのです。しかしラッキーなことに、社会はだいたい私の得意分野の「歴史」で、国語は漢字以外の語句は出ませんでした。国語は文章が長かったのですが、本好きの私にはそれが逆に魅力的でした。そして吉祥女子の過去問を初めてやる日がきました。でもアテナで吉祥女子を共に受験するのは、私にとっては雲の上の存在の二人。私にはとうていかないません。先生はマイナス60点なら巻き返せると言ってくれましたが、マイナス100点くらいは余裕でいきそうで怖かった。結果はマイナス75点。微妙なラインです。一人ずつ先生に呼び出される時、絶対怒られると思っていたけど、先生は初めてにしては悪くない、と上機嫌で言ってくださいました。その後の過去問では上がったり下がったりでしたが、全体的には少しずつ合格最低ラインに近づいていき、最低点を越えることも出てきました。

そうこうしているうちに月日が流れ、とうとう1月に突入してしまいました。私は1月10日に西武文理、1月21日に国府台を受けました。西武文理の前日、私は西武文理の過去問をやりました。結果はマイナス85点。私は何も考えられなくなりました。先生も「練習校だからと言って油断し過ぎだ」と叱られ、泣いて帰りました。メンタルズタボロで迎えた西武文理。でもマイペースな私は緊張感ゼロで試験会場に向かいました。先生のクイズやカイロでリラックスでき、さらにおかしを食べたりして試験会場でものびのびとしていました。手ごたえは大アリだったけど時間がたつにつれ、自信がなくなっていきました。私は、2月1日の練習ということで、その日の午後の特選も受けました。家に帰った時には自信はありませんでしたが、両方とも特待生Cで合格でした。とても嬉しかったです。21日の国府台女子はさすがに緊張しましたが、試験会場でアテナ女子3人で話すことができて気分もほぐれました。西武文理の時よりも手ごたえがあり結果は合格。2校合格したことによって、私は自信がつきました。

そしていよいよ2月1日を迎えました。第一志望の吉祥女子です。問題は思っていたよりもカンタンで、合格の自信がありました。しかし結果は不合格。とてもショックでした。午後に受けた山脇も、もともと吉祥女子より自信がなかったのでとても不安でしたが合格だったため、ホッとしました。2月2日は、もし吉祥女子に不合格だったらメンタルがズタボロになると考え、最初から第2志望の富士見を受けることに決めていました。入試には、宮本先生に教えてもらった呼吸法で、大きく深呼吸して落ち着いて臨みました。手ごたえがあり、そして合格。とても嬉しかったです。

私はアテナに通うことができて本当に良かったと思います。宮本先生はとても親切で最後までていねいに教えてくれました。時々怒ることもありましたが、「私たちのために怒ってくれているのだ」と思うと、胸が熱くなります。素直で、面白くて明るい人です。しゃかりかやイベントに積極的でとても素晴らしい先生です。私が出会った中で一番面倒見がよかったです!アテナは勉強するだけの塾ではなく、通っていて楽しい!と思える、そんな塾です。

私が、今アテナに通っている人に言いたいことは、
1.宮本先生を信じてついていくこと
2.宮本先生が言ったことは何がなんでもしっかりやること(化学反応式など)
3.最後まで決してあきらめないこと
4.中学受験を絶対に甘くみないこと
この四つです。特に④はとっても大切です。

宮本先生、今まで本当にありがとうございました。感謝の気持でいっぱいです。


J・Iくんの中学受験体験記

2019年度 桐朋中・城北中・西武文理中特待 他合格

[はじめに]
科目ごとに今まで勉強してきた内容を振り返ってみました。

[算数]
算数では4年生の冬期講習後の月例テストの偏差値が40でした。5年生の頃の僕は「算数ってめんどくさい」と思っていました。
しかし、先生に授業で毎回言われてきた言葉がありました。「図を描け!」です。
僕は、この言葉を最初は軽く聞いていましたが、6年生になってくると、少しずつその意味が分かるようになっていきました。
僕は、図を描かなくても解けるような簡単な問題でも、毎回必ず図を描くように心がけました。すると6年生の2学期の月例テストでは、常に偏差値65を超えるようになったのです。図を描くことは大切なことだと、改めて実感しました。
6年生の1月になると、先生に実力アップ問題集の問題を選んで付箋を貼ってもらい、それを受験までに全て解くという目標を立てました。僕は「だらだらやっていても意味がないし間に合わない」と思い、頑張って受験2週間前に終わらる計画を立て、見事に達成しました。なぜこんなにも早く終わらせることができたのかというと、その頃の僕は算数が楽しくなっていたからです。
もちろん算数は楽しくても、わからない問題は出てきます。そんな時は宮本先生に質問しにいきました。先生に質問すると、わかりやすく説明してくれます。解けるようになったことで、より一層算数が楽しくなっていきました。

[社会]
僕は5年生の社会、地理では全く覚えられず、宿題をするのが嫌で家で泣いていました。そんなとき先生は僕に「ゴロ社会を活用しなさい」というアドバイスをくれました。「ゴロ社会」とは宮本先生が出版している本で、社会の暗記法がたくさん載っているものです。
例えば、乳用牛の飼育頭数を覚えるのに「牛乳はホットがいいわ!」というゴロ合わせで覚えるのです。「ホット」の「ホッ」は北海道、「ト」は栃木県、「いいわ」の「いわ」で岩手県です。このように宮本先生の書いた本「ゴロ合わせで覚える社会」は、僕にとっての必須アイテムになりました。
そして算数と同じように、社会の実力アップ問題集の付箋をつけてもらった所を受験までに終わらせる目標を立てて、記述の特訓をしていきました。そうしたらだんだんと記述がうまくなっていきました。社会コンプリーション問題集は頑張って2回全部やりました。2回目は1月31日までかかってやり、ギリギリ間に合いました。問題集を仕上げたことで、社会に対する自信が持てるようになりました。

[理科]
理科の計算分野は得意でしたが、知識分野は苦手でした。そこで社会と同様に「ゴロ理科」で頑張って覚えました。「ゴロ理科」は社会同様、理科暗記の必須アイテムです。
宮本先生の受け売りですが、僕の一押しの理科の学習ポイントは、「化学分野の問題では、化学反応式をひたすら書く!」です。化学の計算分野が苦手な人は、ぜひこれを実践してみてください。成績が必ず上がると思います!

[国語]
5年生の頃の僕は、記述の問題を面倒くさがり、空欄のままにして答えを書きませんでした。しかし先生からは「記述は書かないうまくならないし、記述問題ができなければ志望校に受からん!」とガツンと言われました。その時から、国語の記述でもきちんと答えを書くようになりました。最初は内容を注意されることも多く、「やはり苦手だなぁ」と感じていましたが、めげずに頑張って書いていると、段々と記述が書けるようになっていきました。そして最後の過去問の追い込みでは、記述問題で先生に褒められることも少しずつ増えていきました。

[最後に]
僕が第1志望校に受かったのは、宮本先生に言われたことを頑張ってやってきたからだと思います。
先生の言うことはときに大変で面倒に思えることもあると思います。でもきちんと努力すれば、必ず結果は出ます。宮本先生の言うことを信じて、ついていってください。


K・Yさんの中学受験体験記

2019年度 吉祥女子中・武蔵野大附属中特待 他合格

私は4年生の冬期講習からアテナに入りました。初めの頃は「ここの塾に通いたい!」という願望も無く、ただ単に「兄や姉が通っていたから自分も行く」という消極的な理由で塾に通っていただけでした。そして、塾のために吹奏楽が制限されたため、段々と塾が嫌いになっていきました。そのため勉強に対してやる気が出ず、チェックテストでは毎回のように再テストになっていました。その時は姉が行っていた吉祥女子を第一志望にしていたので、再テストになる度に「吉祥女子には届かない」と言われ、正直うんざりしていました。そのため私は親に「勉強に関しては何も言わないで欲しい」「吹奏楽を自由にやらせて欲しい」というお願いしました。すると、前まで行きたくなかった塾に行けるようになり、テストでも緊張しなくなりました。そして少しずつ再テストが減っていき、成績が段々と伸び始めました。

そこで私が大切にしたのが、短時間で集中してたくさんの物事を終わらせるという事です。私は6年生になっても吹奏楽で塾を休んだり、早退する事も多々ありました。私は他の人よりも勉強する時間少なく、このままでは宿題が終わらなかったのです。そこで、短時間でどれだけ集中するかが勝負になっていました。
短時間で集中して宿題を終わらせるという習慣を身に付けた結果、段々と問題を解くスピードが上がってきました。しかしそれに反比例する形で、ケアレスミスの数が増えていきました。問題の読み間違いや、足し算引き算の間違いが多くなっていったのです。そこで、問題が終わった後に必ず見直しをするようしました。そうすることでさらに成績が上がっていきました。

次に気をつけたのが「不合格」という言葉をなるべくつかわないといういう事です。「コトダマ」という言葉を親から教えてもらいました。コトダマというのは、言葉が力を持つという事です。つまり、不合格と言っていたら本当に不合格になるという事です。そこで、私は物事に対して常にポジティブに考える事を意識しました。ネガティブに考えるとどうしても不合格にたどり着いてしまいます。ポジティブに考え、自分を勇気づけることで、段々と自分に自信が持てるようになりました。すると、それまでずっとマイナスだった過去問での点数が、プラスに転ずるようになったのです。ものごとをポジティブにとらえることは、とても大切なことだと実感しました。

最後に、私が皆さんに伝えたい事は以下の3つです。
1.時間を大切にして集中すること。集中していなかったら、いくらやっても意味はないと思ってください。
2.物事を常にポジティブに考えること。
3.勉強は「やらされるもの」ではなく、「自分からやるもの」だということ。

皆さん、受験勉強頑張ってください!


K・Sくんの中学受験体験記

2019年度 東京都市大中Ⅰ類・法政大学中 他合格

ぼくは、中学受験をして二つわかったことがあります。
一つ目は「あきらめないことの大切さ」です。
二つ目は「こつこつ続けていくことの大切さ」です。

アテナに入塾したのは4年生の2月です。最初入塾した時はまだ実学年が3年生で学童保育が終わってしまうため、その穴うめとしてアテナに入塾しました。4年生の頃は友達と仲良く楽しくやっていて、あまり勉強しなくてもいい点数がとれていました。5年生になり歴史の勉強や理科が始まり、覚えることがふえてきても授業にはついていけました。しかし6年生になり、算数の問題が難しくなってくると、5年生の頃までは得意だった算数で点が取れなくなってきました。

そして6年生の夏期講習の最後に、はじめて武蔵の過去問をやりました。その時の結果は合格最低点よりも96点も低いという結果でした。しかし宮本先生は「きびしいけどがんばろう」と言ってくれたため、あきらめずに過去問をやりつづけました。
少しずつ成績も上がり、11月のサピックスの武蔵模試でも、合格まであと5点というところまでいきました。12月には、過去問で合格点を少し上回るようになり、1月の最後の過去問では30点も上回ることができました。入試の結果は残念ながら不合格でしたが、あきらめずに続けてよかったと思いました。

入試を終えてみて我が身を振り返ってみて「あの時もっとちゃんとやっていればよかったな」という後悔もあります。しかし結果としてこの二つのことがわかっただけでも、中学受験をした甲斐があったなと感じます。小5の頃までの第一志望でもあった法政中に通うことも考えましたが、今度こそコツコツ努力して、大学受験でリベンジを果たしたいと思います。

宮本先生、3年間ありがとうございました。


A・Hさんの中学受験体験記

2019年度 富士見中・国府台女子中・恵泉女学園中 他合格

私がアテナに入ったのは、3年生の冬のことです。急に受験がしたいと言い出した私のために両親が探してきてくれました。ギリギリで申し込みアテナに入りました。最初の授業が思った以上に楽しく、「この塾に通う」と決めました。
しかし毎月の月例テストの結果は芳しくありませんでした。原因分析をすると、算数が足を引っ張っていることに気が付きました。そこで私は苦手な単元にあえてチャレンジして理解を深めるようにしました。すると少しずつ、算数の成績が上がっていきました。
しかし5年生になって理科・社会が新たな科目として加わると急にやらなくてはいけないことが増え、社会の暗記や算数の特殊算を苦手とするようになってしまいました。悪いことにそれが6年生まで続きました。

6年生の2学期に入ると毎週、過去問をやるようになりました。過去問演習で間違えた問題や理解していない問題について、ひとつずつ調べたり質問したりするようになると、成績はどんどん上がっていきました。そして第一志望校である吉祥女子や浦和明けの星女子の過去問の点数が、合格最低点を越えるようになっていきました。

そして迎えた一月入試。同率第一志望校の浦和明の星女子の受験です。リラックスして入試に臨むことができ、国語と社会の自信があったのですが、算数の出来がイマイチで、受験者平均点も75から80点と高得点だったため、残念ながら不合格となってしまいました。しかし国府台女子は合格することができました。

2月1日の朝、宮本先生が応援に来てくださり、合格カイロをもらいました。問題との相性も良く「合格した」と思いました。その後は午後入試の恵泉女学園を受け、夜の合格発表を待ちました。しかし吉祥女子の結果は不合格。恵泉女学園は合格していましたが、気持ちはかなり落ち込みました。
次の日も吉祥女子を受けましたが、前日不合格だったこともあり、気持ちが焦って集中しきれませんでした。午後はアテナに行き、2月4日の浦和明の星女子の受験に向けて、宮本先生とマンツーマンで特訓しました。浦明けの過去問は結構取れるようになっていたので、宮本先生も「これなら浦明けリベンジ大丈夫だろう」と言ってくださいました。

2月3日は予定通り、第二志望の富士見を受けました。理科が簡単だったこともあり、無事合格。富士見の受験が終わってお昼ごはんを食べているとき、父から2月1日の吉祥女子の結果がマイナス1点だったと言われました。宮本先生が調べてくださったそうです。私はとても悔しいと感じ、このまま吉祥女子にリベンジを果たさずにはいられないと思いました。しかし浦和明の星女子もとても気に入っている学校です。同じ日に両方の学校を受けることはできません。私は悩みました。しかしこのまま引き下がったら、あとで絶対後悔すると思ったので、私は予定を変更し、2月4日は浦和明の星女子の受験をやめ、吉祥女子の3回目を受けることにしました。残念ながら合格を勝ち取ることはできませんでしたが、最後まで堂々と戦えましたので、後悔は全くありません。
私はこの受験で、一点の大切さと最後まであきらめないことを学びました。宮本先生とチューターの先生には本当に感謝しています。最後まで支えてくれてありがとうございました!

私が後輩に伝えたいことは、以下の5つです。
1.図や式は書き、単位を付けること
2.わからない問題は先生に必ず質問すること
3.遊びと勉強をのけじめをきちんとつけること
4.志望校や目標に向かって努力すること
5.最後まで諦めないこと

アテナの皆さん、これからもあきらめず頑張ってください!


H・Iさんの中学受験体験記

2019年度 法政大学中・中央大附属中・三田国際中・国府台女子中・山脇学園中 他合格

私は、小学3年生の終わり頃からアテナに通い始めました。なぜ塾に通い始めたのかというと、3年生で今まで通っていた学童が無くなり、一人で留守番をするのが嫌だったからです。そこで、私の家から一番近い塾であるアテナに通うことにしました。はじめは中学受験をする予定ではなかったので、いつかやめると思っていました。しかし、実際に授業を受けてみると、学校では平均よりちょっと下ぐらいの私でも、家に帰る頃には授業内容が理解できるようになっていました。同じ学年の人の雰囲気もよくて、この塾をやめたくないと思うようになりました。ですが、月例テストでは成績優秀者一覧に載ることはほぼなく、特に国語は絶望的でした。

そんな中、5年生になり、新たに理科・社会がスタートしました。私は暗記するのが大嫌いで、社会はいつも後回しにしていました。また、算数のチェックテストでは、授業では解けていたのに、実際にテストになるとケアレスミスが多く、再テストばかり。自分の注意力のなさも実感させられました。しかし、その頃はまだ中学受験をなめていました。再テストになるのがわかっていても怠けてばかりで、家での勉強量は最低限でした。そんな生活を続けていたところ、宮本先生から「授業のない平日は毎日自習室に来るように」と言われました。私は宿題や、今までほぼ白紙だった実力アップをすべて自習室でやることにしました。しかしそれでも、実力アップは私の好きな算数や理科の計算分野などしかやらず、苦手なものは後回しという私の悪い癖はなおらないままでした。

そして、そのまま6年生の夏休み、つまり過去問演習の時期を迎えてしまいました。私の第一志望校であった法政大学中学の入試問題は本当に簡単な問題しかなく、先生からは「算数は満点をとれる筈だから、狙っていけ」と言われました。ですが、過去問をやってみると、算数は私が得意なケアレスミスばかりで、その他の教科も受験者平均点程度しか取れず、現実の厳しさを思い知りました。

一月にはいり、朝から毎日塾に行くようになってからも成績はなかなか思うように上がらず、ひどい時には合格最低点を30点も下回るような、とても入試直前とは思えないような点数もとってしまいました。

2月1日まであと2週間くらいとなったある日、宮本先生から「社会を基礎から叩き直すぞ。それが逆転合格の最終手段だ」と言われ、一日6枚ペースでやらないと間に合わないような、とてつもない量の社会の特別課題が出されました。私はヒィヒィ言いながらそれでも毎日コツコツとやり進めました。これにより確実に基礎知識が増したと思います。
入試前日の1月31日。アテナ恒例だという「井の頭公園散策」に出かけました。入試直前だというのに井の頭公園はいつもと変わらぬ風景で、なんだかとても落ちつけました。寒かったですが受験前にリラックス出来てよかったと思います。

そしてとうとう迎えた2月1日の法政大学中の入試日。しかし、ここで大きなハプニングがあったのです。なんとおっちょこちょいなことに、私は消しゴムを忘れてきてしまったのです!しかもそれに気づいたのは、試験が始まってからでした。正直、もうこの第一回の試験での合格は厳しいと思いました。それでも宮本先生の「最後の一秒まであきらめるな」という言葉を思い出し、私は最後の科目まで消しゴムなしで乗り切りました。

その日の午後は三田国際中学です。私は気持ちを切り替え臨みました。算数のみの入試で頭を使う問題が多く苦戦しましたが、空欄はなく最後までやり切ることができました。夜になり、いよいよ結果発表です。母と二人でドキドキしながら見てみると、午前の法政大学中は自分でも驚いたのですが、なんと繰り上げ候補者のなかに入っていました。手ごたえのあった午後の三田国際は予想通り合格。私は三田国際を気に入っていたので、まず一つ行ける学校を確保することができ、ホっとしました。ですが私の入試は先まだまだ長かったのです。

2月3日、私はもう一度法政大学中を受験しました。しかし、結果は、なんとまた繰り上がり候補者!まさか2回連続補欠だなんて!2月4日は第二志望である中央大学付属中学校を受けました。これまで過去問をやってみても、あまりに相性が良くないと感じていた学校だったので不安はありましたが、いざ受けてみると私の好きな分野がたくさん出たおかげか、合格することができました。そして2月5日、法政中の最終チャレンジの日です。この学校は受けた回数、くり上がり候補者になった回数の多い人からくり上がっていく仕組みなので、三回中三回受けて二回くり上がりだった私はたとえ今回ダメでも繰り上がる可能性は高かったと思います。でもくり上がりとして合格するのは何だか悔しいと感じた私は「一番倍率の高い今回で絶対合格してやる!」という強い意気込みで入試に臨みました。結果は合格。本当に嬉しかったです。

3年間の受験勉強は正直大変でしたが、この塾に入ったおかげで一度もやめようとは思いませんでした。宮本先生のおかげでここまで来られたのだと思います。今まで本当にありがとうございました。

アテナは先生との距離感が近く、気軽に質問や相談ができる環境です。また合宿やイベントなどを通じて、同じ学年の子だけでなく、違う学年や卒業生たちとも交流が持てるところも魅力です。少人数だからこその良い所がたくさんある塾だと思います。アテナに通ってよかったと思います。


2018年度

Y・Sさんの中学受験体験記

2018年度 恵泉女学園中・国府台女子中・西武文理中特待 他合格

私がアテナ進学ゼミに入塾したのは四年生の夏です。それまでは他の塾にいたのですが、算数の授業が分かりづらく、質問もしにくい環境でした。家で母に手伝ってもらいながらでないと良い点が取れない状態で不安でした。そんなとき、母がアテナ進学ゼミを見つけてきてくれました。宮本先生の体験授業もとても面白く、この塾に通いたいと思い転塾を決めました。 しかし、入塾した当時はきちんとした目標もなく、ただなんとなくやっている状態でした。理科と社会は苦手でしたが、国語と算数は得意だったため、私は四年生の頃は良い点数が取れていました。しかし五年生になって、理社が科目として入ってくると、四科目の合計点数が伸びず悩みました。

そのまま六年生になり、夏の終わり頃から過去問をやり始めたのですが、最初のうちは合格最低点にもなかなか届かず、とても不安になりました。しかしそんな私を宮本先生が「しっかり対策していけば大丈夫!」と勇気付けてくれました。第一希望の吉祥女子の過去問では、理科の化学と物理の計算問題、社会の公民の問題、そして算数の各文章問題を全て解き終わるのに時間が足りていないということに気付きました。すると宮本先生が過去問対策ノートを作ることを提案してくださいました。十年分の過去問から、やるべき箇所に付箋をつけていただき、それを両親がコピーをしてノートに貼ってくれました。私はそれをひたすらに解き、宮本先生にチェックをしていただきました。解き始めたころ、理科の簡略図や化学反応式を描かずにいたことを先生は厳しく叱りました。それから私は、図をしっかり描くことを意識するようにしました。すると、理科は一気に点数が上がったのです。算数も、解いている際に焦るのが嫌だったので時間を計ることが嫌いでしたが、自分のためだと思い、計るように心がけました。

少しずつではありますが過去問の点数も上がっていき、やがて一月入試が始まりました。まずは西武文理中。前日も緊張せずよく眠れました。当日の朝は暗いうちに家を出て学校へ向かいました。宮本先生が入試応援に来てくださり、とても心強い気持ちになりました。入試も手応えがあり、夜の合格発表ではドキドキしましたが、特待生Cの合格を勝ち取ることができ、とても嬉しかったです。
その十日ほど後に国府台女子学院を受けました。こちらも平常心で受けることができ、合格することが出来ました。二月本番前は小学校に行きたい気持ちがとても強かったのですが、最後十日間は学校を休み、集中して吉祥女子の過去問や宮本先生が作ってくださった直前のまとめ冊子を、朝から晩まで頑張って解きました。アテナの友達と過ごす毎日も楽しく充実していました。

そして二月一日、いよいよ本番が始まりました。当日、緊張はしませんでしたが、吉祥女子中学の受験生の雰囲気に圧倒されてしまい、思うように力が出せませんでした。終わった後は少し重たい気持ちでしたが、午後受験の恵泉女学園へ向かいました。試験の前に校長先生のお話と礼拝があり、賛美歌を歌いました。その時にとてもリラックスでき、試験でも力を出し切ることが出来ました。
夜の合格発表では思った通り、吉祥女子は合格できず、恵泉女学園には合格することが出来ました。悔しい気持ちはあったけれど、恵泉女学園は四年生の頃から気に入っている学校だったので、とても嬉しかったです。「このまま恵泉に通うことになってもきっと頑張れる!」と思いました。併願校は自分が気に入っている学校、通いたいと思う学校を選んでおくことがとても大切だと思いました。この先の受験をどうするか、宮本先生と電話で相談し、自分で決めたことなので、吉祥女子は最後まで諦めずにチャレンジすることにしました。

結果として、吉祥女子に合格するという目標は達成できなかったけれど、最後まで頑張ることで大きな達成感を得ることが出来ました。とても清々しい気持ちで恵泉女学園に進学出来ることを嬉しく思っています。宮本先生には最後までとても丁寧に時には厳しく、時には優しく、そして面白くご指導していただき、最後まで楽しく通うことが出来ました。本当にありがとうございました。これから受験するアテナ生に伝えたいことは、

①宮本先生に言われたことをきちんと出来るようにする。(簡略図、化学反応式、算数の図を書く)
②わからない問題は必ず質問に行く。
③時間を計ってメリハリを持って勉強をする。
④気分転換も時には必要。
⑤まだまだ日にちがあると思って油断しない。

この5つです。皆さん頑張ってください。


A・Oさんの中学受験体験記

2018年度 早稲田佐賀中 合格

私は、四年生から吉祥寺女子に入りたくて受験勉強を始めました。
初めは早稲田アカデミーに通っていましたが、授業だけで内容を理解することが出来ず、いつも母にやり方を聞きながら宿題をしていました。四年生の冬ごろ、母がアテナをすすめてくれました。体験授業を受けてみると、すごく分かりやすく、転塾することを決めました。アテナの算数は、先生が解説をしたあとに演習問題を解いて、理解してから家に帰ります。そのおかげで、母に聞いて宿題をすることがなくなりました。しかし国語はというと、アタックテストで足を引っぱることが増えてきました。先生には、音読をするようにと言われました。私は音読が下手で大嫌いだったので逃げていましたが、父と特訓を始めました。この音読特訓は、五年の春から六年の夏まで続き、徐々に国語が足を引っぱらなくなりました。

勉強と並行し、吉祥寺女子以外の学校探しも始めました。私は、活発な学校を希望していて、なかなか行きたい学校が見つかりませんでした。そんなとき、父が早稲田佐賀中学を見つけて、学校説明会に連れて行ってくれました。私はすごく気に入り、この二校を目標に勉強を頑張ることにしました。

夏期講習後半から悪夢の過去問演習が始まりました。吉祥寺女子の過去問では、なかなか合格最低点に届かず、スランプに陥ったこともありました。そんなとき先生は、勉強を一日休んで遊びなさいとアドバイスをしてくれました。そんなことを乗り越えながら一月七日、早稲田佐賀の入試をむかえました。とくに緊張することもなく落ち着いて問題を解くことができました。結果合格を勝ち取ることができました。しかし、まだまだ受験は続きます。一月は毎日のように吉祥寺女子の過去問を解き続けました。先生は間違えたところをていねいに教えてくれました。

そしてついに二月一日、吉祥女子中学の入試をむかえました。早稲田佐賀同様、朝先生が応援に来てくれました。緊張せず問題を解くことができましたが、結果不合格。続く二回目、三回目も合格することができませんでした。一生懸命がんばったので悔いはありません。私は早稲田佐賀中学に進学します。寮生活も楽しみにしています。

二年間ありがとうございました。佐賀にぜひ遊びに来てください。


K・Oくんの中学受験体験記

2018年度 桐朋中・暁星中・西武文理中特待 他合格

僕は五年生の少し前にアテナに入りました。双子の先輩がアテナに入っており、ぼくのタイプにアテナが合っているとすすめられたからでした。しかし入ってから成績はずっと右肩下がり。それもそのはず、計算日記・漢字日記はやったりやらなかったりで、宿題も時々あやしかったからです。しかし、そんな中で朝方人間という長所を活かし、朝に学習の時間が取れたのは良かったです。

成績が上がり始めたのは六年生になってから。目標が定まったからと自分なりに考えております。月例との相性はソコソコで、首都圏模試との相性は良好。記述力アップにはニュース日記等、宮本先生が自分に合った学習法を考えてくださいました。しかし夏のコンプリはあまりやらず、そのせいで地理の弱さはそのままでした。入試に地理が出なかったのは幸運でした。現アテナ生の人たちは僕のように運に頼らぬよう、苦手分野のコクフクに力をそそいだ方が良いと思います。

九月になって過去問が始まりましたが、武蔵の過去問はプラスになったのが一回しかなかったです。暁星は算数が問題で、桐朋は相性が比較的良好。暁星の算数は回を重ねるとだんだん点数が上がりましたが、武蔵は変化ナシ。結果として一日は桐朋を受けることになりました。数日前には、激励会と称して家族と焼き肉店に行きました。

一日はT君と兄のS君が桐朋の前で激励してくれました。国語はいつも通り、算数自信あり、理科不安、社会いつも通りといった感じで、試験官の人が強面で緊張しました。午後入試はやりませんでした。夜十時発表なので、九時に寝て、翌朝結果をききました。母の寝ボケ気味の声が合格を知らせてくれました。三日の暁星は楽しんで受けることができ、合格でした。

自分のタイプにあったアテナにめぐり会え、幸運でした。


S・Kさんの中学受験体験記

2018年度 吉祥女子中・富士見中 他合格

私は小学四年生の時、中学受験をしたいと言い出しました。きっかけは、いとこが中学受験をしたことと、私の学区の公立中学校の水泳の授業がとても厳しいからでした。そして母がマイペースな私に合うであろう塾を見つけてくれました。それが「アテナ進学ゼミ」です。体験授業がとても楽しかったので、他の塾の体験授業には行かず「この塾に通う!」と決めました。

しかし、算数は苦手で毎回再テストになるほどでした。父や先生に質問をして再テストになる回数は減ったのですが、それ以上に大きな問題がありました。それは、計算日記と国語の記述、短文作文が全然できないことです。しかも、六年生になったら計算チェックテストの解き直しもあり、やらなければいけないことがどっさりありました。夏休みになってコンプリももらいましたが、計算日記や短文作文と一緒で全然できませんでした。国語の記述は過去問DAYが始まってから少しずつ書くようになったと思います。第一志望校である吉祥女子中学校は、記述がよく出るので書けなきゃいけないと思ったからです。最初は問題の解き直しをするとき解答解説をよく読んだり、模範解答を自分なりに変えてみたりしました。そして過去問をやっていくうちに、算数のスピードも足りないということがわかってきたため、一月校である浦和明の星女子中学校の過去問をたくさん解きました。その成果は目に見えてきて、過去問の点数が上がってきました。そして、一月の入試に臨みましたが、結果は不合格でした。けど、すぐに気持ちを切り替えて二週間後に向けて勉強しました。

そして二月一日、試験会場に行くと先生が待っていてくれました。おかげで、安心して試験に臨むことができました。夜、合格発表を見て、合格したとわかった時はとても嬉しかったです。二日は学校に行きました。友達や担任の先生、小学校にいる吉祥女子中学校出身の先生が「おめでとう」と言ってくれました。三日は予定通り富士見の試験を受けました。結果は合格。受かったとわかり、ホッとしました。

宮本先生、二年間ありがとうございました。現アテナ生の皆さん、努力はいつか必ず報われるので、頑張ってください!


Y・Tくんの中学受験体験記

2018年度 武蔵中・桐朋中・立教新座中 他合格

僕がアテナに通い始めたのは、三年生の終わり頃でした。四・五年生の時、月例テストで成績が良い方だったので僕は安心していました。受験まで一年をきった六年生になっても気合が入らず、夏休みはコンプリをほとんどやりませんでした。僕は中学受験をナメていたのです。

それを痛感したのが、六年生の秋から始まった過去問演習でした。第一志望校である武蔵の最初の過去問。国語・理科ともに冴えず、算数・社会にいたってはひどいものでした。この結果から浮き彫りになった課題は、社会の記述力の強化でした。

そこで先生が提案したのが、「社会の実力アップ問題集の応用問題」をやることでした。応用問題は記述問題ばかりで、武蔵の入試問題とよく似ているからです。僕は早速、応用問題に取り掛かりました。また過去問演習の時、先生から「武蔵OBの間では、『武蔵は算数で満点を取った受験生を確実に合格させているのではないか』という噂がある」と聞いていたので、算数は満点を目指して取り組みました。

そして、ついにやってきた2月1日の武蔵の入試。応援に駆けつけてくれたチューターの小林先生の言葉とカイロ・宮本先生との電話で落ち着き、自信を持って本番に臨むことができました。試験では社会・理科に不安が残ったものの、二限目の算数は自信がありました。結果は合格。合格掲示板に自分の番号を見た時は、合格できた嬉しさと宮本先生への感謝の気持ちが心の底からあふれてきました。

入試本番では、手応えのあった算数が僕の合否をわけたのだと思います。算数は、入試直前のサピ模試の過去問でもミスが目立って目標の満点に届かず、正直不安でした。しかし、宮本先生・先輩のアドバイスのおかげで、最初は解法がわからなかった問題を解くことができました。改めて、僕を武蔵に導いて下さった宮本先生・チューターの先生方、ありがとうございました。また、今まで僕を見守ってくれたお母さん、ありがとうございました。この経験を糧に、中学でも頑張りたいです。


S・Kさんの中学受験体験記

2018年度 吉祥女子中・光塩女子学院中・恵泉女学園中 他合格

私は、小学四年生からアテナに通い始めました。

学校では好成績だった算数が、最初の授業から分からず,頭がこんがらがっていました。そして成績が低空飛行のまま五年生になりました。それでも、遊びが楽しく遊びまくってしまっていて、成績は上がりませんでした。第一志望校を吉祥女子に決定してからも成績は全く変わりませんでした。六年生になってから、遊びを多少減らして、テキストの問題を復習するようになって、成績が少しずつ上がり始めました。

六年の夏の終わりから過去問演習が始まっても、同じ第一志望校の友達が合格最低点を超えている中で、私はマイナス五〇点から四〇点をうろついていました。これではダメだと思ってからも、答えを持っているので質問しなくてもいいかなと考えてしまい、自習中に質問に行くことはあまりありませんでした。

しかし、宮本先生が過去問を分析してくださり、自分の苦手な分野がだんだん分かるようになってきました。そこで、苦手分野を集中的に復習するようにしました。すると、過去問でも合格最低点のマイナス一〇点くらいからプラスの点数を取れるようになりました。

そして、第一志望の吉祥女子の試験日の二月一日になりました。手ごたえはあり、計算ミスをしていなければ合格できるかなと思っていました。しかし、結果は不合格でした。とてもショックでした。

ですが、二月二日に第一志望校の試験の申込みも一応していましたが、確実に合格できそうな第二志望校を受ける予定でした。でも、この日に第二志望校を受けてしまうと、次の吉祥女子の受験日は二月四日になってしまい、合格ラインが上がってしまいます。一日の入試でやっと合格点に届くかどうかの私が受かるとは考えられませんでした。かといって、二日に第二志望校を受けないと、第一志望校どころか、公立の中学校に行かなければいけないことも考えなければいけませんでした。私は、二月一日の夜寝る時も、二月二日朝家を出る時も、吉祥寺駅に着いてからもどちらの学校を受けるかずっと考えていました。これまで勉強を続けてきたことをいろいろ思い返しました。私は、これまで第一志望校に行きたいと思って一生懸命勉強を続けてきました。それなので、最後に吉祥女子を受けることに決めました。こう決めたのは西荻窪駅に着いてからでした。

私は二月二日の試験前、宮本先生から「神様は私たちに乗り越えられない試練を与えるはずがない。」と言われました。私は、宮本先生のその言葉にはげまされて会場へ行きました。雪のため試験の開始時間が30分遅れました。そして他の受験生がテキストなどを見直し続けている中、私は、ゴロ社会などを見直してから、一人ポイフルを食べて馬鹿みたいにリラックスしていました。頑張って問題を解きましたが、試験の方は一日よりも出来が悪い感じで悲しくなってしまいました。しかし、二日は合格でした。信じられないくらいうれしかったです。後で思い返してみると、初めにリラックスできたのが自分の力を出せた原因だったのかなと思います。

宮本先生はとても信頼することのできる先生です。宮本先生の授業は、ギャグを使って覚えることを覚えやすくしてくださったり、テキストに書かれている解き方よりもわかりやすい解き方を教えてくださったりする、楽しくて飽きない授業でした。これから宮本先生の授業が受けられなくなるのはとてもさみしいです。しゃかりかクラブでは富岡製紙場に行ったり、自然体験ツアーで地層を見たり、石を集めたり、植物を観察したり、夏には広島や奈良に行って、普段できないような体験を通して,教科書だけではわからない勉強もできました。三年間ありがとうございました。また、プリントをコピーをいてくれたり、試験前に風邪をひかないように気を付けてくれたりなど、受験をサポートしてくれた家族にも感謝しています。

私は、吉祥女子に入りたいといつも心の中で唱えて頑張りました。偏差値が今志望校に届いていなくても、頑張ればきっと成績は伸びます。 皆さんもあきらめないで頑張って下さい。


2017年度

K・Kくんの中学受験体験記

2017年度 暁星中・西武文理中 他合格

僕はアテナに入った最初から、武蔵に入るという目標があった。4年生、5年生ではクラスの中で4番目、5番目に位置していたので「これで良い」と思っていた。しかし、6年生の秋になって過去問演習をすると全教科ボロボロで、「これでは希望校に全部落ちるのではないか」と思った。とりわけ算数が苦手科目になってしまっていた。
しかし宮本先生は、僕の算数(問題文を良く読まずに解いてしまうという癖がある)を克服しようと、桐朋中と暁星中の算数の問題を合わせて14年分のコピーを用意してくれた。それを1月に入ってから、毎年、1年分解くことにした。毎日1年分を50分かけて解き直しをするということを繰り返した。すると武蔵の過去問の算数が少しだけ伸びてきた。

また、4,5年で得意だと思っていた社会も、その知識だけでは僕が希望している学校では通用しないということがわかり、社会も苦手科目になってしまった。そこで宮本先生は歴史での各時代が詳しくのっている本(「一冊でわかる イラストでわかる 図解○○史/成美堂出版」)を買って下さい、と両親に言ってきた。父母も快く買ってくれた。1月に入ってから、僕はそれをひまさえあれば読むようにした。食後、眠る前、本当にちょっとの時間を見つけて、その本を読んだ。すると、社会の記述問題も点数をとれるようになってきた。
国語の記述については、1月に入って、過去問を毎日、毎日、何年分もやっているうちに、先生に「深みが出てきたね」と言われた。

こんなふうに1月は、武蔵に受かりたい! その一念で、起きている時間のほとんど勉強していた。難しい問題が解けるようになっていくのが楽しかったので、勉強が苦痛だとは全く思わなかった。

そして2月1日の武蔵中を受けた。手ごたえはあった。しかし、結果は不合格。落ち込んでしまった。追い打ちをかけるように桐朋中も不合格になってしまい、更に落ち込んでしまった。

しかし、1月の頑張りは裏切らなかった。2月3日の暁星中に合格することができた。僕はこの受験で努力は裏切らないということを学びました。これからの中学生活も努力をすることを大切にして頑張っていこうと思いました。宮本先生、3年間のご指導ありがとうございました。


T・Kくんの中学受験体験記

2017年度 桐朋中・暁星中・西武文理中C特待 他合格

「よく寝られた?」、「表情をゆるめて頑張ろう」、その言葉で先生に送り出された2月1日武蔵中学校の入試。一限目の国語はよく書けたので、いけると思い、二~四限目に臨みました。しかし理科と算数に不安が残り、結果は不合格。合格掲示板を見たときは悔しさでいっぱいになりましたが、先生の「T君を誇りに思います」という言葉で、「明日頑張ろう」と気持ちを切り替えることができました。しかし先生は武蔵のために全力を投じてくださったのに武蔵に合格できず先生に申し訳ない気持ちは残っていました。

僕がアテナに入ったのは3年生の2月でした。当初は小学校で習わない算数の解法が理解できず、先生が4年生授業廃止を視野に入れるほど成績がダメダメでした。そのため、この頃はまだ授業はつまらないものだと考えてしまっていました。しかし夏期講習で、ほぼ毎日先生の授業を受けているうちに授業が楽しくなり成績も伸びはじめました。また、算数が苦手になってきたので計算日記を積極的に取り組みました。

5年生になり志望校を本格的に決めることとなり、僕は兄が通っている武蔵中学校を第一志望に決めた。先生もそれを認めてくれました。そのため勉強量が4年生のときよりも格段に増え、さらに得意分野の社会が授業科目に入ったので成績はぐんぐん伸び、成績優秀者一覧の1位~5位に入るようになりました。また、6人ほどがアテナに入塾し人数が増えたため他の人との闘争心が一段と増し、その膨れ上がった闘争心が勉強をしようという意志をかきたてるのでした。しかし5年生になり苦痛なことが2つできました。1つ目は外部模試の成績です。いくら勉強しても成績は伸びず、武蔵を受けるのなら偏差値が70はないといけないのに、自分の偏差値は50台後半から60台前半をうろうろしていました。外部模試の結果が悪いたびに先生は「次がんばろう」と声をかけてくれて、その言葉が僕にとって唯一の励ましとなりました。2つ目は月例テストの算数です。4年生の頃は、算数はそこそことれていましたが、5年生になり急に算数の成績が落ちはじめました。先生には「武蔵を受けるのなら絶対に算数は80点台をとれ」と毎回言われていたが、どうしても76点で止まってしまうのでした。そのため僕は計算日記でつまずくと先生に質問に行った。質問に行くと問題に対しての理解が深まっていくため、算数がより面白く楽しくなっていきました。また、平面図形や速さの問題が出てくると必ず図を描くことを心がけました。

6年生の9月、過去問演習が始まりました。僕は早速、武蔵の過去問に取り組みました。しかし国語の記述力、社会の知識、算数の解き方が合格水準にまったく及ばず、多い時には合格最低点からマイナス70点をゆうに超えていました。武蔵の採点は先生自らしてくれて、授業のあとに弱点などを細やかに教えてくれました。この過去問演習で僕の苦手分野が3つ見えてきました。1つ目は算数の速さ、平面図形、仕事算です。そのため先生の指示で、僕は第2志望、第3志望の桐朋、暁星の算数の過去問を合わせて14カ年分を、武蔵の過去問の解き直しの後にやりました。すると算数の得点が30点台かあら50点台にあがるようになりました。2つ目は国語の記述です。この対策としては日常の中の一場面を切り取り、その時のその人の心情やなぜそうなったのかを考えるようにしました。これも効果があり、国語の得点は50点を下回らなくなり、高いときは70点台をとれるようになりました。3つ目は社会の記述です。これに対しては先生の指示してくれた大人向け本の日本史シリーズを買い、暇さえあればそれを読むという方法をとりました。すると社会の記述は抜群に伸び、最後の自由記述も深みが出てきました。先生は「過去最高の記述の深みだ」と言ってくださいました。僕はこの言葉で自信が湧き、過去問演習が今までよりもさらに楽しくなりました。今思えば、あの楽しさが、過去問の得点力アップにつながったのだと思います。そしてやってきた過去問最後の日、僕は今までにない全力を投じ、結果は合格最低点を超えることができました。第一志望プラス27点、第二志望プラス38点、第三志望プラス20点。この結果を糧に、僕は二月一日、二日、三日の入試に臨みました。 もうやり残したことはないという気持ちで挑むことができました。残念ながら武蔵は合格できませんでしたが、桐朋、暁星の合格をつかむことができました。武蔵を目指してがんばり続けた三年間。僕は、この間に、グローバル化が進むこれからの世界に役立つ記述力、絶対にあきらめない不屈の精神力を得ました。

そしてなにより良かったのが、宮本先生に4年生の頃から教えてもらったことです。僕を叱って鍛えてくれ、全力でサポートしてくださった宮本先生、本当にありがとうございました。最後に現アテナ生にメッセージです。「算数は絶対に図や式を書く。」「分からないことがあったら先生に質問に行く。」「そして絶対にあきらめないこと。」以上です。自分を桐朋に導いてくださった宮本先生、温かく見守ってくれた両親と兄、丸つけをしてくださったチューターの先生方、共に励まし合い競い合った2016年度アテナ生の皆さま、本当にありがとうございました。


R・Iくんの中学受験体験記

2017年度 城北中・学芸大小金井中・東京農大第一中・西武文理中A特待 他合格

僕は小学四年生の冬に「自分と周りのレベルが近いと、中学生活が楽しくなる」と親に中学受験を勧められ、親が探してくれたのがアテナでした。体験授業を受けてみて楽しかったので、入塾しました。四年生のうちは好成績だったのですが、五年生になって社会が出てくると、その分を三教科でまかなうことができなくなってきました。また、算数の計算問題や国語の語句、理科の植物がボロボロで、コツコツ努力するのが嫌でした。計算日記や短文も三日坊主で、?をついていました。しかし、月例テストの解き直しでだんだんと点を取れるようになってきました。残った社会は、暇なときにゴロ社会をとにかくたくさん読むことと、社会のコンプリで、小6の夏休み後から急速に点が取れるようになりました。先生に「社会はできて当たり前」と言われていたので、克服できてうれしかったです。

さて、九月から過去問演習が始まりました。はじめに第一志望校の武蔵の過去問を解いたのですが、これがもう最悪。ここから先生に記述のアドバイスをもらったりして何とか点は取れるようになりました。しかし波があって、点が取れるときと取れないときがあり、原因を追究してみると、恋愛文が苦手だと判明。これもたくさん過去問を解き経験を積むことで克服できました。武蔵以外の学校はそんなに苦労せず、一月は毎日武蔵の過去問を毎日解きました。母には頑張りすぎ、と叱られましたが、だんだん自信がついてきました。

そうして、二月一日はガチガチに緊張することもなく受験することができました。しかし残念ながら武蔵中は不合格になってしまいました。しかし算数で大失敗をしてしまったので、少しは予想していたことであり、大したショックではなかったです。他は全て合格できました。

僕がここまでこれたのは、よく家族会議をしたからだと思っています。今の自分を把握して、親と一緒に学習の計画を立てる、ということです。自分が決めたことなので「絶対やらなきゃ」というように思えてモチベーションが上がりました。最後に、学習というのは全て努力が原点であるということ。これを忘れずに皆さんも頑張ってください。

宮本先生、今までありがとうございました。


Y・Mくんの中学受験体験記

2017年度 桐朋中・成蹊中・東京農大第一中・学習院中 他合格

僕がこのアテナ進学ゼミに入ったのは4年生の10月でした。姉が通っていたので、元から入るという考えはありました。はじめのうちは学校でやったことのないことをするのに苦戦していました。特に算数の日付の問題が苦手で、日付の問題が出るとすぐに自信が無くなってしまいました。そのため、アタックテストでは全体的に点数が悪く悩んでいました。

5年生になってさらに社会と理科が加わると、暗記もろくにやらなかった僕はアタックテストで全教科点数が低いという最悪な結果を出してしまいました。でも先生はそんな僕の解きなおしノートの悪いところを指摘したり、計算日記をやれと言ったり、時には厳しくしかってくださいました。そういったやり取りをしている内に算数と国語の成績が伸びてきました。しかし、ほかに社会と理科の暗記という壁がありました。僕は理科の計算分野は得意な方でした。外部模試などを受けてみてもやはり暗記分野のところで全体の成績を下げていました。そのまま6年生になり歴史の暗記も増え、暗記をなかなかやろうとしない僕は夏休みに苦戦しました。そして、夏休みが終わり過去問がスタートしました。第一志望の過去問は点数が不安定でした。そこで算数で落とした点数をカバーするために、先生は夏休みのコンプリーションの苦手なところを何回もやるのを勧めてくれました。そうして僕は自分のためだと思い、積極的にコンプリを解いたり、語呂合わせの本を読むようになり、少しずつ過去問の暗記分野で点数が取れるようになりました。

そして2月1日。ガチガチに緊張するということはなく、終わったときはやり切ったという感じがあり、第1志望には合格することができました。これも僕をサポートしてくださった先生や家族のおかげだと思います。一緒に競い合った友達やサポートしてくださった先生や家族、ありがとうございました。


M・Yさんの中学受験体験記

2017年度 三輪田中・山脇学園中・女子聖学院中・長崎日大中 他合格

私は三年生の夏に早稲田アカデミーの授業を体験しました。でも授業がわかりにくく、とても質問できる環境ではなく自分の好みの環境ではありませんでした。でも私は、どうしても「私立の学校に行きたい。私立の学校に行けば楽しい学校生活ができる。」と思っていてどうしても中学受験をしたいと思っていました。そんな私の思いにこたえてくれたのが母でした。母がすすめてくれた塾、それが「アテナ進学ゼミ」でした。入った当時は、今思えばあまりやる気がなく、宿題もあまりちゃんとやらなかったため成績はさんざんでした。しかし、先生によく「算数はきちんと図をかけ。」と言われ、言われたとおりに宿題をやっていくうちに算数の成績がどんどんのびていきました。

そして六年になり、過去問演習。私は、なかなか合格最低点に届かず、悩んでいました。危機的状況でした。あるとき、母が「実力は十分にあるのだから気持ちを落ち着かせて解けばいい。絶対に受かるから。」と言ってくれました。この言葉は私の気持ちを落ち着かせてくれました。そしてあっという間に長崎日大中の入試の日がやってきました。私は緊張しすぎて問題があまり解けなかったです。合格発表は十二日。毎日ドキドキしていました。結果、合格していました。長崎日大中の反省を生かして次の過去問演習に取り組みました。私は国語が苦手なので、算数で点数を稼がなくてはなりません。先生に「算数の小問で満点をとれるように」と言われ、解けなかった問題をできるようになるまで何度も解きました。すると小問の正答率がだんだん上がり、点数も十点を超えるようになりました。そして、合格最低点もコンスタントにクリアできるようになり、少し安心しました。

そして二月一日、私は第一志望校の入試の時、緊張せずに問題用紙に気持ちをぶつけることができました。入試が終わったあと、「絶対合格できる!」と自信がありました。そして合格発表。わたしはドキドキしながら待っていました。結果は合格でした。母も弟も跳んで喜んでくれました。父が会社帰りに合格書類を貰いに行ってくれて、ケーキも買ってきてくれました。とてもおいしく感じられました。二月二日の入試も前日と同じ気持ちで受けました。結果、合格でした。受けた学校に全て合格でき、うれしかったです。

わたしは中学受験で「努力は人を裏切らない」ということを実感することができました。だからわたしは、中学受験をして良かったと思います。そして中学受験をやりとげたことを誇りに思っています。今まで支えて下さった宮本先生ありがとうございました。家族の応援にも感謝しています。中学校に行っても努力をおこたらず、何事にも一生懸命取り組みたいです。


A・Kさんの中学受験体験記

2017年度 学芸大竹早中・専修大松戸中 他合格

私は、二十八年度六年生の中で最も悪い例だと思います。だからこそ反省すべき点がたくさんあり、それを後輩に伝えることができます。

先日、テレビで「勉強には、息抜きも必要だ」と言われていました。もちろん知っていましたが、私は息抜きを五年生からしすぎていたのです。もし、まじめに最初から学習に取り組んでいれば、私の人生は変わっていたと思います。アテナでの宿題が少なかったのもありましたが、私はいつも学校から帰ってきて遊び一時間弱で勉強が終了しました。一時間もやっていない私をみてさぞかし母は心配だったと思います。テレビもマンガも見て、わたしは塾に通っている人とは思えないほどでした。

また、通塾に時間がかかり電車の時間を有効に使うように言われましたが、実は電車の中でやり始めたのは6年の10月後半でした。それまでは教科書を広げてみることはありましたが、問題を解くことはなく、本を読んだり寝たりしていました。しかし十二月末には車内で過去問を解くこともありました。

こんなことばかりな私ですが、やる気スイッチが入ることにつながった原因は三つ。

一つ目は、自分の弱いところ、強いところをしっかりと判断できたこと。日曜日は過去問の日でしたが、わたしは弱点の克服のため、先生と相談し日曜日の過去問は一時休むことにし、弱点のところの問題を、時には父にも協力してもらい解きました。その成果が、スタート時は9点をとっていた第一志望の算数で50点台を連続して取ることができるようになりました。二つ目は、模試で自分の現状を理解したこと。国語はとても点数がよく、サピ模試も早稲アカ模試も20位台でしたが、他の科目が最悪。さすがに危機感を覚えました。三つめは、自分にあったライバルを見つけられたこと。わたしは、どちらかというと男子の方が仲良くなれたので自分よりも少し上のK君をライバルにしましたが、その判断は間違っていなかったと今も思います。先輩の人たちにもたくさん励ましてもらいました。本当に感謝しています。

偉そうなことを言っていますが、私は第一志望校不合格でした。でも、私は挫折を経験してよかったと心より思います。不合格と知った日、「ああ、あの字が読めていれば」「文学史を覚えていれば」と思いました。でも、それが私の実力なのだと思いました。私みたいにバカにポジティブだからそう思えただけです。そんな思いはできるならしてほしくないです。

本当にどうしたらいいかわからなくなることは、私もありました。そんな時に、宮本先生に頼って私はすごくほっとしました。宮本先生は、いつも親身に話を聞いてくれました。

今、私は少しも後悔していません。むしろ素敵な先生、友達に出会えてうれしく思っています。全力を出せるように体調管理をしてくれた両親にも感謝しています。

人生で一度きりの入試、絶対後悔しないようなものにしてほしいです。私たちの後もずっとアテナが続くように祈ります。がんばってください。


2016年度

M・Sさんの中学受験体験記

2016年度 吉祥女子中・浦和明の星女子中・東京農大第一中 他合格

「自分を信じてがんばって、じゃあ、いってらっしゃい。」
「はい、いってきます。」

二月一日の朝、私は吉祥女子中学校の校門の前で宮本先生に電話をかけていました。周りにはサピックスやら日能研やらの先生がずらーっと一列に並び、受験生を激励していました。そんな中を私はお母さんと二人きりで歩いていたため、他の受験生にはとてもかなわないんじゃないかという気がし、とても不安になっていました。また、少し緊張もしていました、しかしそんな不安や緊張も先生の言葉を聞いているうちに薄れ、リラックスすることができました。そしてその日、わたしは合格を手にすることができたのでした。

私がアテナに転塾したのは四年生の春休みでした。前に通っていた塾では一対一で授業を行っていました。そのためはじめは、少人数でちゃんと教えてもらえるのかなと少し心配でした。しかし先生のわかりやすい授業を受けているうちに、アテナって楽しい、アテナに通えてよかったと思うようになりました。そして先生に習っているうちに段々と学力もついていき、月例テストで一位を取るのがほとんどになっていきました。けれど九月になって過去問演習をやり始めたころ、私に欠けているものがより明確になってきました。それは知識です。なんだ、たいしたことないじゃないかと思うかもしれませんが、私は社会が本当に苦手でした。受験者平均点を下回ったりすることが多く、また、社会の中でも特に地理と年号暗記ができませんでした。単語帳を作ったり「ゴロ合わせで覚える社会」などを読んだりはしていましたが上手くいかず、あきらめることもありました。そんな時、宮本先生は私のことを本気で怒ってくれました。そのおかげで私は気合を入れることができ、点を取れるようになりました。宮本先生には本当に感謝しています。

今私は吉祥女子中学校に入学するための準備をしています。アテナで使ったノートや過去問などの整理もしています。説明会に行ったり、ノート一冊一冊を手に取って見るたびにああ、中学受験をして良かった、アテナに通えて良かったなあと思います。それはもちろん、合格できたからという理由からです。けれどもそれ以外にも、勉強をする面白さを知れた、勉強が好きになれた、自分に対する自信をつけることが出来たなど様々なことから良かったと実感します。今思えば、アテナに通っていた時間は本当にかけがえのなく、大切なものでした。そして先生のおかげで私は合格することが出来ました。

宮本先生、本当にありがとうございました。


K・Kさんの中学受験体験記

2016年度 成蹊中・恵泉女学園中・西武文理中特選 他合格

私は、四教科の中で特に社会が大の苦手でした。理科はとても好き。国語は結構得意。算数は少し苦手かも。だから算数が早めに終わりたくさんマルをもらえたときはとても嬉しく、六年のころは問題を解くのが好きになれました。

しかし、社会の授業前はずいぶんテンションが下がり、こんな科目なければいいのに・・・と思ってしまうのでした。

私はハリー・ポッターシリーズが大好きなのですが、物語の中の呪文や魔法生物ならたくさん覚えられるのに社会が出来ないので年号や言葉、人物名、地域名、国名すべて呪文にして私の頭に入るようにしたい!というより私の記憶力を上げる魔法はないのか!私のようなマグル(魔法が使えない人)には出来ないのか!というレベルで、そう考えると覚えてどうなるのか、社会人になって本当に役に立つのか考えてしまって結局覚えるのがおっくうになってしまって・・・と、どうしようもないのでした。

そして、試験が急に近づいてきたように感じる一月。ずうっと過去問を解き、解き直す、答え合わせ、バツがつく、もう一度、またバツ、質問する、で、また解き直し、と繰り返している上旬のある夜、急に何かが心配になってきたんです。

それが私が社会が出来ないことの心配だとわかり、それからは参考書、時事問題集を持ち、年号や人物名の暗記、言葉や国名地名の暗記を始めました。これが先生が言う「クライマーズ・ハイ」だったのかもしれません。そこからは、もうラストスパートで一気に年号、名前、国名を一気に頭にたたきこんでいけるようになりました。もう社会はそこまで苦手科目ではなくなり、自分がマグルであったことを悔やむこともなくなりました。

試験当日は一月校が上手くいったこともありあまり緊張せず・・なんてとんでもない!!もうドキドキのバクバクでした。終わったとき私はあまり上手く出来なかった気がしてなりませんでした。とても大きな不安を持ちながら午後受験へ向かいました。午後受験が終わった時は上手く出来たかなぁと思いました。 さて、夜になりインターネットでの合格発表。

午前受験のR校の結果は・・・やはり上手くいかなかったと思ったのは正しく残念ながら・・・。しかし予想はしていたのでそれほどのショックはありませんでした。

午後受験のK校は無事合格。

さて、どうしましょう。合格をくれたK校はとてもいい学校なのですが、もう少しランクの高い学校に行きたい気もする。第二志望としていたK校は実はそれほど好きな学校ではありませんでした。そこで突然上がった案がS校受験。父が強くすすめていた学校だったのですが共学だったので受験校からは外していました。(私は女子校希望)

これまで一度も対策をしていませんでしたがK校を捨てS校を受験する!と決意しました。

二月二日、三日で去年と一昨年の過去問を解くだけで四日の受験本番がやってきてしまいました。試験が終わったとき、正直これはイケたかなぁと思いました。しかし昼食中に母がこんなことを言ったのです。

「S校の二回目女子の合格者って20人くらいしかいないんだって 」 !!それからは、もう不安で不安で、自分を信じるなんてとうてい無理でした。これは落ちたな・・と思いました。

さあ、夜の九時。合格発表。私はのんきにテレビを見ていました。発表から三分経っても連絡がないので宮本先生はやきもきして自分から合格発表を調べて電話をしたそうです。すると、なんと!私の番号があるではないですか!!

こうして私は大どんでん返しの末にS校に行くことになったのです。
この経験を通して私は、自分を信じることが受験でもいつでも大切なのだと実感することができました。

それから宮本先生、やっぱり先生じゃなかったら合格にたどりつけなかったと思います。本当にありがとうございました。

合格の他に得たものが大きな中学受験でした。


Y・Hくんの中学受験体験記

2016年度 巣鴨中・茗溪学園中 他合格

僕がアテナに通い始めたのは四年生の七月初めでした。初めは学校で習わない算数のやり方を覚えるのに必死でした。その時には気づきませんでしたが、後で考えると先生が一人で四教科を教えているところは良い点がいろいろとありました。

一つ目はある教科の授業中にほかの教科の話ができるというところです。その教科に集中できないのではないかと思うかもしれませんが、例えば理科が好きで社会嫌いの男の子が理科の授業でジャガイモの芽生えについて授業を受けているとします。そんなとき先生は彼にジャガイモの生産上位三都道府県を答えさせます。そうすることで脳をフル活動させている時間、この場合は理科の時間、にこのようなほかの教科の知識を得る時間を設けてくれるのでそれも一緒に覚えてしまうのです。

もう一つは過去問で苦手な部分をしっかりと見つけて対応してくれるので、一人一人のことをしっかりと見守ってくださっているという安心感があることです。僕は九月に過去問をやり始めて、一月にはだいぶ点が取れるようになったのですが、理科がイマイチでした。残り一週間になり、理科は点が上がらないかもしれないという言葉が頭の中をよぎりました。その時、僕は先生にR君とともに呼び出され、理科の特訓ノートを作らされました。それを毎日続けると、魔法にかかったかのように理科の成績が伸びました。五十点中半分くらいしかとれなかった理科の点数が、高いときは三十七点くらいまで上がったのです。先週までの自分がうそのようで不安がなくなりました。

このようなことがあって、すぐに二月一日になりました。朝は早くて大変でしたが、一月はもっと早くに家を出ていたのでものすごく眠いということはありませんでした。一教科目の国語は最初の漢字問題で「和む」が書けず、少し緊張しましたが、算数や理科を頑張ろうという気持ちにもつながりました。結果は合格でした。巣鴨中の過去問や対策に早くから取り組んだことが合格につながりました。特に過去問を何年もさかのぼって徹底的に解いたことが、とても効果的でした。

今回の中学受験という大きなくくりが終わって、過去の自分に勝つことの大切さを学びました。昨日の自分に毎日ちょっとでも勝つことで、日進月歩の努力ができるのだと思います。

最後に、来年、再来年とアテナで中学受験をする人たちへのメッセージです。
 ①算数は式や図をきちんと書く。
 ②苦手だと思うところは先延ばしにしない。
 ③先生の教えはちゃんと守る。
以上です。後輩の皆さん頑張ってください! そして今まで見守ってくださったお父さんお母さん、いつもとなりで励ましあった二〇一五年度卒業生のみんな、今まで全力でサポートしてくださった宮本先生、本当にありがとうございました。


2015年度

M・Tさんの中学受験体験記

2015年度 吉祥女子中・国学院久我山中ST 他合格

私がアテナに入ったのは、3年生の途中でした。入った頃から全くといっていいほど勉強せず、よく怒られていました。あまり改善しないままどんどん時間だけがが過ぎていきました。

6年生の夏にはじめて吉祥女子の過去問をやったところ、初めてだったにもかかわらず合格最低点をこえました。私は有頂天になりました。しかし、次に吉祥女子の過去問をやると結果は不合格。そんなふうに結果が乱高下する日々が続きました。

その状態のまま1月校を受験しました。そして、結果は不合格。しかも、同じ試験を受けた友達は合格していました。ものすごくくやしかったです。

さらに、2月1日の午後受験の学校の過去問演習でも、あと1問でも間違えていたら不合格という点数をとってしまいました。そんな私を先生は厳しく叱って下さり、気合を入れなおしてくれました。

そして、2月1日。吉祥女子の校門につくと、先生が入試応援に来ていました。そして、「合格」と書かれたカイロをもらいました。そのおかげもあってか私は大して緊張せず、落ちついて試験会場に向かうことができました。問題を解き終わったあとの手応えもありました。午後入試も落ちついて問題を解けました。そして、結果はどちらも合格でした。そのことを知ったときはとてもうれしかったです。

私が中学受験を通じて学んだことは3つあります。1つ目は、自分の頭がいいと思って油断しないこと。いくら模試などでいい点数や結果であっても、その学校をなめていると不合格になります。私自身勉強をおこたり1月校をなめて不合格になりました。2つ目は、最後は自分を信じてがんばることです。いくら手が届かなくても、自分を信じてがんばったからこそ、自分は吉祥女子に受かったのだと思います。3つ目は自分がめぐりあった先生にたよることです。私は、先生のおかげで見事吉祥女子に合格することができました。

宮本先生、今までありがとうございました。


A・Gさんの中学受験体験記

2015年度 吉祥女子中・浦和明の星女子中・西武文理中特選 他合格

私がアテナに入塾したのは三年生の2月でした。アテナは入塾する前に見学した大手塾とはちがって少人数だったことが印象的でした。見学時には少しおどろきましたが、アテナに通ううちに良いところが分かってきました。一つは授業D丁寧に教えてもらえるところです。二つは質問がたくさんできるところです。5,6年生になって特に質問がふえてたくさんすることができたので良かったと思っています。また、アテナにはしゃかりかクラブがあるので自分で実物を体感し学ぶことができ、夏季合宿などでストレスを発散することができました。

一月校の浦和明の星中は前の模試でギリギリだったこともあり、とても不安でしたが全力を出し切って問題をときました。まわりの子たちの気合に圧倒されてしまいそうでしたがやり切ることができたので満足でした。合格発表で自分の番号を見つけ、とてもうれしかったですが、番号がとんでいたりすごい気合で受験していたまわりの子たちが落ちているのを知り、改めて受験のきびしさというものを実感しました。一月校から二月一日までは塾に毎日通い、朝9時から夜8時ごろまで、過去問をといてとき直しをしました。吉祥女子は合格ラインにたっしていたので途中からは女子学院中の模試をやって油断をしないように努めました。一月の間、ほとんどの日に先生に塾を開けてもらったおかげで吉祥女子中の過去問で合格最低点+20点ぐらいだったのが+45点くらいにまで上がっていきました。なので吉祥女子中はとても自信がつきました。

一月校から二月に突入するまではあっという間でとうとう二月一日になりました。第一志望校の吉祥女子中の入試日だったので得意だった国語で緊張してしまいすこし不安でしたがその後はいつも通りに実力を出せました。得点があまりとれなかった算数がよくできたので「受かった!!」という手応えがありました。合格発表で合格を知り、とてもうれしかったと同時にホッとしました。その後には東京農大一中の合格が確認できて二日の女子学院中へ強い気持ちをつくりました。

女子学院中の国語で最後の漢字をまるごと忘れてしまったのが不安でしたがその分まで補うために社会と理科でがんばろうと思いました。社・理は自信がありましたが、最後の算数で他の子たちの勢いにおされとてもあせってしまい全くできませんでした。結果は、不合格でした。算数であせってしまう自分のクセを最後まで直せなかったのが原因なのかと反省しましたが、4年生から目指していた吉祥女子中に合格できたので納得しています。

最後に中学受験をふり返ってみて大切だと思うことは努力することです。なぜなら、私がスランプにおちいった時にあきらめずに努力をすることでスランプからぬけ出すことができたからです。

最後の過去問演習の時まで切磋たく磨してきて楽しいクラスにしてくれた友達、どんな時もはげましサポートしてくれた家族、勉強だけでなくいろいろな事を教えてくれた宮本先生、今までありがとうございました。


A・Yさんの中学受験体験記

2015年度 東京学芸大国際中・吉祥女子中・東京農大第一中・西武文理中特待生 他合格

私は以前、大手塾に通っていましたが、宿題の量が多すぎるうえ、分からない問題も先生に聞きづらく、わからないままになってしまっていて、なかなか成績が上がりませんでした。そんな時に母がアテナを見つけてくれました。アテナでは、それまでの塾とは違い宿題が最低限だったので、気持ちに余裕ができました。

私は始めあまりやる気があるほうではなかったので、宿題もそんなにやっていきませんでした。でも先生がとても熱心に指導してくれたので、だんだんやっていけるようになりました。

理科社会の暗記物はとにかく苦手で、最後まであまり努力できませんでしたが、先生が何度もチェックテストをやってくれ、合格するまで終われないようになっていたので、最後には一番苦手だったところもなんとか克服することができました。

算数は、アテナでは途中式や図を書くことを大事にしているので、入った当初はよく注意されました。面倒くさいなと内心は反発していましたが、結果的にはそのおかげで途中式を書く習慣もでき、力がついたのだと思います。また、図を書く習慣は6年生の冬期講習に入るくらいまでつきませんでした。でも過去問をやっていく中で、どうしても解けない問題が出てくるので徐々に習慣になっていき、その方が頭の整理がついて解きやすいので、それまで解けなかった問題が解けるようになり、成績が上がりました。

また、国語は得意科目だったので、国語の宿題を知識問題だけにしてもらい、無駄が省けて、それも良かったと思います。

2学期からの過去問演習では、算数や理科の計算、国語などで分からない問題があったらすぐに聞くことができるし、社会は教室にたくさん資料があるので、自分で調べることができました。調べることで知識が定着するので、とても効率がよかったと思います。

また、先生は一人一人得意不得意にあった指導をしてくれ、志望校の過去問研究をしてくれていたので、これをやれば受かる!というのがわかり、3学期の直前はそれだけをやっていました。

試験前日には、各教科あまり難しい問題はやらず、基礎や時事問題などしかやらなかったので、解けない問題はなくて焦らずに済み、落ち着いて本番の試験を受けることができました。

私の受けた学校の中には、集団で話し合いをする面接や、図表を読んで自分の考えをまとめる記述などの試験もありましたが、先生は模擬面接や過去問をこまかく添削してくれ、試験前日はやりすぎずテレビでも観ればと言ってくれたので、緊張せず気楽に受けることができました。

アテナなら、今勉強のやり方がわからない人も、きっと合格できると思います。頑張ってください!


N・Mくんの中学受験体験記

2015年度 明大中野中・日大二中・宮崎日大中・佼成学園中 他合格

ぼくは、アテナ進学ゼミに入る前に三年から早稲田アカデミー、サピックスに通っていました。その大手塾では全然成績がのびずになやんでいました。そこで、アテナに通っていた野球の先輩に誘われ、アテナの天体講座に、初めて参加しました。早稲田アカデミーやサピックスとちがい、先生一人で指導をしていてはじめはびっくりしました。けれど一人一人にやさしく、ときにはきびしくていねいにおしえてもらいました。さらに、算数や理科では先生独特のやり方があり、それにならってやったところ、とても成績が上がりました。ぼくは、「式に単位をつける」という指導をきちんとやらなかったので、その度に先生に厳しく注意されました。

そして9月ころからはじまった過去問演習。ぼくは9月ごろでも志望校が決まらず困っていました。しかし、母がうまく自分に合った学校を見つけてくれました。それが、明治大学中野です。その学校の最初の過去問を解いたときは、合格最低点からマイナス80点くらいはなれていました、しかしぼくは志望校を変えずにがんばりました。わからないところは先生にすぐに質問に行くなどして、しっかりとき直しをしました。そうすることで社会の知識がとてもよく頭に入りました。「ゴロ理科」や「ゴロ社会」などを使って勉強していったら全体的に偏差値も上がりました。

一月はほぼ毎日学校を休み、朝の9時から7時くらいまでは勉強をしていました。とてもつかれましたが勉強をするのが楽しくなっていきました。一月に先生から課題がたくさん出ました。社会の知識問題や算数の図形数量計算などの問題が課題となりました。それを毎日少しずつ、やっていきました。

そして、迎えた一月校の宮崎日本大学の入試。当日会場まで先生が来て励ましの言葉をもらい、緊張を打ち消すことができたように思いました。すべての科目まあまあできていたのでよかったです。一週間後に郵送で結果が来ていました合格していたので嬉しかったです。

そしてとうとう二月。二月一日の午前中はすべり止めの佼成学園をうけました。全体的に簡単ですらすらとうけることができ、自身を持って午後受験に向かいました。午後は東京農大一中の試験でした。けっこう出来たと思いましたが、結果は残念ながら不合格でした。

二月二日の午前。明治大学付属中野中学の試験。会場に言ったらアテナを紹介してくれた先輩が来てくれていました。何と、宮本先生がその先輩に、入試応援を頼んでくれていたのです。そのおかげで勇気がわきました。試験では国語と理科はよく解くことができましたが、算数と社会はあまり解くことができなかったので、あまり自信はありませんでした。結果は翌日の10時です。ぼくは緊張しながらその日は眠りにつきました。

二月三日の試験は日本大学二中です。問題はいつも過去問をやっていたときと同じように解けました。試験と面接の間に休けいがあったため、お母さんとお父さんいる待合室に行ったら、二月二日の明大中野に受かっているという報告を受けてとてもうれしかったです。しかし、日本大学二中は、午後の面接がうまくいかなかったので不安でした。夜ホームページで合格発表を確認したところ、自分の番号がありました。とても嬉しかったです。

受験が終わってふりかえってみると色々なことがあったなと思い出しました。僕が受験で大切だと思うことは、
 ①過去問があまりよい成績をとれなくてもあきらめないこと。
 ②「図をかく」などの基本的なことをしっかりやること
です。

宮本先生。ぼくをささえてくれた家族。ありがとうございました。そして一緒にがんばったクラスのみんな、忘れません。本当にありがとうございました。


M・Oさんの中学受験体験記

2015年度 東京農大第一中・富士見中・山脇学園中・土佐塾中 他合格

私がアテナに通いはじめたのは五年生の9月頃からでした。前の◯塾では宿題に追われる毎日でした。転塾した最大の理由は、算数での質問が消化しきれず、分からない問題がたまっていくことでした。でもアテナに移ってからは質問がしやすくなり先生は私が理解するまで丁寧に教えて下さいました。

アテナのメリットは、算数は確実に理解するまでは帰れないという事と、宿題が少ないので復習する時間が持てるという事です。ところが私は理解できたことに安心しきって復習をおこたっていました。その結果、六年生の九月から始まった過去問演習では、第一志望校の合格最低点に一度も届かず穴が多く見つかりました。そこから私は穴をうめるための総復習を始めました。過去問を解くことで自分の苦手な部分がわかっていくので、その箇所を重点的に復習しました。

九月から私は、国語、社会、理科の暗記物を徹底する事を決めました。12月半ばになるとかなり定着し成績にも表れてきました。算数は先生から出された問題集を一月の最後まで繰り返し解きました。そして、一月は定着していない単元を克服するために時間を使いました。

そしてあっという間に二月一日になりました。その日は緊張することなくリラックスして試験に臨むことができました。午前入試の山脇学園ではいつも以上に出来はいいなという実感がもてました。その後の午後入試の東京農大一中では、いつもより集中力が持続し、十分な手応えもつかめました。午後入試が終わってもまだ両方結果がわかっていなくて、結果発表の時間が近づくにつれて緊張していきました。そして両方の合格がわかった時は、思わず飛び上がりました。

受験のために走り続けてきた三年間をふり返り、達成感でいっぱいになりました。そして、途中であきらめなくてよかった、と心の底から思いました。

宮本先生。一年半という短い間でしたが本当にありがとうございました。


S・Kくんの中学受験体験記

2015年度 芝中・東京農大第一中・西武文理中特選 他合格

僕がアテナに入ったのは、六年生の四月の終わりごろで、前の塾で成績が落ちていたときでした。母も悩んでいておさななじみの友達のお母さんに相談して紹介してもらい、入塾しました。

アテナの良いところは、個人塾なため大手の塾よりも人数が少なく先生の目が行き届くので、苦手な単元や教科も個別の指導や課題で克服できる所です。僕は社会と国語が苦手だったのですが、社会は、苦手な人用の地理講座で、国語は、休んだ人が多かった時に先生がとってくれた、午前中の授業をすべて国語にするという対応や、分かりやすい、プロジェクターを使った解説で分からないところも理解できました。夏休みの夏期講習も、四日通って一日休みのペースでやるので疲れきることもなく充実して勉強ができました。

九月に入ると過去問演習が始まり、第一志望の過去問を解いていきます。僕は、第一志望の過去問をやったのですが、合格最低点との差が百点を越えることが度々あり、対策の勉強はしていても、最初の数回をのぞいて、第二志望と第三・第四志望数回ずつを一月の下旬までやっていました。しかし、二月一日の六日前に再び第一志望の過去問を解くと九月よりもずっと点数が上がっていました。一番多く過去問を解いた第二志望の学校の問題の傾向が似ていたこともありました。その日塾から帰るときに、先生に実力がかなり上がっていると言われてとてもうれしかったです。

一月十日に一月校として最初の受験をしました。本番緊張することもなく無事合格したのですが、その後不調が続きました。一度、先生から「今日はもう帰りなさい」と言われ家に帰った時に、点数が上がらないことや帰りなさいと言われたことがショックで泣いてしまいました。でも実はそれは、僕の体調を気にした先生の作戦だったのです。その日、先生のアドバイスに従って家族で温泉に行ったところ、また調子を取り戻せました。第二志望の過去問の出来も良くなり、第一志望の過去問も再びやれるようになりました。一月でも不調なときは大胆に休むことも必要だと思いました。

二月に近づくにつれて調子も上がり第一志望の受験日も緊張することなく試験を受けることができました。第一志望には残念ながら不合格になってしまったのですが、最後まで受験を楽しめました。アテナで受験をしたことは僕にとってとてもよかったと思います。受験来年、再来年に受験をする人も是非アテナでがんばってください。

アテナ進学ゼミ口コミ